闇に沈む真実 15/時を超えて
研究所の地下室では、魔力暴走がいよいよ限界を迎えたことを知らせるように、地響きが空間全体を揺り動かしていた。
まるで大地震のような揺れの中、神室倫道は氷川龍士を肩に担ぎながら、瓦礫の山を上へ上へと進んでいく。
先ほど、ヴァリゲーターの動きを封じるために【黒焔針】を天井へ撃ち込み、崩落を誘発した。その瓦礫の一部が、地上へ続く階段の下にも高く積もり、上階との高さを縮めていた。
今にも崩れそうな瓦礫の上を、倫道は慎重かつ素早く踏みしめながら進む。
だが、その表情には、色濃い悲観が滲んでいた。
(ダメだ… やっぱり高さが足りない。どうにかして俺が先によじ登り、龍士を引き上げて…… いや、無理だ。いつもの龍士ならまだしも、これだけ傷を負った今の龍士では……)
壁際をつたって登りながら、瓦礫の山の上で壁面に手を当て、周囲を見渡した。
(どこか…… どこか他に道は。昇降機は…… この大研究室も、最奥の部屋も潰れているし、上へ行くには、やっぱりここしかないのか)
「――い、おい、倫道! 聞いているのか?」
突然、耳元で怒鳴られ、倫道はびくっと肩を震わせた。
「うわっ⁉︎」
必死に脱出ルートを探していたため、不意の大声に驚くのも無理はない。
周囲の崩壊音にかき消されないよう、倫道も大声で返す。
「どうした?」
「……置いていけ」
「は? なんだって?」
「だから―― 俺を置いて、お前だけで上に行け! 一人なら、なんとかなるかもしれねぇだろ!」
鬼気迫る視線が、担がれている龍士から突き刺さる。
だが、倫道はその視線に目を合わせることなく、はっきりと首を振った。
「……駄目だ」
「おい! 意地張ってる場合じゃないだろ!」
「駄目だ!」
「俺はスパイだったんだぞ。お前の敵だ! 気にせず、置いて行けよ!」
「うるさい! お前は仲間だ! 俺の友達だ! 絶対に、二人で助かるんだ! 何度も言わせんな! 馬鹿なこと考えてる暇があったら、脱出する方法を考えろ!」
顔を真っ赤にして、一気にまくし立てる倫道。
あまりの勢いに、龍士は数秒間、呆気にとられて動きを止めてしまった。
「……この馬鹿。まったく、頑固者は話にならん」
「お前が言うな」
互いに苦々しい顔をしながらも、どこか嬉しそうに見つめ合う。
そして、不思議と腹の底から笑いが込み上げてきた。
「くっくっく…… じゃあ、どうする?」
「……いま、それを考えている」
「はぁ〜、馬鹿は馬鹿でもとびきりの大馬鹿だよ、お前は」
「なんだと⁉︎ そう言うお前は、何か考えがあるのか?」
「……例えばだ。爆発の瞬間に、俺の最大出力の氷結魔法で熱風から身を守り――」
「なるほど! そのタイミングで、俺が天井に魔法をぶちかまして穴を開ける! で、爆風に乗って外に吹き飛ばされるってわけだな!」
「そう、それだ」
「よし! やってやろうぜ!」
「ああ!」
――口では勇ましいことを言ってはいるが、2人とも、その脱出方法が無謀すぎることは百も承知だ。
だが、せめて気丈に振る舞うことで、迫り来る死の恐怖に抗おうとしていた。それは、いわばカラ元気。
二人とも、自分たちがここで終わるかもしれないことを、心のどこかで理解していた。
そんな空気を嫌ったのか、龍士が別の話題を切り出す。
「……そういえば。お前、さっき『ラウラ』って叫んでたよな。あれ、誰のことだ?」
「え゛っ……」
「倫道、お前、てっきりデルグレーネ・リーグが好きなのかと思ってたが……まさか別の女がいたとはな?」
「ち、違っ――!」
「それとも、十条五十鈴か? 俺らにバレないように『ラウラ』って愛称で呼んでたとか……?」
「ばっ、ばか! 全然違うわ!!」
死を目前にした緊張感も、倫道の大声によってどこか吹き飛んでいた。
肩で息をしながら、「ちょっと待ってくれ、ちゃんと話すから」と前置きし、倫道は『ラウラ』という人物について、かいつまんで語り始めた。
「ふん…… 前世の記憶ね……」
「ああ。前々から久重や五十鈴には言われてたんだけど……正直、自分でも信じられなかった。夢で見たことを前世の記憶だなんて」
「でも、死を目の前にして思い出したってわけか」
「うん。そんな感じかな。でも……自分で言うのもなんだけど、到底信じられる話じゃないよな」
乾いた笑いをこぼす倫道に、龍士は首を横に振る。
「いや、信じられるさ」
「えっ……?」
「信じるって言ってるんだよ」
「龍士……」
「お前の左目、今も金色に光ってる。覚醒状態? そんなの聞いたこともねぇ。だけど、実際そうなってるし、お前はその状態で何倍もの力を出してる。アルカナ・シャドウズとやり合った時だってそうだ。……お前は、俺たちとは違うんだから」
真っ直ぐなその言葉に、倫道の胸には、驚きよりもあたたかいものが広がった。
自分ですら受け入れきれなかった"夢の中の真実"を、龍士は迷いなく信じてくれたのだ。
「ありがとう…… でも……」
「でも?」
「ラウラ…… たぶん、俺の前世で大切だった人…… なんだと思う。けど…… どうしても、今の自分の中にある“彼女の姿”と、完全には一致しないんだ」
言葉を吐き出すように呟いた、その瞬間だった。
ひらり、と――。
鳥のような黒い羽毛が、倫道の目の前にひらひらと舞い落ちる。
「それは私のこの姿のことかな? 」
誰もいないはずの頭上から、声が落ちてきた。
それは、倫道にとって懐かしく、悲しいほど美しい声―― 心の奥底で、ずっと渇望していた声だった。
夢の中で何度も見た少女の姿が、脳裏をかすめる。
そして次の瞬間、倫道の左目が黄金に輝きを増し、熱を帯びる。
――頭の中で、最後の鍵が開く音が響いた。
顔を上げた倫道の前に現れたその存在に、心臓が激しく脈打ち、胸が痛むほど締めつけられる。
喉の奥からこみ上げるのは、言葉にならない嗚咽だけだった。
左目から、熱い雫が一筋、頬を伝って流れ落ちる。
そこにいたのは、黒き翼を広げた魔人の姿――
それでいて、どこか寂しげに、それでも嬉しそうに微笑む、あの少女。
「ま、魔人だと⁉︎」
龍士が驚き、倫道の肩から離れると、杖代わりにしていた霜結棍を構える。
だが――倫道は静かに左手を掲げ、無言で制した。
この人は敵じゃない、と。
「ラウラ…… 君はラウラなんだろ?」
「うん、そうだよ。ヴィート…… いえ、倫道」
「ヴィート…… そう、俺はヴィート・リーグだった。グスタフ・リーグの息子で…… アルサス村の大工。でも今は神室倫道で……」
「そう。お父さんの事も…… 思い出したのね」
「ああ。まだ、ぼんやりとだけど……でも、一つだけはっきりしてる。君の名前は――デルグレーネ・リーグじゃない。ラウラ・リーグだ」
「うんっ!」
白金色の瞳に涙を浮かべ、ラウラは今にも泣き出しそうな笑顔を見せた。
「なっ⁉︎ 何だと⁉︎ デルグレーネ・リーグだって⁉︎」
龍士はまじまじと彼女の顔を見つめ、着ている軍服に気づく。
「確かに…… 顔も大人びてるが、同じか。それに、俺たちと同じ軍服を着てるな……」
一瞬、納得したように頷いたが、すぐに別の疑問が湧き上がる。
「おい、目の前の“魔人”がデルグレーネで、しかもお前の前世の記憶に出てくる“ラウラ”でもあるってことか?」
「ああ、そうだよ」
「……本当かよ。色々ぶっ飛びすぎてて、頭がおかしくなりそうだ」
龍士は額に手を当て、頭を振りながら大きく息を吐く。
「須賀湾で、カオスナイトメアから助けてくれたのも……」
「うん」
「アルカナ・シャドウズのときも……」
「うん……」
「……そして、今も」
デルグレーネがそっと翼を揺らしながら倫道に歩み寄る。
そして、ふたりは何の言葉もなく、ごく自然に抱きしめ合った。
倫道の腕が、彼女の華奢な腰に回されると、漆黒の翼がそっと包み込むように背を覆う。
「ああ……ほんとうに……ヴィート……」
「ラウラ……」
涙を浮かべ、再会を喜び合うふたり。
その後ろから、咳払いが聞こえた。
「あー……邪魔する気はないけど、今は時間と場所を考えてくれ」
龍士がそっぽを向きながら、気まずそうに頭を掻く。
倫道とデルグレーネはその表情に気づき、慌てて腕を解き、お互いにさっと距離を取った。
「そう、時間がない。私の話を聞いて」
「こほん」と咳払い一つ。
デルグレーネの表情が一変し、鋭く真剣な眼差しになる。その気迫に、男ふたりは黙って頷いた。
「もうすぐ、この下で大規模な爆発が起きる。暴走している魔素の量は、尋常じゃない。爆発自体は、もう止められない」
語りながら、デルグレーネの声は落ち着いていたが、明らかに重いものを帯びていた。
「この規模で一気に爆発すれば、地上にいる特務魔道部隊も、避難している人たちも無事では済まない。だから……」
彼女の唇から、衝撃的な言葉が紡がれた。
「私が、その魔素を使って……この研究所ごと吹き飛ばす」
「「……えっ⁉︎」」
同時に絶句する倫道と龍士。
まさか、彼らが先ほど“冗談半分”で口にしていた脱出案―― それを、彼女自身が真顔で言い出すとは思いもしなかった。




