闇に沈む真実 14/断ち切る鎖
血と硝煙の匂いが鼻腔を突き刺し、生々しい鉄錆の香りが混じる研究所の地上。
先ほどまで、合成妖魔が特務魔道部隊の隊員たちを無力化するのを見て、笹岡の顔には歪んだ醜い笑みが浮かび上がらせていた。
だが今は――
漆黒の炎で顔を焼かれた笹岡は、目を疑うような光景に呆然としている。
――白金色の髪を靡かせ、息を呑むほどに美しい、人ならざる存在―― 魔人が、そこに佇んでいた。
周囲の者たちも、声を失う。ただ、その圧倒的な存在感に飲み込まれて。
そんな中、カタリーナだけは、別の驚きに困惑していた。
彼女の目に映るのは、底知れない威圧感を纏い、まるで死そのものを具現化したかのような禍々しい魔力に満ち溢れた、デルグレーネの紛れもない本来の姿だったのだから……
「……レ、レーネ……」
カタリーナは、信じられないものを見るような眼差しで、その横顔に釘付けになっていた。
そう、デルグレーネの異変は、今から数分前に遡る――
◇
東雲たち第2分隊が、ヴァリゲーターの凶悪な毒牙に無惨にも引き裂かれ、その命を散らした直後、異変は訪れる。
カタリーナが、横たわるデルグレーネの背に添えていた手のひらに、異常な熱を感じ取った刹那――
デルグレーネの全身が激しく震え、喉の奥から絞り出すような苦悶の叫び声を上げた。
「ゔぁっ―― ゔゔゔぅーああああああ」
調律者として、最善の行動を冷静に模索していたカタリーナは、突如として耳をつんざく叫びに、丸い瞳を見開いた。
目の前のデルグレーネは、まるで獣のように絶叫しながら、首のチョーカーを今にも引き千切らんばかりに掴んでいた。
その細い白い首に食い込んだチョーカーは、見る間に鮮血を滲ませ、デルグレーネの顔を苦痛に歪ませる。
「ちょ、ちょっとレーネ、どうしたの⁉︎」
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙――――」
その叫びは、まるで何かに取り憑かれたかのようだった。
デルグレーネは、暴力的にチョーカーを引き裂こうと、力と魔力を込め続ける。
「ちょ、ちょっと! それは管理者につけられた拘束具よ。力任せに引っ張っても――」
「ゔゔあ゙あ゙あ゙あ゙――」
カタリーナの声は、デルグレーネには届かない。
彼女の首に巻かれたチョーカーは、能力の暴走を防ぐための重要な枷――
無限に魔素を吸収する特異体質を抑えるための、まさに神器と呼ぶべき存在だった。
自ら外そうとする行為は、調律者の規則を破ることであり、すなわち、管理者への明確な反抗を意味していた。
「やめなさい! レーネ、一体どうしちゃったの!」
カタリーナは、必死にデルグレーネの手を押さえた。
だが、その力はまるで止まる気配を見せない。
先ほどまで瀕死だったはずの彼女―― その暴力的な力は、一体どこから湧き出してくるのか。
「ゔゔぅ…… 声が 聴こえた の……」
「えっ⁉︎」
「ヴィートの…… 声が……」
「まさか……」
ありえない――
つい先ほど、久重たちから聞いた話では、ヴィートこと倫道は研究所の地下深くにいるはずだ。
声が聞こえるはずなどない。
しかし、デルグレーネの取り乱した様子を目の当たりにして、カタリーナは反論の言葉を飲み込んだ。
その時、デルグレーネの叫びが、再び空気を震わせる。
「ゔあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ああああああああ――」
デルグレーネが渾身の力を込めて叫んだ瞬間、鮮やかな赤い飛沫が宙を舞った。
彼女の細い首に巻き付いていた漆黒のチョーカーが、まるで鎖を断ち切るように弾け飛ぶ。
――管理者の、いや、神の拘束を破ったのだ。
「【マナ・アセンブル】……」
よろめきながら立ち上がり、デルグレーネは低く呟いた。
黒い靄のような魔素が彼女の周囲に渦巻き、まるで生き物のように集まり始める。
倒れた東雲以下、第2分隊の骸から漏れ出す魔素、そして地下から吹き上がる暴走した魔素――
それらが、デルグレーネを中心に渦を巻き、吸い寄せられていった。
魔力の奔流が、彼女の体内へと流れ込む。
少なくとも今、彼女は"動けるだけの力"を取り戻した。
大きく翼を広げ、戦場に羽音を響かせる。
その瞬間、周囲の世界がまるで時間を止めたかのような錯覚に包まれた。
デルグレーネは、静かに右手を前へ突き出す。
青白く光る魔法陣が、静かに展開され、空間そのものが歪んだ。
その光は冷たく、鋭く、死の予兆のように輝いていた。
「【フレイムニードル】」
彼女の声と共に放たれた魔法は、漆黒の炎針となり、疾風のごとくヴァリゲーターへ向かって飛び込んでいく。
魔封じの結界など、今のデルグレーネの強大な魔力の前では、まるで意味を成さない。
炎の針は結界を突き破り、笹岡を抱きかかえていたヴァリゲーターを、一閃にして貫いた
◇
カタリーナは、しばし呆気にとられた後、ようやく意識を取り戻し、デルグレーネの前に歩み寄る。
「なんて無茶を……」
その言葉には、心配と共に強い怒りが込められていた。
だが、デルグレーネはその視線を受けても、ただ静かに目を伏せ、かすかな笑みを浮かべる。
「ごめんなさい…… でも、私を呼ぶ声が…… 確かに聴こえたの」
カタリーナの瞳に浮かんだのは、あまりにも深い悲しみの色だった。
「……そう」
そして、悲しげに呟いた。
「命を…… 燃やしたのね……」
その言葉に、デルグレーネは儚げに、しかし寂しそうに微笑んだ。
「大丈夫。今日明日に死ぬなんて事はないから。ほんの少し、無茶な力の使い方をしただけ…… 大袈裟」
カタリーナは一瞬沈黙し、やがて小さく頷いた。。
「……わかった。早く行きなさい」
「うん。お願い」
血の滴る左手で、デルグレーネはカタリーナの肩にそっと触れ、想いを込める。
そして、そのまま横をすり抜けるようにして歩き出した。
「ヒッ、ヒィ〜〜〜。なっ、なんじゃお前は⁉︎ なんで魔法が使える⁉︎」
顔面に火傷を負った笹岡が、恐怖に顔を歪ませながら尻餅をつき、後ずさった。
その視線が、デルグレーネの異様な姿を捉えた瞬間、彼の喉から言葉にならない悲鳴が漏れる。
「なっ⁉︎ 妖魔⁉︎ いや、ま、まさか魔人⁉︎ なぜこんな所に⁉︎ 地下から逃げ出した? いや、お前の様な妖魔は見たことがない! 一体なんなんだ⁉︎」
笹岡の震える声が、空気に反響する。
恐怖に顔を引きつらせた彼は、這いつくばりながら後退し、未だ無傷なヴァリゲーターの背後に隠れた。
(おいおいおい…… マジかよ)
混沌とした戦場を、まるで無人の荒野を歩くかのように進むデルグレーネ。その麗しい魔人の姿に、柳田は驚愕の視線を向けざるを得なかった。
(まあ、只者じゃない事は分かっていたが…… まさか魔人とはな。いま思えば、ユナイタス合衆国の魔法特殊部隊と戦った時、相手にも魔人がいたが、渡り合えたのは、こっちのも魔人がいたってわけか)
やがてデルグレーネは、柳田のすぐ横まで歩み寄り、静かな声で告げた。
「もう直ぐここは爆発する。彼らを連れて逃げて…… ください」
彼女が後方にいる久重たちへと視線を向けたのを、柳田は一瞬で理解し、軽く頷いた。
「あんたは、どうする気だ?」
デルグレーネは、かすかに微笑むと、迷いなく答えた。
「目の前の怪物を屠って、地下にいる倫道たちを迎えに行く」
その言葉に、柳田は鋭い視線を向ける。
「……あんたは、味方なんだよな?」
デルグレーネは無言で微笑み返しただけだった。そして答えることなく、風のような速さで駆け出した。
雷光のようなスピードで、大気を切り裂く。
「ギィヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――」
瞬間移動にも思える速度で、魔法封じを続けるヴァリゲーターに肉薄すると、デルグレーネは右腕を大きく振りかぶった。
「お前…… うるさい……」
鋭利な五本の爪が刃物のように空を切り裂き、ヴァリゲーターの胸に浮かぶ人面を容赦なく切り裂く。
断末魔の叫びも、その一閃の前には無力だった。
「グギィャア――」
ヴァリゲーターは体を痙攣させ、その場に崩れ落ちた。
「……次」
デルグレーネの視線が、最後のヴァリゲーターへと突き刺さる。
「ヒッ、ヒィイイイ〜、行け。ワシを守るんじゃ〜」
笹岡の命令を受け、ヴァリゲーターは弾丸のようにデルグレーネへと突進する。
デルグレーネもその動きを察知し、勢いよく二対四枚の黒翼を打ち付けた。
空気の壁を切り裂く勢いで、空中へと飛翔する。
両者が激突する刹那――
デルグレーネは体を回転させ、まるで風のように、木の葉のように宙を舞った。
そのままヴァリゲーターの背後をとった彼女は、コウモリのような翼を根本から断ち切ると、無防備な背中を容赦なく蹴り飛ばす。
翼を斬られたヴァリゲーターは、もんどり打ちながら地面へ叩きつけられた。
土埃が舞い、視界が塞がる。
ヴァリゲーターはダメージを負いながらも立ち上がる。
だが、周囲を見回した瞬間――デルグレーネの姿は、もう消えていた。
慌てて左右に首を振るヴァリゲーター。
その眉間、肩、胸、腹…… 全身に、突如として黒い棘が突き刺さった。
「――⁉︎」
それらは槍のごとき太さを持ち、ヴァリゲーターの体内に深々と食い込む。
そして魔力を吸い上げるかのように、ドクドクと脈打ち始めた。
「魔力を吸い上げるのは……お前の専売じゃない」
声がした方を見上げると、空中に巨大な漆黒の球体が浮かんでいた。
それは大人一人では到底抱えきれないほどの大きさで、海に棲む巨大な雲丹のように、無数の棘を伸ばしていた。
「お前の『黒燐砲』? 魔力を吸い上げるだけでしょ…… 私は、ちゃんと返してあげる」
黒い球体の上、デルグレーネは両手を大きく天にかざす。
やがて、彼女を中心に半径三メートルの魔法陣が展開された。
伸びた棘が巻き戻されるように収束し、漆黒の球体はさらに膨張を始める。
耳を劈くような音が空間に軋みを走らせ、球体の周囲には黒き雷が巻きつき、禍々しく成長を続けた。
すべての動きと音が止まった、その瞬間――
「【インフェルノ・ダウン――】」
デルグレーネの一声とともに、球体の内圧が限界を超え、超高熱のエネルギーが爆ぜた。
しかしその熱は、広がることなく、魔法陣と同じ半径三メートルの透明な筒の中に収束する。
集約された熱量は、黒き炎から白く輝く真っ白な光へと変わり――
筒の中にいたヴァリゲーターを、瞬時に焼き尽くした。
骨すら残さず、すべてが溶け、蒸発していく。
やがて炎がおさまると、地面はマグマのようにオレンジ色に染まり、湯気が立ち上っていた。
「わ、ワシの最高傑作が……」
自慢の合成妖魔をいとも簡単に屠られた笹岡は、腰を抜かし、失神してしまった。
デルグレーネは、その様子を一瞥すると、静かに振り返り、カタリーナ、柳田たちと視線を交わし、軽く頷く。
そして、背を向けると、今や人の気配も消えた研究所の正面入口へと飛翔した。




