闇に沈む真実 12/臨界
漆黒の刀身が、蠢く悪意を切り裂かんと光を宿す。
目の前に立ちはだかる異形の存在、怪物に向け、俺は専用に造られた魔道武器『焔影刀』を静かに構える。
研ぎ澄まされた刃に宿る黒炎は、まるで生き物のように脈打ち、その出力を増していく。それは、俺の昂る感情に呼応するかのように、より強く、激しく燃え盛っていくのが肌で感じられた。
「やっちまえ! 倫道!」
背後から突き刺さるような龍士の叫びが、鼓膜を震わせ、俺の闘志に熱を注ぎ込む。
友の叱咤は、何よりも心強い激励となり、俺の全身を滾らせた。
「おおおおおお!」
喉の奥底から迸る雄叫びと共に、ヴァリゲーターが放つ強烈な衝撃波が迫り来る。
だが、金色に輝く左目が、奴の動きを教えてくれる。
俺は、体を限界まで屈ませ、紙一重でそれを回避した。同時に、爆発的な加速で一気に距離を詰める。
狙うは、奴の巨大な下半身。
低い体勢のまま、焔影刀を横凪に振るう。
しかし、渾身の一撃は、目に見えない強固な防御魔法に阻まれ、金属が軋むような音を立てて弾かれた。
だが、そこで止まりはしない。
間髪入れずに、魔力を凝縮させた左手を掲げる。
狙いは、蜥蜴人の原形を残す頭部。漆黒の針、【黒焔針】を容赦なく放つ。
もちろん、これもまた防御魔法によって弾かれるが、その瞬間に炸裂した黒い炎は巨大な爆炎となり、妖魔の視界を完全に奪い去った。
視界が遮られた今が好機。
二度目の斬撃は、あえて魔力を込めず、純粋な剣術のみ。
研ぎ澄まされた技は、魔術のみを弾く結界を滑るように通過し、鈍い音と感触と共にヴァリゲーターの胸を深々と突き刺さる。
人面の禍々しい頬を、焔影刀の刃が鮮血と共に切り裂いた。
「――――⁉︎ ………――」
悲鳴とも咆哮ともつかない、不気味な声を発しながら、ヴァリゲーターは狼狽したように後退りする。
同時に、全身を痙攣させ、まるで鳥が威嚇するように羽根を逆立てるように、ほんの僅かに体が膨張した。
それは、黒燐砲の前兆だった。
「その攻撃は何度も見た!」
俺の左目が、迫り来る弾丸を捉える。
射出される直前、俺は瞬間的に距離を取り、雨のように降り注ぐ凶悪な鱗を、迫り来る刃で辛うじて弾き、かわす。
二発、三発と、確実に俺の肉体を穿とうとする鱗の嵐を、寸分の狂いもなく回避した。
後方にいる龍士は、瓦礫の影に身を潜め、無事を確認。
それ以前に、ヴァリゲーターの意識は完全に俺に集中しており、他の存在など眼中にないと感じていた。
(アイツに、余裕は無くなってる⁉︎)
確信に近い感覚が、俺の胸を満たしていた。
丹田に意識を集中させ、ゆっくりと、しかし力強く息を吐き出す。
体内の熱気が、僅かに冷やされていくのを感じた。
額から流れ落ちた大粒の汗は、頬を伝い、足元に黒々としたシミを作る。それでも、滾るような熱い血潮を感じながら、俺の思考は研ぎ澄まされていく。
まるで、嵐の目の中にいるかのような静けさだな――
自分が覚醒状態にあることは理解していた。だが、今この瞬間に感じている力は、これまでとは全く異なるものだった。
周囲に満ちる魔素が、まるで意思を持つかのように俺の体内に流れ込み、無限の力を与えてくれるような感覚…… それは、紛れもなく初めての体験だった。
いくら魔法を繰り出そうとも、魔力の枯渇を感じない。まるで、底なしの泉が体内に湧き出ているかのようだ。
(このまま押し切れる…… いや、その前に……)
足元から伝わる振動が、先ほどよりも明らかに大きくなっている。
まるで、巨大な心臓が脈打つように、魔素が暴走するにつれて、研究所全体が不気味な音を立て始めていた。
床には蜘蛛の巣のような亀裂が走り、壁からは水が滝のように噴き出す。それは、まるで大地そのものが怒りを露わにし、崩壊へと向かっているかのようだった。
(これ以上、長引かせられない……)
俺は、燃え盛る黒炎を纏う焔影刀を静かに鞘へと収めた。そして、覚悟を決めた眼差しで、背後の龍士に、そして己の魂に向かって叫んだ。
「全力で行く! おおおおおお――! 黒姫‼︎」
両手を大きく突き出し、黒姫を呼び出す。
刹那、俺を中心に、黒い霧のような魔素が足元から渦巻き、うねりながら一点へと収束していく。
そして、蒼白く妖しい光を放つ魔法陣が展開し、その中心から、漆黒の翼を持つ少女のような影、黒姫がその姿を現した。
いつもの、小さな使い魔のような姿とは明らかに異なる。
人間の少女ほどの大きさに成長した黒姫の姿は、その身に宿る膨大な魔素の力を物語っていた。
背に生えた二対四枚の漆黒の翼が、静かに、しかし力強くはためくと、それは瞬く間に、五本の極太の黒い炎の針へと姿を変えた。
それは、俺が最も使い慣れ、最も信頼を置く魔法。
体内で練り込まれた魔力と、黒姫との絆が生み出す、必殺の刃。
「おおおおおお! 行けぇ――! 【黒焔針】‼︎」
浮遊していた五本の黒焔針が、獲物を定める猛禽の瞳のように鋭く光り、一瞬の静寂の後、その場から跡形もなく消え去った。
それは、空間を切り裂く一閃。
動きが鈍重になった怪物は、回避を諦め防御魔法を展開した。
薄緑色に輝く透明な障壁が、巨大な体躯の正面に広がる。その刹那、漆黒の炎を纏った一本目、二本目の焔針が障壁に激突し、凄まじい爆発音と共に黒い炎が渦巻いた。
しかし、三本目以降の焔針は、まるで意思を持つかのように、展開された障壁を嘲笑うかのように、その軌道を僅かに変えた――。
障壁の手前で急激に上昇した三本の焔針は、標的であるヴァリゲーターを素通りし、巨大な大研究室の天井へと吸い込まれるように突き刺さった。
「うおおおおおお! 弾けろ!」
既に幾つもの亀裂が走っていた脆弱なコンクリートは、黒い炎の熱と衝撃によって粉々に砕け散り、天井裏に張り巡らされていた無数の配管を切り裂き、破裂させた。そして、遅れて崩壊が連鎖する。
「――……⁉︎」
ヴァリゲーターが異変に気づき、理解不能な言葉を発した時には、既に全てが遅すぎた。
逃げる間もなく、頭上から容赦なく降り注ぐ大量の瓦礫の山が、巨大な妖魔を一瞬にして埋め尽くした。轟音と砂塵が、全てを覆い隠す。
「はあはあはあ…… 上手く…… いったか」
膨大な砂塵が舞い上がり、視界が黒く染まる中、俺は肩で荒い息をついた。
未だに背中の傷口からは、じんわりとした痛みが伝わり、温かい血が流れ落ち、足元に黒い染みを広げていくのを感じる。それでも、達成感のようなものが、微かに胸に残っていた。
「けほ…… なんて無茶なことを‼︎」
瓦礫の奥から、咳き込みながら、肩口を抑えた龍士がよろよろと歩み寄る。
砂埃に塗れ、ふらふらと足元がおぼつかない彼を、俺は慌てて抱き抱えるように支える。
心配そうに俺の顔を覗き込んだ龍士は、安堵の色と共に、怒りを滲ませた声で言葉を投げつけてきた。
「……この建物自体が崩れ落ちると考えなかったのか⁉︎」
「うっ…… いや、大丈夫かなと……」
「チッ…… それより、【黒焔針】の軌道を変えるなんて…… そんな事できたのか?」
「何だか出来るような気がしたんだ」
「気がしたのか」
「ああ、気がした」
「……無茶苦茶だな」
「ああ、無茶苦茶だ」
ジロリと鋭く睨んでくる龍士に、俺は困ったように眉を顰める。すると、彼の表情は一転、堪えきれないといったように破顔した。
「まったく…… お前とい――⁉︎」
腹の底に響くような、今までとは比べ物にならないほど強烈な地鳴りが、龍士の言葉を遮った。
同時に、地下室の床が、まるで巨大な獣が暴れ始めたかのように、一層激しく、そして不規則に振動し始めた。
「――⁉︎」
激しさを増す一方の振動に、立っていることすら困難だった。
地鳴りは咆哮と化し、床はまるで生き物のように脈打ち、体全体を揺さぶる。魔力の暴走は臨界点を迎え、今にも全てを飲み込もうとする奔流となっていた。
このままでは、巨大な爆発に巻き込まれ、二人とも命を落とすだろうか―― 絶望的な考えが脳裏をよぎった、その瞬間、頭の中で乾いた音が響いた。『ガチャリ』と、まるで重厚な扉の鍵が開いたような、明確な音。
「う…… ぁ……」
途端、左目が焼け付くように熱を帯び始めた。
同時に、頭が内側から割れるかのような激しい痛みが襲い来る。
目まぐるしく、洪水のように押し寄せる様々な情景が頭の中を駆け巡る。
遠野郷での過酷な合宿、デルグレーネさん達との出会い、アルカナ・シャドウズの襲撃、カオスナイトメアとの戦い、教練部隊への入隊、そして、かけがえのない友人、久重や五十鈴と過ごした幼き頃の色褪せない記憶――
どんどんと遡る俺の記憶映像は、徐々に、しかし確実に加速していく。
目の前を、信じられないほどの速さで景色が移り変わり、まるで、走馬灯のように、俺の人生が高速で巻き戻されていく。
「あああ……」
やがて、激流のような記憶の奔流が過ぎ去った後、ゆっくりと、まるで夢の中で見るような、遠い世界の景色が、鮮明に映し出された。
異国の村。温かい光。
そよぐ風に混じる、かすかな花の香り。その中に、確かに感じた、彼女特有の優しい匂い。洗い立ての髪のような、陽だまりのような、安らぎを覚える香り。
そして、その光の中心には、いつもあの笑顔があった。屈託なく笑い、周囲を明るく照らす彼女の笑顔。
心臓が、今まで感じたことのないほど強く、激しく鼓動する。乾いた大地に染み込む雨水のように、前世の記憶が俺の全身に浸透していく。
食事の時、美味しそうに目を輝かせる彼女の姿。
どんな料理も楽しそうに頬張り、その幸せそうな笑顔を見ているだけで、俺の心も満たされた。
好き嫌いなく、何でも美味しそうに食べる彼女の姿は、周りの人々を自然と笑顔にした。
親父や仲間たちと楽しそうに語り合う声。
困っている人を放っておけない、優しい眼差し。
時折見せる、夕焼けのような照れた笑顔。
どんな時も、彼女の周りには温かい光が灯っていた。俺にとって、彼女は世界のすべてだった。彼女の存在が、彼の生きた証だった。
蘇る温かい感触。
手を繋いだ時の、少し汗ばんだ手のひらの温もり。
抱きしめた時の、頼りなくも確かな体温。
困ったように悲しい笑顔をして、俺の頬に降りそそいだ、温かな涙。
それは、俺の記憶に深く刻まれている。
それなのに……。
胸を締め付ける後悔の念が、津波のように押し寄せる。
守りたかった。ずっと、その笑顔を見ていたかった。
彼女を残して、自分だけが先に逝ってしまったという事実が、俺を苦しめる。
夢の中で何度も見てきた、ぼやけていた景色。
それは、夢などではなかった。それは、俺自身の奥底に深く眠っていた、決して忘れることのできない、愛しい記憶の一片だったのだ。
抑えきれない衝動に突き動かされ、俺の胸は張り裂けそうだった。
募る愛情と、拭いきれない後悔が、悲痛な叫びとなって魂の底から湧き上がる。
「ラウラ――――!」




