パシリ体験
「あ! ねえねえねえねえねえねえ」
今日も部活の先輩に捕まった……ってか待ち伏せされて逃げられない。
「何となく察しついてると思うけどさ……」
「お腹……すいてますよね?」
「凄い……毎日頼んでるから流石に学習してる! ねえねえ、俺の今の気持ちが分かるって事は、今俺が食いたいもんも分かってたりして?」
「……焼きそばパンですよね?」
「……やば! やばやばやばやばあ! 君は素晴らしい!」
先輩は興奮のあまり僕に抱き付いてきた。
「お前、俺に一生パシられてくれん?」
「……」
黙っていると急に抱き付く力を強くしてきた。
息が出来ず、内臓が破裂しそうになる。
「はい……一生……先輩の……パシリになります……」
「わざわざ言ってくれてありがと」
そう言うと先輩は抱き付く力を最弱にして、頭を撫でて来た。
このように、僕は一ヵ月前から陸上部の先輩にほぼ毎日パシられている。
最初の頃は先輩にパシられたら、三つのルールを守るよう言われていた。
一つ目は、三分以内に頼まれた品を買って来なければならず、もし三分以内に買って来られなかったら、僕の眼鏡が割られる。
二つ目は、料金は僕の自腹でなければならず、先輩は一円たりとも払わない。
三つめは、先輩が僕をパシリにした事を、決して周りに話してはならず、もし話したら、僕の眼鏡が割られる。
この三つのルールを絶対に守るようにと何度も口煩く言われていた。
しかし最近は言うのが面倒臭くなったのか、ルールの部分は省略されており、ルールを守れ程度しか言われなくなっている。
先輩の所為で小中学校の間で貯めて来たお年玉がどんどん無くなって行く。
僕はこんな生活を何時まで続けなければならないのだろうか。
家に帰る途中、建物と建物の間の路地裏の奥から、軽快な音楽と共に、男性の声が聞こえて来た。
「人からパシリにされている高校生の皆様、パシリ体験は如何でしょう? 人からパシリにされている自分が、今度は人をパシリにする側になれます。値段は一回五百円、是非是非、人をパシリにする体験をなさって下さいませ」
僕は路地裏から聞こえて来る音楽と声に釣られて、路地裏の奥に入って行った。
路地裏は想像以上に入り組んでいて、辿り着くのにそこそこな時間がかかった。
辿り着いた先には、洋風な家の玄関のような扉があり、扉の両サイドにはスピーカーが設置されており、そのスピーカーから、音楽と声が聞こえてきていた。
そして扉の上には段ボールが貼り付けられており、段ボールには、細かく千切った大量の紙が、『パシリ体験』と言う文字になるように、糊か何かで貼り付けられていた。
恐る恐るドアを開け、中に入ると、まるでファミリーレストランのような雰囲気が漂う空間が目に飛び込んで来た。
空間は長細くて奥行きがあり、出入り口近くの左側にはカウンターが、奥の両サイドにはソファが、そして一番奥にはこげ茶色の扉があった。
「いらっしゃいませ」
カウンターには、丸眼鏡をかけてスーツを着た、大体四十代位と思われる男性が立っていた。
「当店のご利用は初めてでしょうか?」
「は……はい……」
「緊張なさらないで下さい。ここではお客様のように、正直な気持ちや感情を必要以上に押し殺してしまう性格をしている方でも、思う存分に気持ちや感情を爆発して頂きますから。あ、申し遅れました、私、Hと申します」
「はい……あ……あの……表には……パシリ体験と書かれていましたが……」
「そうです。ここでは何時も何時も人からパシリにされているお客様が人をパシリにする体験をする事が出来る場所となっております」
どうやら本当にここでは人をパシリにする体験をする事が出来るようだ。
「あの……一体どのようにして体験をするのでしょうか?」
「ご説明致します」
するとHさんは、店内の奥にある、こげ茶色の扉に向かって手を差し出した。
「あちらの扉の先に、広大な仮想空間がございます。そこは高校や公園等の様々なシチュエーションが用意されています。どのシチュエーションがよろしいかは、お客様にお選びして頂きます」
「はい」
「シチュエーションをお選び頂き、仮想空間に入りますと、そこにはお客様よりも年下の学生がいます。後でお客様のご年齢をお聞かせ願います。後はお客様の思うがままにその学生をパシリにして下さい。そして学生がお客様のもとに帰って来たら、体験終了です」
「……はい」
「体験料は一回五百円となっております」
「本当に五百円……あの……シチュエーションとか……パシリの仕方によってかかる料金が違うって事は……」
「ございません、一律五百円でございます」
安い、あまりにも安い。
内心疑心暗鬼だったのだが、本当に五百円で体験が出来るのか。
「パシリ体験、なさいますか?」
「……はい……パシリ体験……します」
僕は財布から、五百円玉を取り出し、カウンターに置いた。
「五百円頂戴します。ではまず最初に、お客様のご年齢をお聞かせ願います」
「あ……えっと……十六歳です」
「かしこまりました。では、こちらがシチュエーションの一覧表となっております。どうぞあちらのソファにおかけになって下さい」
ラミネート加工された一覧表を持ちながら、ソファに腰を下ろした。
暫く一覧表を眺め、高校のシチュエーションに決めた。
「すみません、あの、これでお願い出来ますか?」
「はい、かしこまりました」
するとHさんは、こげ茶色の扉を見つめ始め、右手で眼鏡の位置を直す仕草をした。
その瞬間、扉の奥から低音の機械音が響き始めた。
思わず身体が跳ねてしまった。
暫くして音は鳴り止み、扉の鍵が外れるような音がした。
「準備が整いました、あちらへ」
「……はい」
Hさんは左手を奥の扉に差し出した。
恐る恐る扉に近づき、ドアノブに手を触れようとした時だった。
「あ、扉は押して開けて下さい」
「……はい……分かりました」
突然喋り始めた為、驚いた。
振り向くと、カウンターからHさんが僕の事を見つめていた。
見つめて来るHさんの目に、僅かながら恐怖を抱いた。
Hさんに向けて一回だけお辞儀をして、再び扉の方を向く。
ドアノブに手を触れ、ひねり、押す。
その先には、いたって普通の外の風景があった。
太陽、青空、自然、空気、太陽光、とても仮想空間とは思えない場所だった。
振り向くと、扉は高校の外壁にくっついているような形で付いていた。
暫く歩いていると、一人の学生がいた。
外見で年下かどうかは判断しかねるが、恐らく年下なのだろう。
Hさんは、あの学生をパシれと言っていたが、物凄く今更な事、どうやれば良いのだ?
流れでここまで来てしまったが、僕は人生でまだ一度も人をパシリにした経験が無いのだ。
あまりにも無謀すぎる……。
どうすれば……どうすれば!
「……あの……ちょっといい……かな?」
「え! な……何すか? ってか誰?」
「あー! ごめんね……あの……焼きそばパン買って来てくれないかな? あ、ごめんね? ごめんね本当に……」
「え、や、焼きそばパンっすか? 何でですか?」
「……何でって言ったら、まあ、それは、その……」
「何なんすか……」
学生は歩き出してしまった。
「あ……ちょっと待って! 待って!」
カチッ!
どこかからカチンコのような音が聞こえた後、扉からカチンコを持ったHさんが入って来た。
「いやー……大変申し訳ない」
「え……あ……あの……一体どういう事でしょうか?」
「一度だけ、お客様のパシリ力を計測する為、何の方法も伝授しないまま、パシリ体験をして頂きました」
「え? パシリ力?」
「ええ、お客様のパシリ力を計測し、お客様に見合った方法を伝授し、人をパシリにする体験をして頂く、これが本当の流れです」
「……そうなんですか」
「ええ、お客様のパシリ力の計測は全て終了致しました。これから人をパシリにする方法の伝授に入らさせて頂きます。あ、この計測はカウントされませんので、ご安心下さい」
「はい」
「ではまず……」
それからHさんに、人をパシリにする方法を伝授してもらった。
内容はとても分かりやすく、最初にパシリ力の計測を行ったおかげであろう。
数時間後、本番が始まった。
「ねえねえ? ちょっと……いいかな?」
「え? 何すか? ってか誰?」
「誰だって良いじゃん! 僕お腹すいたの」
「はあ?」
「焼きそばパン買って来てくれない? 自腹で」
「……あの……買って来る訳無いじゃないですか……」
手を掴んで……。
「俺に歯向かったらどうなるか分かったもんじゃねえぞ? あ?」
「……す……すみません」
「三分以内! 三分以内に焼きそばパン買って来い。さもないと……足踏むぞ?」
「分かりました! 買ってきます!」
学生は走って行った。
大成功だ、Hさんが伝授してくれたおかげで、人をパシリにすることが出来た!
暫くして、学生が帰って来た。
汗だくになり、息をこれでもかと言うほど切らしていた。
「焼きそばパン……買ってきました……」
「あざっす、また頼むねー」
「……」
学生の足の上に僕の足を乗せて……。
「返事」
「はい! ま……また何時でも!」
カチッ!
カチンコの音が聞こえて来て、扉からHさんが拍手をしながら入って来た。
「素晴らしい」
「……あ……ありがとうございます!」
「『三分以内に』や、『返事』と言った、アドリブを本番でするとは……恐れ入りました」
「……いえいえ」
「これで体験は以上になります、こちらへ」
扉に入り、細長い空間に戻って来た。
「また人をパシリにする体験をしたくなったら、何時でも当店へご来店下さいませ」
「……はい」
「特にお客様は、感情や欲望を必要以上に押し殺してしまう性格をなさっていらっしゃいますから、是非是非、当店を宜しくお願いします」
Hさんは深々とお辞儀をした。
「……はい! また来ます!」
僕は何だか晴れやかな気持ちになったような気がした。
しかしそれは、人をパシリにすると言う体験をしたからでは無く、僕の性格を断定して言ってくれたからだ。
「特にお客様は、感情や欲望を必要以上に押し殺してしまう性格をなさっていらっしゃいますから……」
この言葉が、僕の心の靄を消してくれた。
あれから僕は、パシリ体験に病みつきになった。
Hさんの優しい笑顔と言葉が、僕の心の支えになった。
しかしその時は突然やって来た。
パシリ体験が、突然消えて無くなってしまったのだ。
いつもはあの入り組んだ路地裏をずっと歩いて行けば辿り着けたのだが、今は殆ど入り組んでいない、普通の路地裏になってしまっているのだ。
音楽と声も聞こえて来なくなってしまった。
Hさんの存在が、頭の中だけになってしまった。
未だにHさんの言葉が頭に残っている。
「お客様……のように……正直な気持ちや感情を……必要以上に押し殺してしまう性格を……している方でも……思う存分に……気持ちや……感情を爆発して頂きますから……感情を爆発して頂きますから……感情を爆発して頂きますから……感情を爆発……感情を爆発……」
「おい! お前!」
「あ? あ……お前じゃん……」
「焼きそばパン……買って来いよ! おい! 買って来いって! おい!」
「はあ? てめえ……誰に向かって口聞いてんだ! 眼鏡割んぞ!」
「お前様に向かって口聞いてます! おい! 買って来い! 買って来い! 買って来ーい!」
頭と心にHさんがいたら、眼鏡を割られる事も袋叩きになる事も怖く無かった。
「あーあ……馬鹿ムカついた……眼鏡割るだけじゃ物足りなくなった……おい! お前!」
そう言うと、物陰に隠れていた仲間らしき人物が出て来た。
「ちゃんと撮れてるよな?」
「はい、バッチリですよ」
「お前をパシリにする時は何時も撮影してるんだ……よし……この動画、ネットにばら撒くから」
スマートフォンで見せられた動画は、先ほど僕が人をパシリにしようとしている所を映したものだった。
どうやら物陰に隠れていた仲間らしき人物がスマートフォンで撮影していたのだろう。
僕は何時も一人で人をパシリにしていた、その為、仲間と言う発想が無く、伝授もされなかった。
「この映像ネットに出回ったら、お前の人生どうなるだろうね?」
「……」
「取り敢えず、焼きそばパン買って来て? 勿論三分以内だからね? あ、買って来たら、眼鏡破壊な?」
「俺良いこと思いついたんですけど、こいつに眼鏡破壊させるって言うのどうっすか?」
「何それ……お前天才?」
「天才っす」
「自分で言うなよ」
「すんません」
「ああああ! 馬鹿! 馬鹿! お前ら全員馬鹿野郎だ! 何がお前天才? 天才っすだよ! 馬鹿野郎どもめが! ああああ! ああああ!」
「……」
「……これも撮ってますから」
「気が利くな」
「あざます」