ガランサス
[短編] [ダーク] [ファンタジー度★★★]
第一章 ――開花――
『かの救国の勇者・スノウドロップが逝去。葬儀は次の望月の日、王都にて執り行う』
そこまで読んで、少女は手元の紙を折り畳んだ。まだあどけなさの残るその顔に、微笑みにも似たうっすらとした表情が浮かぶ。
「ガランサス」
闇の中より響いてくる、まるで質量すらも持つかのような重く沈む男の声。
ふわり、少女の纏う黒色のドレスが広がり揺れて、踵の高い華奢な靴は軽やかに声の元へと駆け寄った。その足下で踏まれた小石が粉々に砕けていく。勇者スノウドロップが旅路の果てに魔王を封じ込めた魔法、それが破られ飛び散った封印の結晶が。
己を呼んだ声に応え、少女はいっとう深く沈んだ暗闇のさなかひざまずいた。長いまつげに縁取られた暗い瞳は見上げる。深い深い闇の中。そこにはひざまずくべきものなど何もないように思える。だが、少女にとっての主人はその深い深い闇の中に居た。
闇の中より男の沈んだ声が、それでもどこか喉奥でクツクツと笑うがごとく楽しげにこう告げる。
「我らも行かねばなるまいな。親愛なる、勇者様の弔問へ」
ガランサスはこうべを垂れて、黒きその御手に口づけた。
国王が勇者の訃報を出したその日から、国内各地で弔問のため王都を目指す動きが発生した。ごく普通の村人から位の高い貴族まで様々な、だがいずれも勇者へ深い思い入れのある人々。各地を旅して世に平和をもたらした勇者なのだから、それも当然のことと言えるだろう。
魔王が君臨していた頃と違って、洞窟や深い森の中はおろか街道にまで蔓延っていた魔物どもは今やすっかり消え失せた。魔物と戦う術を持たない人々が旅をするのに、もう何の心配もない。愛すべき勇者に思いを馳せながら人々は、その彼女へあまりにも早い別れを告げるため王都へと向かった。
その一方で勇者にゆかりある町や村は、弔問に向かう住民の一団を送り出した後、巡礼を兼ねて訪れる旅の人々の歓待に精を出した。
今もこうして、一台の馬車が集落の入口に停まる。そこから男女二人が降りてきた。
喪に服してだろう。その訪問者は全てを黒一色で固めていた。黒い馬車に黒い馬。男の方は長い黒髪を優雅に束ね、重厚な生地で作られた立派な黒いマントに身を包んでいる。まだ少女の歳の頃に見える女の方は黒のドレスを纏い、細い首にドレスと揃えの生地のリボンを巻いて、顔には黒いレースのベールをかけている。
その二人から漂う雰囲気に住民たちは、大っぴらには明かせないのだろうがさぞや高貴な方なのだろうと確信した。お供もつけずに旅に来られて苦労なされているかもしれないと、その二人組ににこやかに声をかける。
「どうもこんにちは、旅のお方。勇者様のゆかりの地へようこそいらっしゃいました。よろしければ、ご案内をさせていただいても?」
「勇者様には、本当に本当にお世話になって」
「ええ、我々も大変、世話になったのですよ」
案内をする住民のその言葉に、黒衣の男はそっと口元だけで上品に微笑んで見せる。
どこの村も町もみな同じように、その集落で一番目立つところにそれぞれ思い思いに創り上げた“勇者スノウドロップ”の像を建てている。二人を案内した者はいずれも、その像の前でたいそう誇らしげに勇者の功績を語った。
「勇者様は、水の魔法に特に長けていらっしゃいました。井戸が枯れて困り果てていた我が村に、その魔法で水をもたらしてくださり、さらに水源に居座っていたという魔物のことを突き止め、見事それを倒してくださって……」
とある村にて、村長はそう語る。
「勇者様は、癒しの歌を奏でられました。謎の病の蔓延に苦しめられていた我が町の人々をその歌でもって癒していただいたのみならず、病の原因であった瘴気をまき散らしていた魔物を見つけ出されて、そやつの討伐をもなされたのです」
とある町にて、町長はそう語る。
「勇者様は剣の鍛錬の他、魔法の研鑽にもたいそう熱心に取り組んでおられました。果てには封印の魔法すらも習得されて、それによりかの魔王を封じたと……。あれはそう扱えるものではない。さすが、勇者になるべくしてなったお方と言えましょう」
とある教会にて、司祭はそう語る。
「ええ、ええ。存じておりますとも。音に聞く勇者様の輝かしい功績ですからね」
それらの話に、男は穏やかに返答を重ねた。細められた切れ長の目、引き上げられた口角。それは誰の目にも、物腰柔らかく控えめに微笑んでいると映った。
一方で、少女の方は一切声を発することはなかった。うなずいたり微笑んだりすらもしない。男の傍ら、その腕にそっと手を組んで、うつむき加減に目を伏したままで。そのうつむいた顔にかかるは黒いベール。その細い首に巻き付くは黒いリボン。それが妙に印象的だった。
王都に近づくにつれ、またそれと同時に葬儀の日が近づくにつれ、集まった人々の数も次第に目に見えて増えていく。
黒い馬車が勇者の葬儀の前日に訪れた、王都の一つ隣の町。ここもたいそう多くの人でごった返していた。
町の案内、つまりは勇者像への案内役を買って出た町の入口で出会った男は、二人が今日この町に泊まるつもりでいるのだと話の中で聞いて、困ったような顔をした。
「旅のお方、あいにくですが、今日はもうどこの宿も満室かと思われまして……。私、この広場のすぐそこにある宿屋の店主なんです。今は明日の準備の買い出しに回っていたところだったのですよ」
そこまで言って、宿屋の店主はふうむと腕を組んだ。
「ですが、お二方をこのままお帰しするのも忍びない」
店主は改めて、黒衣に身を包んだ訪問者二人を見る。剣を高く天に掲げるポーズを取った勇者像の下、店主は一つ大きくうなずいた。
「そうだ。実は、一つだけ空いている部屋があるのです。普段は誰にもお貸ししていない部屋なのですが……。これも何かの縁でしょう。よろしければどうぞ、そちらのお部屋にお泊りください」
鍵を回し、扉を開け中に入る。「以前、勇者スノウドロップ様がお泊りになった部屋です」そう案内された一室に。
「ほう、ここがかの勇者様の泊まられたという部屋、か……」
男は木造の部屋の中を見回しそうつぶやいた。喉奥でクツクツと笑うがごとく楽しげに。少女が言葉を返さないので、それはまるで独り言のようになる。構わず、男は続けた。
「どうだ、居心地は。何か変わったところはあるか?」
少女は無言のまま部屋の中を歩いて、一つの窓に手をかける。開け放ったそこからはちょうど勇者スノウドロップの像が見えた。剣を掲げる、勇ましくも可憐な立ち姿。つい先ほど、宿屋の店主の口より嬉々としてその輝かしい功績を聞かされたばかりの。
少女は口元をキュッと引き結んだ。それはまるで、苦虫を噛み潰したのをどうにか吐き出さんと堪えたかのように。
少女は折り畳んだ紙を取り出す。角は破れ、クシャクシャにしわがつき、赤茶けた染みすらもついている汚れた紙。……勇者の訃報を伝える紙だ。
『かの救国の勇者・スノウドロップが逝去。葬儀は次の望月の日、王都にて執り行う』
少女が黒いベール越しにその文面に目を通すと、男は肩を揺らし音もなく笑った。
時は夕刻に差し掛かり、開け放った窓からは白くぼんやりとした月が浮かんでいるのが見える。その形は限りなく、完全なる円に近づいて。
「なぁ、ガランサス。いよいよ明日だ」
少女は窓を閉ざすと、その薄暗い闇の中、男の元へ歩み寄ってひざまずく。男の黒の手袋をはめた手を取って、そのひらにそっと口づけた。暗い瞳を、ベールの下に隠して。
第二章 ――萌芽――
勇者スノウドロップの葬儀の日。王都の街道にひしめき合い並び立つ人々の頭上で、乾いた鐘の音がガランガランと鳴り響く。
勇者の亡骸が収められているという棺が、王都の広場に設けられた安置所から、人々の間を通って王城へと運ばれる。棺を運ぶは、国王に仕える戦士にして、勇者と共に旅に出た仲間たち。
勇者の棺を担ぎ上げ、葬列はやがて王城に至る。儀式が執り行われるのは城の大庭。参列者が見守る中、王の前、設えらえた白い台に勇者の棺が降ろされる。
王はその棺を前に、立ちあがりその口を開いた。
「おお、よくぞ戻った、勇者よ。長き旅路を終え、そなたは再びここへと帰って来た」
王の声が、重々しく言葉を紡ぐ。
「これまで大変ご苦労であった。その輝かしい功績は、この国にていつまでもまばゆい光を放つであろう。そなたは、ゆっくりと休むが良い」
王の言葉が終わると、棺の周りを囲み控える勇者の旅の仲間たちは、声をそろえて言った。
「勇者スノウドロップ、僕たち私たちは、君を送り出そう。……次の、永き旅路へ」
言い終えると、かつての勇者の旅の仲間たちはみな一様に目に涙を浮かべた。
その時。
ジュッと灼けつくような音がし、旅の仲間たちはうめき声を上げて目を押さえた。そのまっすぐに背筋を伸ばした姿勢が崩れる。参列者の間に不安に満ちたざわめきが一挙に広がった。
そのさなか、不釣り合いなほど明るく軽やかな笑い声が上がった。少女の笑い声だ。耳に聞こえた、というよりも、頭に響いたという方が近しい。
集まった人々はバッと顔を上げる。
「魔物だ!」
誰かの声がそう叫ぶ。
みなの視線の先、黒衣に身を包んだ少女の姿が、勇者の棺を踏みつけにして立っていた。その顔は黒いベールの下。首に巻かれたリボンは音もなくたなびく。
「なぜ魔物が! 魔王は封印されたというのに!」
体勢を立て直した勇者の旅の仲間、国の英雄たちが武器を抜き構えた。
それを見て、突如現れた少女の姿をした魔物はまた軽やかな笑い声を上げた。それはやはり空気を震わせることなく、直に人々の頭の中に注ぎ込まれる。
「おのれ、平和を乱す魔物め!」
突き出される剣に杖先に。幾重にも飛び交うそれらを、体をわずか仰け反らせるだけでいとも容易く少女はかわす。巻き起こった風で黒のベールが揺れた。少女の顔が露わになる。誰もが知る、かの勇者スノウドロップと同じ顔が。
少女はまだあどけなさの残るその顔に、微笑みにも似たうっすらとした表情を浮かべた。
◆
それは、魔王の卑劣な罠だと少女は思った。いや、実際、卑劣な罠だったのだ。
国の営む孤児院で勇者として育てられた少女は、魔王を討つため白き剣と仲間とを与えられて旅に出た。道中には数多の困難が立ち塞がったがそれらを跳ねのけて進み、ついにはその旅路の果てに魔王と対峙する。
魔王チェルノゼム。この国、この世界を、暗く沈む果てなき黒の中に飲み込まんと目論む、魔物どもの頭領。黒い髪に黒い衣の男の姿。それが魔王城の最奥、深い深い闇の中にて座す。
魔王と相対した時。一瞬、勇者スノウドロップはその視界を何か魔法で奪われた。周りの景色も仲間の姿もみな自分の周りから消え去って、闇に包まれた己の視界には黒衣を纏った魔王の姿しか映らない。
魔王は静かに口元を歪めていた。その表情は、悲しみ、いや、哀れみ……? そうスノウドロップが感じた瞬間、魔王はその口を開いた。油断などするものですか。勇者である少女は、白い剣を構える手にいっそうの力を込めた。
闇の中より響いてくる、まるで質量すらも持つかのような重く沈む魔王の声。
「とうとう、がらんどうの虚像すら寄越してくるようになったか」
勇者スノウドロップは眉をひそめた。
「こう目の当たりにすると、実に哀れで愚かで滑稽だな。虚像が実像と成り代わっているなどというしろものは。それに自覚がまるで無いのが、更に滑稽だ」
魔王チェルノゼムのその言葉からは、おかしなことに敵意などは感じられない。
「お前は利用されているだけに過ぎない。用が済めば捨てられるのが落ちだろう」
「先ほどから、何の話です? ……どうせなら、もっとましな嘘をつきなさい」
少女は思わず口を開いた。無視を決め込もうと思っていたが、魔王の口から放たれた言葉はあまりにも荒唐無稽なものだと感じたからだ。こんなので、精神干渉の類の策略のつもりなのだろうか。
「すまぬな。どうにも、楽しい嘘をつけぬたちゆえ」
きっぱりと撥ねつけた少女のその反応を、魔王はさして気にする風でもなく平然とそう言って笑った。スノウドロップの口から呆れの溜め息がついて出る。もはや怒りすら湧いてこない。こんなの、時間の無駄だろう。
「減らず口はもうけっこう。悪しき魔王よ、光の下、成敗します!」
「ああ、光によって成る“勇者”なら、そう言うであろうな」
相も変わらず皮肉めいた減らない口を抜け抜けと叩く男を前に、勇者スノウドロップは王から賜りし白き剣を、天にかざすように振り上げる。途端、己の周りを囲む闇が晴れていく。元の景色が、仲間たちの姿が、少女の視界に戻って来た。
「魔王、覚悟……!」
かくして激しい戦いの末、魔を封じる封印の結晶が成る。見上げるほどに大きな結晶、その鏡のような広い面。そこには、白い衣服に身を包んで白い剣を携える少女、勇者スノウドロップの姿が映し出されていた。
勇者スノウドロップは仲間と共に王都へ帰還する。勇者として育てられ、幼い頃からずっとずっと思い描いてきた願いが叶った。ついにかの魔王を封じて、この国に平和がもたらされたのだ!
それを旅の仲間と喜び合う。少女は、これ以上なく満ち足りた気持ちだった。
(……あの魔王の言葉は、いったい何だったのだろう)
その満ち足りた気持ちの中でふと、そんな考えが少女の頭をよぎった。直後、馬鹿馬鹿しいと心の中で一笑に付す。
あれは、あんなのは、不安を煽り心を掻き乱そうとして失敗した、魔王の仕掛けた卑劣な罠だ。もしかして、これまで魔王に挑んだ者の中にはそういった手に引っかかって敗れた者もいたのかもしれない。でも、自分には何の効果もなかった。無意味なこと。ただの、もう虚空に消え去った戯言だ――
魔物のすっかりといなくなった、もう剣を抜く必要もない、長い旅からの帰り道。「君は休んでいなよ」と言ってくれた仲間の言葉に甘え、少女は馬車の中にいる。
ガタガタと揺れる馬車。その窓から外の景色をぼんやりと眺めて、スノウドロップはふぅと、人知れず溜め息をついた。空には細い月が、薄く笑うように浮かんでいた。
旅の仲間たちに連れられ帰還した勇者を、王は城の大庭にて満面の笑みで迎えた。
「おお、よくぞ戻った、勇者よ。長き旅路を終え、そなたは再びここへと帰って来た」
王の弾んだ声が言葉を紡ぐ。
「これまで大変ご苦労であった。その輝かしい功績は、この国にていつまでもまばゆい光を放つであろう。そなたは、ゆっくりと休むが良い」
スノウドロップはひざまずき、賜った白い剣を王へと返還した。そういう取り決めで出立したのだ。王がうむとうなずき、勇者の白き剣を少女の手から取り上げる。旅の仲間たちから静かに拍手が起こり、その中で少女は微笑んでその顔を上げた。
その時。
「グ……ッ、……?」
グラリと傾く視界、その場に崩れ落ちる少女の体。
(魔物の奇襲ッ? 馬鹿な、今まで一体どこに隠れて……!)
少女はとっさに癒しの歌を奏でようとした。しかし喉からはくぐもった水音がごぽごぽとこみ上げるのみ。
自分の喉へと手をやる。揺らぎぼやける少女の視界に映る、自分の元へとまっすぐに伸び深々と貫き刺さるもの。それには見覚えがある。この白い刀身は、勇者の……――
膝をついたところから、さらにガクッと体勢が崩れる。体から血が、命が、生命の水が、否応なしに成すすべもなく流れ出ていく。少女は奔流に溺れたように、息をしようと振り仰ぐ。
走馬灯が始まったのかと思った。走馬灯だと思った。走馬灯だと思いたかった。
今、自分の周りを囲むのは、“旅の仲間たち”。
(どう、し、て――)
――お前は利用されているだけに過ぎない。用が済めば捨てられるのが落ちだろう――
視界が明滅する。その闇の中であの時の魔王の言葉が響いてくる。そして今度こそ少女の脳裏に走馬灯が流れ出す。これまで気がつきもしなかった小さな小さな違和感を少女に与えながら。
孤児の自分、何故? 勇者として育てられ、何故? 王より仲間を与えられ、何故? 考えてみれば考えてみるほど。それは植えつけられた種のように、あるいは切込みを入れられた球根のように。
剣が喉を貫きそこから血を失って、すっかりと動かなくなった少女の身体が棺の中に転がされた。
「勇者スノウドロップ、僕たち私たちは、君を送り出そう。……もう旅は終わった」
言い終えると、かつての勇者の旅の仲間たちはみな一様にその手を動かした。空に昇る半分の月は、大きく口を開けて笑っていた。
棺の蓋が閉められる。闇の中。周りの景色、仲間の姿、もう見えない。もう、見えない。
見上げるほどに大きな結晶の前。その鏡のような面に反射する。血を吸って黒ずんだ衣服、喉を深々と貫いて刺さったままの剣。
結晶の内側にて、魔王は静かに口元を歪めていた。その表情は悲しみなのか哀れみなのか、それとも。響いてくる男の沈んだ声は、それでもどこか喉奥でクツクツと笑うがごとく楽しげに。
「どうだ。だから楽しい嘘をつけぬと、そう言ったであろう、うん?」「
勇者であった者はひゅうひゅうと喉から息を漏らす。息そのものをしようとして、ではない。人としての息などはもうとっくに止まっている。少女は何か言葉を綴ろうとする。しかしそれは上手くいかない。ただひゅうひゅうと喉だけが鳴る。
「聞こう。お前の望みを心に浮かべるが良い」
少女は封印の結晶に手を伸ばし、その表面に触れた。魔法の呪文を唱えようとする。しかし少女の穴の空いた喉が空しく鳴るばかりで、そこには何の変化も起こらない。
『心で唱えよ。それで充分だ』
魔王の声が空気を介さずに頭の中に響き、少女はそっとその瞳を閉じた。
それは、魔王の卑劣な罠だと少女は思った。いや、実際、卑劣な罠なのだ。それでも良いと。それならそれで良いと。それならそうの方が良いと。少女はそう思った。
結晶にひびが入り、それはみるみるうちに広がって。次の瞬間には、大きな音をたてて封印は砕け散った。
深い深い闇が溢れ出す。それに包まれ、少女の姿が変わった。
血に染まった衣服は漆黒のドレスへ。無骨な重たいブーツは踵の高い華奢な靴へ。喉元を貫く白い剣は傷を覆い隠す黒のリボンへ。
少女は自分の姿をまじまじと見下ろした。その目が思わず丸くなる。これまで生きてきた間には、願ってもみなかった格好。少女は、自分がこの変化を嬉しく思っていることに気がついた。少なくとも、鏡となる結晶が先ほど砕け散ってしまったことをどこか残念に思うくらいには。
ドレスが広がる様をもっとよく見ようと、少女はその生地を持ち上げかけた。するとその折、少女は自分の手に何かが握りしめられていることに気がついた。
見ると、それは乱雑に丸められた一枚の紙。少女はその紙をそっと開く。角は破れ、クシャクシャにしわがつき、赤茶けた染みすらもついている汚れた紙だった。
『かの救国の勇者・スノウドロップが逝去。葬儀は次の望月の日、王都にて執り行う』
そこにはそう記されてあった。大きさからみると、国のいずこかに貼り出された、勇者の訃報を伝える紙のうちの一枚だったのだと思われる。
そこまで読んで、少女は手元の紙を折り畳んだ。まだあどけなさの残るその顔に、微笑みにも似たうっすらとした表情が浮かぶ。
念話により、その紙に記されていた内容は闇の中に座す魔王にも伝わったのだろう。
「ガランサス」
闇の中より響いてくる、まるで質量すらも持つかのような重く沈む男の声。それが今の自分に与えられた名だと、少女は理解した。
ふわり、新しい主人の元へ駆け寄る。踏み砕く結晶の破片。
闇の中より男の沈んだ声が、それでもどこか喉奥でクツクツと笑うがごとく楽しげにこう告げる。
「我らも行かねばなるまいな。親愛なる、勇者様の弔問へ」
植えつけられた種のように、あるいは切込みを入れられた球根のように。それは黒き闇の中で芽吹く。闇の中で豊富な養分を与えられ、根を張り、育ち、やがて首をもたげて花が咲く。その根に耐え難い毒をはらむ、清楚で可憐な白き花が。
かくして、かつての勇者スノウドロップはこうべを垂れて、魔王の黒きその御手に口づけた。
◆
第三章 ――結実――
水を打ったかのように静まり返った城の大庭。集まった群衆も、王に仕える戦士たちも、その場に立ち尽くす国王も、誰一人として声を上げない。空気が張り詰め固まっている。それを一切揺らすことなく声が届く。明るく楽しげな少女の声が。
『勇者様のご葬儀が執り行われるとお聞きしたので、不肖この私も、遠き地より急ぎ駆けつけさせていただいたんですよ』
その“勇者様”が眠るという棺を平然と踏みつけにしたままで、少女はしおらしく眉尻を下げて言葉を吐いた。
『ここに来るまでの間に、勇者様の像をたくさんたくさんお見かけしたわ。皆様、勇者様のことがたいそうお好きなのね』
そう言ってのけるベールの上がったその顔は、国のあちらこちらに建てられた像とまったく同じ。しかしその服装は違い、その色合いは違う。このような姿をした少女の像は、国のどこにも存在しない。
『……では、その勇者様がご逝去された経緯は知ってらして? 皆様は勇者様の死を悼みにいらしたんでしょう? 国王様から何かお話はありませんでしたか?』
フフフッと笑うように少女はその肩を揺らした。
『それとも、まだこれからなのかしら? だとしたらごめんなさい。私、どうしても気になってしまって!』
少女はにっこりと微笑む。
『それにしても、ああ、間に合って良かった! これも、我が王のおかげですね』
少女の眼下で立ち尽くす国王は、その言葉にたじろいだ。
『いいえ、あなたではありません』
少女の声がクスクスと告げる。
『お出でくださいませ、我が王よ!』
高らかに響く少女の声。途端、辺りが闇に包まれた。そのとばりのように下りた闇の中、地の底から浮かび上がるように、一人の男の姿が現れる。
長い黒髪を優雅に束ね、重厚な生地で作られた立派な黒いマントに身を包んだ男。細められた切れ長の目、引き上げられた口角。それは誰の目にも、物腰柔らかく控えめに微笑んでいると映った。全身から放つ禍々しさに似つかわしくないほど穏やかに佇むその者は、かの勇者スノウドロップによって封印されたはずの魔王チェルノゼム。
「ああ、ガランサスよ」
質量すらも持つかのような重く沈む声で「ガランサス」と呼ばれた少女は、魔王の傍ら、その腕にそっと手を組んだ。
男の沈んだ声が、それでもどこか喉奥でクツクツと笑うがごとく楽しげに、眼前の王や戦士や群衆やらという有象無象にこう告げる。
「我が配下が、かつて随分と世話になったとのこと。此度はその御礼をしに参じた次第で。この私自身も、此方へはいずれご挨拶申し上げたいと思っていたところ。それが叶ったこの機会に感謝申し上げる。……ああ。勇者様のことは、大変残念でしたね」
魔王は傍らに控える少女に視線を向けて促した。
「ガランサス、お前も別れを告げると良い」
『ええ、我が王よ。では、まずは……』
ふわりとその場に浮き上がり、指先一つすら動かさず、魔法の力でもって棺の蓋を開けるガランサス。誰にもそれを止められない。
その中、勇者である少女の亡骸が眠っているはずの棺は空っぽだった。
『あら』と少女の声がわざとらしく響く。その暗い瞳が国王を見据えた。
『せっかくこのように立派な棺をご用意いただきましたのに、中を空にしてしまって申し訳ありません』
ガランサスはにっこり笑う。
『代わりに、御身がこの中に入られては?』
勇者スノウドロップが得意としていた水の魔法。それが反転して作用する。国王の体から血が、命が、生命の水が、否応なしに成すすべもなく干上がって消えていく。断末魔を上げることすら許されず、干からびたその体が棺の中に転げた。
広場は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。逃げまどう人々、こだまする悲鳴。
「うむ、良き調べだ」
それに耳を傾け、満足げに魔王は言う。
「お前も、そうは思わぬか」
そうして差し伸べられた黒き手を少女は迷いなく取った。
「ッ、思いあがった魔物め……ッ!」
“勇者の仲間”だという、先ほど干からびて死んだ王の配下どもが切りかかってくる。
『もう、邪魔をしないで』
ガランサスは片方の手を魔王に預けたまま、落ち着き払って“仲間”たちを見やった。首に巻かれた黒いリボンにもう片一方の手をかける。その端を掴み、一思いにシュルリとほどいた。
途端、リボンは黒に染まった剣へと変わり、少女の喉にぽっかりと空いた風穴が露わになる。少女の声が、満ち足りたように響く。
『もう戦いの時は終わったのよ。今は平和の世なの。この前それを叶えたばかりじゃない。誰も彼も知っているでしょう? だから私、喜んで奏でるわ。この歌を』
少女の口が開かれ、その喉から奏でられるは、癒しの歌、その反転。
かつて国の人々を、旅の仲間たちを、あまねく癒したその歌は今、誰も彼も分け隔てなく命を奪う。国の英雄たる戦士たちは、辺りで逃げまどう群衆たちと何ら変わりなく、あえなくその場にバタバタと倒れていった。
歌の調べが美しく響き渡るたびに、その後ろで伴奏をつとめていた音が消えていく。つまりは、人々の上げる悲鳴が。
最後の旋律が奏でられ、城の大庭はシンと静まり返った。集まった群衆、王に仕える戦士たち、国の王、その誰もがもう声など上げられない。少女が奏でた歌の残響が、闇の中に消えていく。
そこに拍手の音が一つ響く。
「素晴らしいレクイエムであったな」
『チェルノゼム様』
少女ははにかむように笑った。魔王はそれに微笑みを返す。
「さて、葬儀も終いだ。会場は綺麗に片さねばな」
魔王はスッと片手を上げる。すると、地面に積み重なった人間たちの体がどろりと腐り落ちるかのように溶け出した。その下にある地面も見るまに黒く変色し、ずぶずぶと地上にあるもののことごとくを飲み込んでいく。
そしてそれはこの場のみにあらず。黒き腐敗は次第に波及していき、とどまることを知らない。国の滅びを食い止める勇者などというものはただの虚像で、もはやどこにも居ないのだから。
国は文字通り腐り落ち、黒に飲まれて消えていく。城も、町も、村も沈んだ。無論、各地に建てられた勇者像も、すべて。
かくして国は、魔王の目論み通りに、暗く沈む果てなき黒の中に飲み込まれ沈んだ。それを少女は、ただ黙って静かに眺める。
そこへ、魔王から声がかかった。
「さて、お前には褒美を取らせねばだな。今一度聞こう。お前の望みを心に思い浮かべるが良い」
少女は男の方を向いた。まっすぐにその顔を見つめる。
『私の、望みは――』
少女は、魔王と相対した時のことを思い返す。
はじめに向かい合ったあの時。魔王からの言葉がなかったら、国のはかりごとなど知る由もなかった。帰還した王城でそのまま、刺し貫かれた意味も何も分からずただただ死んでいっただけだっただろう。その後に、使い勝手の良い勇者スノウドロップの物言わぬ虚像のみを残して。
……知らなければ、何も気づくことなく死ねていたものを。実際、あれはつくづく魔王の卑劣な罠だったのだと、こうなった今でさえも思っている。
皆が求めたのは勇者の偶像虚像。かつての私はそれを映し出すためだけに在った。それを知ってしまったが最後。その作られた輝かしい偶像、歪められた綺麗な虚像が良いように扱われるのを、許せない、認められない。
だから次に向かい合ったあの時。封印からの復活を遂げること。この国を黒き闇に沈めること。それらを果たすため魔王に利用されたということも、すべて分かった上でその手を取った。
きっと人々に望まれたままの “勇者”なら、その暗い希望に屈しない。だけど私はそれを是とした。なぜなら“勇者”はとうに死んだのだ。ならば、亡き者は無き物に。そう願う毒持つ花が正しく咲いた。ただ、それだけのこと。
少女は地面に座り込んだ。漆黒のドレスが黒い土の上に広がり、あたかもそれと一体となったかのように見える。
次いで少女は黒い剣を両手で持ち直すと、そっと静かに癒しの歌を口ずさんだ。反転したものではない、本来の癒しの歌を。
剣の刀身が純白に変化する。それを見届けると少女は剣の向きを変え、自らの穴の開いた喉にそれを差し込み貫いた。首からは、血ではなく白い光が溢れ出る。魔王は、ただ黙ってその光景を見ていた。
『――“勇者スノウドロップ”の虚像を、この世から完全に消し去ること』
凛と通る少女の声が、念が、魔王の耳に届いた。あの封印の結晶の前で紡がれたのと同じ言葉が。少女の体は白い光に包まれていく。
「その魔物ガランサスの姿もまた、勇者スノウドロップより生まれた虚像だと。そうお前は言うのだな」
魔王の言葉に、まばゆい光の中で少女はうなずく。
「我としては、剣と魔法を操る魔物を我が側近に迎えても、とも思っていたのだが」
『お心に沿えなくて申し訳ありません、魔王様』
魔王はフ、と笑みをこぼした。
「まぁよい。望みを叶えると言ったのは我だ。楽しい嘘はつけぬたちゆえ、な」
『ありがとうございます。これですべてのがらんどうの虚像が消えて、私は私自身を、生きて死ぬことができます』
魔王はうなずく。そうして、姿の消えつつある少女に向かって別れの言葉を告げた。
「さらばだ、根に毒はらむ白き花よ」
魔王の声を最期に聞いて、少女はその瞳をゆっくりと閉じた。
黒い土がただただ広がる大地。かつてそこには、一つの国があったという。
噂によると、復活した魔王ただ一人の力によりその国は滅ぼされたのだと言うが、それも果たして定かではない。
黒くどこまでも広がる大地と、そこにぽつり咲く小さな白い花。今はただそれだけが、ここに存在するすべて。
白き花はこうべを垂れて、黒きその土に口づけた。
Fin.
【登場人物の名前由来】
スノウドロップ:小さく白い可憐な花をつける。花は下向きに咲き、まるでうつむいているようにも見える。その根には毒を持つ。花言葉は「希望」「慰め」「気晴らし」「あなたの死を望む」など。別名ガランサス。
チェルノゼム:黒色をした土壌。腐植を多く含み、養分が豊富。
「悪役♂×少女アンソロジー」寄稿作品
アンソロジー公式サイト様:https://villainxvirgin.studio.site/




