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彼方、同舟の友よ

[短編] [ミディアム] [ファンタジー度★★☆]

 思い出話をするのは得意ではなかった。自分の中に降り積もったものは、炎に燃やし尽くされた後の灰塵でしかない。そう自覚していたから。今はただ一人、静けさの中で歩みを進める。


「あら」

 旅の途中、川のほとりで。私は一人の男と鉢合わせた。若そうな顔つき。自分と近しい歳の頃くらいだと見て取れる。だが特筆すべきはそこではない。

 その男は私と、不思議と同じ白い外套(ローブ)、不思議と同じ白い(ロッド)、不思議と同じ白い出で立ち。……いや、それも別段「不思議」では無いか。ここにこうして来ている以上、目的の地は同じということなのだから。

「おや」

 実際その男も、この場で己と同じ格好をした()と鉢合わせたことに、一定の驚きはあれどそれは別段大した驚きではない、といった絶妙な具合で軽く眉を上げた。

 そこへ、ウホンと一つ咳払いの音がした。川岸に舟を着けている渡し守のものだ。その痩せ細った渡し守の老爺の(むくろ)のように落ち窪んだ目は、「乗るのか、乗らないのか」と、立ち止まっている私たちを刺すように見る。

「では、一緒に」

 私とその男は、どちらからともなくそう言った。

 渡し守の老爺はずいと、無言のままでしわがれた手を差し出した。目の前の男は、軽く微笑みを浮かべてうなずき口を開く。

「分かっていますよ、ご老体。一人きっかり、銅貨一枚」

 私と男はそれぞれ渡し守の手に銅貨を乗せる。老爺は二枚の銅貨を目にも止まらぬ速さで懐に仕舞い込むと、丸まった背をこちらに向けて櫂を手にした。

 私と男はその後ろに乗る。そうして小さな舟はゆっくりと静かに滑り出した。シンとした深き青たる冥色の空の(もと)、星々の光が浮かび縷々(るる)と流れる川の中を。


 腰を落ち着け首を回し、舟べりから川面へと視線を落とす。川の流れも舟の速度も、とてもとても「速い」とは言えない。目的の地まではしばらくかかるだろう。

「少し、お話ししませんか?」

 そう声をかけたのはどちらからだっただろうか。私と乗り合わせた男は、互いに他愛ない話を交わし始めた。

「穏やかな天気で良かったです。……と言っても、きっとここはいつもこうなんでしょうけれど」

「そうかもしれませんね。話には聞いていましたが、ここは本当に星々が良く見える。良い場所です」

 ただ景色を見て思ったままの事を口にする、それだけの本当に取り留めもない会話。互いに旅の道中だからこその、この場限りの会話。別れた後で次に日が昇る頃には、その前までに見た夢と同じように自ずと忘れていってしまうような会話。

 この会話はそういうものだと理解していた。そしてそうであることが心地良かった。今の私にはこれが必要で、今の私にはそれで充分だった。


 この身に着けた旅装束一式は、染みや汚れなどはどこにも見当たらない純白。もう体のどの傷も痛まない。この旅に出た時点で、体の痛みというものからは解放され、一切無縁のものとなった。

 目の前の、穏やかな顔で穏やかな声を発する男の顔を見る。この男と顔を突き合わせるのは初めてではない。よく知っているはずの、其の(じつ)よくは知らない、男の顔。ここに来る前、私が殺し、私が殺されたその相手。

 ここは死者の国。この歩みは巡礼の旅路。空はシンとした深き青たる冥色を(てい)し、川は縷々(るる)と流れ星々の光を浮かべる。


 私たちは生前、互いにこれ以上無いほどの仇敵だった。真っ二つに分かれて対立した頭領同士。生まれた時から「そうあれかし」と定められていたもの。戦乱の世の中、その中心に生まれついた者同士の宿命。私とこの男は数多の戦場で幾度となく相まみえ、そしてその果てに互いの胸にとどめを刺し合った。

 私たちが足を進めたあとには戦火しかなかった。歩めば歩むほどに炎は燃え盛り、その後ろに灰塵だけを残していった。

 私たち自身、そして私たちの間にあるすべての「思い出」はみな、「争い」と同義でしかない。それだけが、自分の中に降り積もったもの。だから、思い出話をするのは得意ではなかった。取り留めもない話をして穏やかな時を過ごすことですら、今こうして「旅人」になってから初めて享受できたもので。


 舟の動きが止まった。ここが目的の地だ。

「しばしの、良い休息でしたね」

「ええそうですね。良い時間でした」

 私たちは旅人同士微笑み合って、舟の中で立ち上がる。

 そうしていよいよ舟を降りる時。渡し守の老爺は無言でずいと、しわがれた手を差し出した。その手には二枚の貝殻の器。私たちがそれを受け取ると、渡し守の老爺は何やら身振り手振りをして見せた。

 もう分かっている。渡された貝殻の器にこの「忘却の川」の水を汲み、それを一口飲むという決め事。生まれ変わって次の肉体に魂が宿る際に、前の肉体での出来事を忘れるように。それが、この巡礼の旅路の最後の儀式だ。

 舟の上で身を屈め、忘却の川に貝殻の器を差し入れる。二つの波紋が広がり、川面に映る光を揺らめかせながら溶け合って消えていった。


 私たち亡き後。あの世界は「平和」になるだろうか。なってほしい。なってくれ。 ことごとくを燃やし尽くして灰にしかなり得ない遺恨などは、すべてすべて。忘却の川の清冽なる水よ。この一口が、あの地に這う炎を消し去る一助となれば良い。私たちは祈るような気持ちで、ぐっと器を傾ける。そして一口。


 そうして私たちの足は彼岸に至る。

「では」

 そうごく短く言い合って、私たちは別れた。「また」だとか、「どこかで」だとか、そういった言葉は互いに口にしなかった。

 でも。もしもまたどこかで出会えたのならば、その時は。平和になった世の中で、川面の光を眺めつつ、何でもないような話を交しあいたい。そうしたらそれがきっと、のちに誰かにそっと話したくなるような、思い出の一つになるのだと思う。



お題:文頭を定めた短編 文頭「思い出話をするのは得意ではなかった。」

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