いつかにいっか〈中〉
[短編] [ミディアム] [ファンタジー度★☆☆]
※3分割して投稿しています。こちらは「上・中・下」のうちの「中」です。
「嘘だろおい……」
起き抜けに手元のケータイをひっつかんで、その液晶画面、映し出された文字列を、俺は食い入るように見つめた。わしわしと頭を掻く手に思わず力が入る。
文字列は午後の遅い時刻を表示している。それはまぁ良い。日付だ。日付が、もう過ぎ去ったはずの日を示していた。具体的には、二日前の日付を。
ケータイがぶっ壊れたのかもしれない。そう淡い期待を抱いて、縋りつくようにリモコンを握りしめ、祈りを込めてそのボタンを押した。雨風の音の響いてこない暗く狭い部屋の中で。
「はは……」
テレビ画面から開く番組表。今まさに放送している最中のローカル番組名に合わさったカーソル。画面左端、その日付を見れば……。それは、今日の日付を示していた。
テレビの前、膝と頭を抱えて。のんびりしたローカル番組の空気感、早鐘を打つ俺の心臓。まるで噛み合っていない。空回りする歯車のようだ。時計の針が進まない。
番組の内容はやがて天気予報に切り替わり、迫り来る台風の衛星写真を大写しにする。
ループ。そう非現実的な言葉が俺の頭の中をよぎった。昔好きだったアニメにそんな展開があったな。時間の渦、その中に取り込まれてしまった話だ。画面の台風はぐるぐると渦を巻く。
どうしよう。どうする? 今俺がすべきことは、この原因の究明と、そして何と言っても解決方法の模索だ。でも一体、何から、どうすれば……。
その時突然。俺の腹が鳴った。バカでかい拍子抜けする音だ。まったく、人がマジメに考えている時に……。ちょっとは空気を読んでほしい。
だがしかし、ふと思う。腹が減っては戦ができぬ、という言葉もある。実際、目が回るような感覚の原因の何パーセントかは空腹のせいでもあるんだろう。俺はうんうんと頷き、そして立ち上がった。
例のスーパーには何も物がない負け戦だとは分かっていつつも、手近な買い物先はあそこしかない。その不便さも込みでの、このアパートの安い安い家賃だった。
「あー、くそっ」
絶対に〝明日〟は、早起きしてやる!
レジ打ちのオドオド女子。彼女もつくづく気の毒だよなと思いながらスーパーを後にする。あの泣きそうなほど困りきった顔を前にして、申し訳なさを感じないと言えば嘘になるんだ。
わかめスープ。カルパス。ミントガム。それらが印字されたレシートを、ズボンのポケットの中でクシャリと握りしめた。早く抜け出そう。こんなループなんて。そう決意を固めながら、俺は風が強まり始める中を帰路についた。
〝今日〟は〝明日〟に備えて早く寝る。と言っても、〝昨日〟も早く寝てはいたんだけれどな。
久々にケータイの目覚ましアラームをセットする。そしてさらに、一人暮らしを始めたばかりの時に数回使ったきり部屋の片隅にしまい込んだ、いかにもといった感じの赤い目覚まし時計も引っ張り出して。
これで準備は万全。明日の自分、頼んだぞ! と、俺は意気込んで眠りについた。
「……はっ?」
目を覚ましてみると、ケータイの画面は〝昨日〟起きたのと同じ時刻を示していた。アラームを耳にした覚えもない。これまでの自堕落な生活で体内時計が狂っているのかと思ったが、そう思おうとしたのだが、恐ろしいことにあの目覚まし時計が枕元にない。
冷たい嫌な汗をかきながら部屋を探してみると、時計は昨日引っ張り出してきたところと同じ場所にあった。例え寝ぼけて投げたとしても到底そこに収まるはずのない、蓋を閉めた段ボール箱の中に。
スーパーに向かう。慌てふためく女子に申し訳ないと思いつつ一連の会話の流れをこなして、店に残っていた分ありったけのミントガムを買って帰る。確認したいことがあるんだ。
この日は逆に、遅くまで起きててみようと思った。ミントガムを噛みつつ、味がなくなったら次のガム、またその次のガムへ。顎が痛くなったが、眠気を邪魔してくれるのならば痛みすらありがたい。
窓を揺らす風の音を掻き消すほどまでに音量を上げたテレビ。俺は片膝を立てて床に座り、ひたすらに目を開けてじっと、その光る画面を見つめていた。
「あー、くそっ」
俺は頭をわしわしと掻いた。薄暗く、静かな部屋の中。布団には入らなかったはずなのに、布団の上で身を起こして。
ループする瞬間が分かれば何か手がかりが、と思って試してみたが、それは叶わなかった。
……ただ、ここでハッキリと分かったことがある。〝今日〟はどう足掻いても、限られた時間しか活動できない。つまり裏を返せば、〝今日〟のその時間の内に「何か」があるってことだ。
そこからは試行錯誤の日々だった。
どこに行こうが部屋から出まいが同じことだった。〝今日〟はループする。
この数時間ぽっちでは友人らからの返信はこない。〝今日〟がループする。
何ができる?他に何ができるんだ?この数時間で。〝今日〟もループする。
代わり映えしない日、雁字搦めに変化のない日が続いていく。同じような日々を過ごすのと同じ日を繰り返すのとでは、まるで意味が違う。
カルパスを直に噛みちぎりながら、部屋の中でテレビを睨みつける。
「――この近年稀に見る大型台風は、激しい雨風を伴い、非常にゆっくりとした速度で……――」
もうとっくに聞き飽きて空でも言える、気象予報士の言葉が耳につく。風の音が鳴るばかりで、雨は一向にその姿を見せない。
ループだ、ループ。ぐるぐると。台風の目を中心に、〝今日〟という日が、渦巻いて。
「あー、くそっ」
俺はわしわしと己の頭を掻くより他になかった。そしてまた巡る、悪夢の中での目覚め。
日々を繰り返す中で唯一、変化があることと言えばレジの女子との雑談内容だった。壊れたレジが止まるのを待つ間、別にそこで何を話そうとループする結果が変わるわけではない。けれど。
この学生街、夏休み期間で、しかも台風の直前。そして俺の動ける時間はわずか数時間。誰かとまともに言葉を交わすどころか、顔を合わせることすらもままならない中。
話し相手がいること、話せばその内容によって違う反応が返ってくることは、〝同じ日〟を繰り返す俺にとっての心の潤い、俺はちゃんと生きているんだという、得難い実感だったんだ。
『あっ一人暮らしなんですか?』
『すごいですね、偉いです……』
『私なんかもう全然ダメダメで』
そうして、彼女と話しているうちに俺は気づく。
『ふふっ、ちゃんとご飯は食べないとダメですよ』
『……あっ、でも今お店に何もないんでした……』
『なんかすみません、私、偉そうに言ったくせに』
彼女が恐縮しきっているのは、ただ単にレジが壊れたからってだけではないことに。
『家、厳しいんです。門限とか、格好とか、お金のこととか。後は、将来のこととかも……』
『ちゃんとしたいなって思うんですけど。でも言われたことすらも私、ちゃんとできないし』
『今日だって、あはは、レジ……。店長は配達に行っちゃったんですよ。近所のお婆さんの』
会話を重ねる度にだんだんと分かるようになってきた、彼女の顔に差す不安の色。それはどうにもこの短時間で拭い去れるものではなかった。
それに、買い物に来てレジの故障が直るのを待つ間に雑談をするだけの「通行人A」みたいな俺が何を言えるわけでもない。ループして過ぎていった〝今日〟の出来事なんて文字通り、寝ている間に消え去ってしまうのだから。
だから俺は、このループを早く抜け出して、彼女に明日を迎えてもらいたい。壊れたレジをどうにかすることなんか気にしなくても良い、明日を。
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