眼底二万パーセク
[短編] [ミディアム] [ファンタジー度★☆☆(SF)]
この世の終わりみたいに、星々は瞬いている。……いや、違うな。〝みたいに〟ではなく、俺にとってのこの世は終わりを迎えるんだ。
広大な宇宙空間の真っただ中で。
あれは言わば、不運な事故だった。探査任務を終えて本艦に戻る途中、流れてきた極小サイズの小惑星の追突を受けて、俺の一人乗りの宇宙船は果てしなく広がる紺青の中へと放り出された。
船に搭載されたAIは実に見事なシステムで、これが開発されてから人類の宇宙事業は大きく躍進したと言っても過言ではないだろう。十数年前より、全ての宇宙船にはこのAIの搭載が義務付けられた。
AIの機能は、搭乗者のバイタルサインと船の内外の様子とを常にスキャンすることで情報を集積し、生命維持および機体運行における多角的なサポートを行うことだ。しかもこいつは驚くほどの省エネで、パイロットの発する脳波などの微弱電流のみで稼働する。とにかく優秀で、とにかく働き者のシステムだった。
衝突から間もなく。操縦系統がやられて酷くバランスを崩した機体の中。怒り、焦り、そういったものに駆られ悪態をわめき散らしながら、てんで意味を成さない闇雲なレバー操作をする俺に、AIはにべもなく言ってのけた。いわく、
『「叫ぶ」「暴れる」といった行為は、人間の体力および空間の酸素を著しく消費するため、直ちに止めることを推奨します』
……だとよ。
その後どうにか機体はバランスを立て直したものの、すっかり見失ってしまった本艦のことを思って静かに涙を零してみれば、AIは
『資源の限られた状況においては、人体から排出される「涙」も貴重な水分です』
などとのたまって、チューブホースを伸ばしてそれを回収してみせたりして。
それはそれは熱心に、俺が本艦に戻る方法も生き延びる方法も模索してくれたモンだ。
あれからもう、どれくらいの時が経っただろうか。
俺は、AIの吐き出す出力情報が、ついに変化したことに気がついた。どんなに状況分析に長けていて、かつ自然言語処理の技術が発達したんだとしても、人間サマの読解力と勘を舐めるなよ?
……実のところ、俺はもうとっくのとうに諦めていたんだ。でもヤツは実に融通の利かない機械らしく、演算を繰り返して繰り返して、繰り返し続けたのだ。
コックピットの正面、湾曲した四角い面いっぱいに、あの時から相も変わらず延々と変わることのない紺青の宇宙空間が、どこまでもどこまでも広がっている。
「なぁ、お前は何かしたいことはないのか?」
俺はヤツにそう問うてみた。
『私はシステムです。自己としての意識は持ち得ません。私が担うのは、あなたの生命の――』
そこでヤツの声、そして声と同時にモニター上に映し出される文字は止まった。処理中を示すアイコンが回転する。グルグル、グルグル……。そうした後にヤツは、言葉の続きを出力した。
『――安寧を、追求することです』
「ハハ。そりゃあ、そうだよな」
俺はそっと口の端を持ち上げて笑う。
「……ありがとな」
続けて俺はそう言った。
いや、厳密に言えば、もう俺はまともに声なんて出せる状態じゃあないんだ。だから俺は頭の中で思う。脳に走る微弱電流で、ヤツに言葉を伝える。無言の意思疎通。
(――じゃあ、俺から一つ、頼みごとをしようか――)
意識が途切れ途切れになる。何度もそのまま戻れなくなりそうになった。いや、まだだ。俺は思い浮かべた。頭の中、もはやきちんとした言葉にはならない、俺の考えを。どうにか――
『承知、しマした』
ヤツの言葉が、返ってくる。酷くラグの生じた、途切れ途切れの声が。
『ええ、わカりましタ。〝美しい景色をあなたと共有〟……。いタし、マ……、ス…………」
電気の出力が、ゆっくりとゆっくりと落ちていく。船体の不透過シールドが解除され、元々の強化樹脂のボディが宇宙空間に溶け込むように透ける。
俺たちの周りをすっぽりと紺青色が包み込んだ。上も下も、右も左も。見渡す限り果てしなく、そこに浮かぶ星、星、星……。
星々の光は俺の目の水晶体を通って網膜で像を結び、脳へ。流れる脳波。微弱電流。
そう。この世の終わりみたいに、星々は瞬いている。この広大な宇宙空間の真っただ中で。
一粒、二粒。貴重な水分が俺の目から、そして空調の機能しなくなった機体のチューブホースから。船の中で丸く浮かぶそれは、輝く星々の中に混ざるように。
「ああ……」
最期に俺は、口をきいた。
「美しい、な。お前の、言った、とお……、り…………――」
そうして俺は、静かに目を閉じた。
それから声は返ってこない。
お題:定められた文頭・末尾の短編。(文頭と末尾以外は自由。)
[文頭] この世の終わりみたいに、星々は瞬いている。
[末尾] それから声は返ってこない。