美園の実情
美園は杏を睨み付けたまま、目を逸らさない。
当然だが、美園がここに現れたのは偶然では無かった。
静香が美園に話したのだ。
気持ちが高揚していた静香から美園は今日の予定を全部聞かされた。
来ては駄目だと分かっていた、だが来てしまった美園。
『見守るだけよ』
そう自分の気持ちに言い訳をしていた。
静香の恋を全力で応援する気持ちに偽りは無かった、しかし将太を諦め切れない未練の気持ちに突き動かされての事だった。
しかし予想外だった杏の登場で事態は一変した。
なぜなら、美園は杏に見覚えがあったのだ。
「ちょっと良いかしら?」
美園は杏の肩を掴む。
既に杏は美園の事を思い出していた。
「いや...あの」
「どうしたの、私がずっと泣いてるんでしょ?」
笑顔を崩さない美園が杏に迫る。
「おい美園...」
「倉田先輩...」
将太と静香は事態が飲み込めない。
なぜ美園がここに来たのか、そしてただ事では無い杏の狼狽え様も。
「まさか...アンタが将太の?」
「そうよ私が将太の元カノ。
初めまして...じゃないわね、小豆畑杏さん」
「おい、これは一体?」
「も...元カノって」
「静香、黙っててごめんなさい。
でも将太とは今は何も無いの、それは本当よ」
美園は静香に呟いた。
秘密にしていたのは悪い事だと分かっていたが、どうしても言い出せ無かった。
「ほ...本当ですか」
「ああ、この前5年振り再会したんだ」
静香の問いに将太が答える。
将太にしてみれば、静香は単なる家庭教師の教え子であり、美園が元カノである事を秘密にする理由が無かった。
「...そうですか」
静香は小さく頷く。
一時の混乱は収まり、事態を把握しようと思考を巡らせていた、
「わ...私はそういう事で」
「待ちなさい」
「ヒッ!」
席を立とうとする杏の肩を、美園は再び押し下げる。
このまま、帰すつもりは無かった。
「随分私の事を言いたい放題言ってくれたわね、二年前みたいに」
「い...いや」
美園の脳裏に苦い記憶が甦る。
それは二年前、近隣の大学生を集めた合コンだった。
辛い過去を忘れる為に参加した美園。
その時も美園は大勢の男子学生から注目を浴びた。
同じ合コンに参加していた杏はそれが気に食わなかった。
杏は片っ端から男子学生に声を掛け、美園を含め、注目を浴びている女子学生の嘘を言いふらした。
『ヤリマン』
『金を貢がせている』
『男を財布としてしか見ていない』
まるで杏自身の自己紹介だった。
殆どの学生は信じ無かったが、一部の学生から美園はそんな印象を持たれ、大迷惑を被ってしまった。
「有る事無い事、合コンで言いふらして締め上げられた事思い出させてやろうか?」
「や...止めて!」
二年前、美園は杏を締め上げた。
その様子は他の学生から修羅を見たと言われる程であった。
「...もう二度と姿を見せるな」
美園は杏の耳元に囁く。
恐怖に顔を引き吊らせた杏は、脇目も振らず喫茶店を出て行った。
「...アイツと知り合いだったのか」
「偶然よ」
将太からすれば美園と杏、元カノの二人。
だが、接点があったとは知らない事実だった。
「改めて、静香ごめんね」
「...いえ...でも」
杏の居た席に座った美園が静香に頭を下げた。
「ショックだった?」
「は...はい騙されてた...と言うか...」
何の話をしているか分からない将太、完全に蚊帳の外。
「おい、一体何の話を...」
「将太は黙って」
「...はい」
何とか会話に加わろうとするが、美園から一喝されてしまった。
「...仲良いですね」
二人のやり取りを見ていた静香は寂しそうに呟いた。
「幼馴染みだしな」
「...それだけよ」
「...でも付き合っていたんでしょ」
美園の言葉を聞き逃さない静香は、どうしても確認したい事があった。
「...どうして二人は別れたんですか?」
「若かったからかな?」
「卑怯だったからよ」
「おい美園」
軽く流すべき話、そう思った将太は美園の答えに困惑した。
「卑怯だった。
ちゃんと向き合っていたら、こんな気持ちに今頃ならなかったわ。
ケジメも着けないで、新しい恋人を作って...傷ついて...」
「...先輩」
「確かに...な」
目に涙を溜めた美園の告白に、ただならぬ物を感じた将太。
よいやく事態は深刻な物だと感じ始めていた。
「...先生」
「前言撤回だ。
俺は美園に向き合って来なかった。
昔から美園は勉強も出来て人気者...なのに俺の側に居た。
だけど違う高校になって、離れていく美園に向き合おうともしなかった。
俺もアイツを責められない」
「そんな事無いです...」
「ううん...」
止めようとする静香に美園は首を振る。
将太は美園の顔を見つめながら続けた。
「改めて言うよ。
美園、俺はお前を裏切った。
俺は普通の幼馴染みや、友人関係に戻れる資格なんか無い」
「そんな事...」
「これが本当の俺だ、静香ちゃん幻滅しただろ?
今日は何の用だったか分からないけど、これは受け取れないよ」
将太はジャケットを脱ぐと、テーブルに置き、そのまま席を立った。
「...ちょっと将太」
「待って下さい!!」
まさかの行動に呆然とする二人を置いて、将太は無言で店を出て行く。
「...ごめんなさい...静香、本当にごめん...」
取り返しの着かない事態。
美園は静香に対し、申し訳ない気持ちで涙を流した。
「顔を上げて下さい」
「静香さん...」
静香は狼狽えてなかった。
しっかりした視線を美園に向け、一つ息を吐いた。
「ひょっとしたらって、思ってました」
「...何が?」
「倉田さんが、将太先生と知り合い以上じゃないかって」
「...そうだったの」
静香の脳裏に、将太へのプレゼントを選んでいた時に見せた美園の顔が浮かんでいた。
「だってプレゼント買うとき、あんな嬉しそうで」
「...う」
「納得しました、恋人同志だったなら、知ってて当然ですよね」
「...ごめん」
軽蔑された。
『この裏切り者!』
静香からそんな罵倒が来るだろう。
美園は静香が将太へ告白する場を、取り返しの着かない程壊してしまったのだ。
「もっと将太さんの事教えて下さい」
「教える?」
「ええ、全部吐き出して下さい、思いの丈を全部」
静香の言葉は全く美園の予想と違っていた。
「それって?」
「そして将太さんを諦めて下さい、私も諦めますから」
「でも...」
『諦める』静香はもう恋人になるつもりは無い。
そんな気持ちを知った美園。
自分が将太を諦めきれないばかりに、静香にそんな決断をさせてしまった...
改めて自分勝手な行動だったと美園は項垂れた。
「私は一旦ですけどね」
「は?」
何が起きたのか?
美園が顔を上げると、静香は明るい笑みを浮かべていた。
「だって、二年間好きだったんですよ?
まだ告白もしてないのに、こんなの無いです」
「静香...」
「先輩はすっきり諦めるんですよ?」
少し力の籠った言葉で静香は美園を見た。
「それは...」
『分かった』
その一言が言えない、美園は自分がつくづく嫌になる。
「でも結局私が諦めたら将太さんは一人ぼっち、ざまあないですね。
大学生活は楽しいですし、将太さんなんか忘れちゃいそうです。
あ、その時は先輩に譲りますよ」
静香の気持ちを理解した美園。
つまり、リセットなのだ。
全部初めから全部、そういう事だと。
「分かった、それで行こう」
「ええ」
差し出された美園の右手に静香は握手をする。
これからがスタートなのだ。
「ジャケットどうする?」
テーブルに置かれたままのジャケット。
折角のプレゼント、美園が呟く。
「これはお礼ですから届けます。今さら返品は効きませんから」
「でもどうやって?]
「先生の家は知ってます。
家庭教師だったんですから住所くらい。
もっとも、行った事無いですけど」
「...そうよね」
「一緒に行きましょ」
「それはダメよ」
将太がどんな所で暮らしているか。
興味はあるが、静香が行くべきだと美園は思った。
「だから行くんです、これは先輩への罰ですよ」
「罰?」
「ええ、先輩と将太さんのね」
『気まずい空気を感じろ、そして黙って行くな、抜け駆けは許さない!』
そんな静香の真意を理解する。
「分かった...行くわ」
「ですね」
静香はジャケットを再び袋に戻す。
会計を済ませた二人は喫茶店を出て、振り返った。
「この店...二度と来れませんね」
「確かに」
店内からは二人を見る大勢の視線。
近くに住んでいない二人は良いが、将太は大変だろう。
「これも?」
「罰ですよ」
笑いながら二人は走しだした。
将太の住むアパートへ...
ありがとうございました。