将太の実情
6月を迎え、多くの人間は梅雨のジメジメした空気が気分を重くする。
そんな中、小豆畑静香は楽しそうな笑顔を浮かべ、出かける準備を整えていた。
「やっとね」
綺麗にラッピングされた袋は将太に贈るプレゼント。
中身は空軍のフライトジャケット。
将太がミリタリー好きなのは知らなかったが、将太の写真を見た美園のアドバイスを受け、一緒にショップへ行って購入した。
「本当に喜ぶのかな?」
将太が普段着ていたファストファッションと全く違う。
価格は2万8000円と高価だが、似合うだろうと感じ、思い切って購入した。
「...でも倉田先輩、どうして将太先生のサイズまで分かったのかな?」
写真の画像は顔しか写っていなかった。
だが美園は迷う事無く、ジャケットのサイズを当てたのだ。
「ひょっとしたら、二人は知り合い?
...そんな筈無いよね」
迷いを振り切る様に首を振る。
今日の事も美園に相談をした。
『上手く行くと良いわね』
そう言って応援してくれたのだ。
『でも...もし...そうなら...』
怖くて静香は聞く事が出来なかった。
知り合い以上の関係だったならと。
「...そろそろか」
『今は考えても、仕方ない』
そう割り切り、部屋を出る。
慣れない化粧も、美園から教わりナチュラルメイクを施した。
我ながら上手く出来た、自賛しながら階段に向かう。
途中、隣の部屋に目を向けた。
ずっと空き部屋だったが、今は一人の女が住んでいる。
一週間前に家賃を滞納して、静香の家に転がり込んで来た迷惑な従姉、小豆畑杏が...
「いってきます」
「気をつけてね」
「大倉君に宜しくな」
両親は笑顔で静香を送り出す。
今日は静香が将太にプレゼントを渡す事を知っていた。
「うん」
声を潜ませ、両親に手を振る。
杏に将太の話題はタブー。
いや、杏の存在その物が、この家で腫れ物扱いだった。
「もう少しの我慢よ」
家を出た静香が振り返る。
杏は大学に行こうともせず、部屋に引き籠っている。
食事だけは摂るが、食べ終わると片付けもせずに部屋へ戻る。
杏の両親が来月、娘を引き取ると決まっていた。
大学は、おそらく中退になると聞いていた。
奔放に遊び歩いたツケ。
髪を黒く染め直したのは、反省した態度のつもりだろうが、もう手遅れだと静香にも分かった。
「ここか」
電車を乗り継ぎ、待ち合わせの喫茶店に到着する。
将太の下宿するアパートから程近く、たまに利用すると聞いていた。
「まだ来てないよね」
約束の時間まで一時間。
静香は楽しみの余り、早く出過ぎてしまった。
なにしろ将太に会うのは、二か月振りなのだ。
「ふふ」
顔が綻ぶ、静香の頭は将太で埋め付くされていた。
大学生活は楽しく、友人も沢山出来た、これで将太が恋人になってくれたなら...
静香の心はバラ色に染まっていた。
「ゴメン、待ったかな」
「先生!」
妄想に耽っていた静香の耳に、待ちわびていた将太の声。
満面の笑みで静香は答えた。
「試験どうでした?」
「何とかなったよ。
ごめんね、中々時間が取れなくて」
「いいえ」
先日まで将太の大学は定期試験だった。
だから静香は終わるまでプレゼントを渡すのを遅らせていた。
「今日は何かな?」
「はい...その」
今日の用件を将太には伝えていない。
『...時間を下さい』
それしか静香は言えなかった。
「...プレゼント、合格祝いのお返しです」
「そんなの良いのに...え?」
静香は包みに入ったプレゼントを差し出す。
[US ARMY]と印字された包み紙に、将太の目が輝いた。
「開けても?」
「はい」
嬉しそうな将太が包み紙を丁寧に開ける。
中から1着のジャケットが姿を現した。
「ど...どうしてこれを?」
将太は自分の趣味を静香にいった事が無い。
プレゼントは飛び上がる程に嬉しいが、なぜ知っていたのか、分からなかった。
「...先輩から」
「先輩?」
「はい、お世話になった倉田先輩。
敷島大学の三年生なんです」
「...ああ」
将太はようやく事態を飲み込む。
美園は静香を知っていると言っていた。
おそらく、自分の趣味を静香に話したのだろうと。
「全く、美園は」
「美園って?...」
「倉田だよ、倉田美園」
優しい将太の目を見た静香、例えようの無い焦燥感に駆られる。
「あの...将太先生は、く...倉田先輩と?」
「幼馴染みだよ」
「...そうでしたか」
幼馴染みなら知っているだろう、そう納得する静香。
本当は恋人だった事も言いたかったが、それは美園に止められた。
美園と再会以来、将太は一度も美園と会っていない。
連絡も一度だけ、
『静香には、私と将太の関係は幼馴染みとだけ言って』
そう言われていた。
「着ても良い?」
「もちろんです!」
我慢出来ない将太がジャケットに袖を通す。
ピッタリの大きさ、満面の笑み、静香の胸が高鳴る。
告白するなら今しか無い。
「...先生」
勇気を振り絞り、静香が呟く。
『好きです』
その一言を...
「...将太」
「嘘?」
「...お前は」
その願いは突然断たれた。
振り返る静香の視線の先に、虚ろな目をした杏が立っていた。
「どうして...ここに?」
「静香、内緒話するなら外でやりなよ、あの家は壁が薄いんだから」
抑揚のない言葉で答える杏。
静香が今日、将太に会うのを知り後をつけて来たのだ。
「なんの用だ?」
冷たい視線を向ける将太。
昔の面影は耳に開いた無数のピアス痕、そしてボロボロの肌をごまかす様に塗った化粧で台無し。
眉毛も急いで描いたのか、左右のバランスがおかしかった。
「可愛い従妹が不幸になるのを、見逃せなくってね」
「不幸?」
「何の事?」
杏の言葉に聞き返す二人、杏は持参のポーチからタバコをとりだし口に咥え、静香の隣に座った。
「禁煙だぞ」
「...うるさい」
一口煙をふかし、携帯の灰皿へタバコを突っ込む。
店内のスタッフや客達も息を飲んで三人を見つめていた。
「静香、コイツはアンタが考えてるような奴じゃない」
「なにを...」
「お前は...」
「黙って聞きなよ!」
凄む杏、大きな声が店内に響いた。
「コイツは中学時代の彼女を捨てて私を口説いた、幼馴染みの初めてを捧げた彼女をアッサリとね!」
「...それって、まさか?」
杏の言葉に静香は将太を見つめる。
将太の困惑が拡がる。
なぜ杏はこんな暴露をするのか?
その事がなぜ静香の不幸に繋がるのか?
理解出来なかった。
「私はちゃんと言ったわよ、
『好きな人が出来たから別れましょ』って。
本当、不誠実な男、今さらだけど、また付き合ってやっても良いけど?」
「はあ?」
「何を言ってるの?」
余りに馬鹿馬鹿しい杏の言葉。
将太と静香は口を開き、固まってしまった。
「だから、元カノを騙して私に来たの。
可哀想よね、今もその子泣いてるよ、私の青春を返して...」
「泣いて無いわよ」
「え?」
「どうして?」
杏の背後に立つ一人の女。
顔は笑顔、しかし全身から溢れるのは怒りだった。
「くだらない戯れ言を垂れ流すのは、止めてくれない? ...可愛い後輩の邪魔よ」
「アアハァ...」
倉田美園は小豆畑杏を睨み付ける。
杏は口から小さな泡を吹き出していた。