閑話 元カノの現状
本編5話に含みません。
火曜日の朝10時。
マンション前に止まったタクシーから小豆畑杏が降りる。
赤茶に染めた髪、デコレーションで盛った爪、一見すると夜の職業に勤めている様に見えるが、杏は正真正銘の女子大生。
三年前、地元から出てきた当初の清楚な姿は、完全に失われていた。
気だるそうに生欠伸を繰り返しながらマンションに入り、自宅の鍵を開けた。
「ただいま~」
「...おかえり、昨日は帰るんじゃなかったの?」
リビングで一人の女性が呆れ顔を向ける。
杏と違う大学に通う、間宮和沙。
和沙と杏は2LDKの部屋でルームシェアをしていた。
「彼氏と盛り上がっちゃってさ~、気づいたら終電終わってて、送って貰っちゃった」
「タクシー使えばいいのに」
「お金が勿体ないじゃん」
「...あっそ」
杏はボサボサの髪で素っぴん、こんな状態のまま電車に乗れるはずが無い。
この部屋に一度彼氏を連れ込もうとして、大喧嘩になった事がある。
バカらしい記憶、和沙はそれ以上聞くのを止めた。
「大学は?」
「今日は昼から」
「あっそ、私はもう行くから」
杏の単位が危なくなっている事は知っているが、一向に危機感を持とうとしない。
『留年したらどうするつもり?』
以前、心配した和沙に杏が言った。
『良いのよ、いざとなったら恋人に面倒みて貰うから』
呆れて物が言えなくなった。
「お風呂沸いてる?」
「朝から沸かしてる訳無いでしょ、今から沸かす?」
「シャワーで済ませるからいいや」
『なら聞くな!』
自堕落な生活を送る杏に苛立ちを隠せない。
和沙は手早く支度を終えると、マンションを出た。
「もう潮時かな...」
部屋を出た和沙が溢す。
三年前、ルームシェアを始めた時の杏は普通だった。
お嬢様大学と名高い、聖ハリム女子大。
名門光輝大学に通っているという素敵な彼氏。
そんな杏に憧れを持った。
しかし、杏は堕ちて行った。
頻繁に合コンへ参加する様になり、彼氏の悪口を言い出し、やがて恋人と別れてしまった。
その後、杏は新しい恋人を取っ替え引っ替えするようになった。
理由は分からない、分かりたくも無かった。
「もしもし、引っ越しセンターですか?」
和沙は杏を見捨てる事に決めた。
杏の仕送りでは、マンションの家賃を払えないだろう。
奨学金も枠一杯借りている事は知っている。
だが、これ以上は限界だった。
「...三時か」
リビングで寝てしまっていた杏が目を覚ました。
身体を伸ばし、ノロノロとコップに水を注ぐ。
一息に水を飲み干し、溜め息を吐いた。
「...ふざけやがって」
険しい表情で吐き捨てる。
見栄でタクシーを使い帰って来た事を和沙に言えなかった。
今朝、杏は恋人に捨てられたのだ。
「ヤるだけヤってから別れ話?冗談じゃない...」
別れの原因は昨夜のパーティーで違う男と交わしたキス。
酒に酔っていたし、セックスをした訳では無い。
『その場で何も言わないで、その後一晩中セックスをしといて、今言うなんて卑怯じゃ無いか!
責任を取る約束はどうなるの?』
別れ話に食い下がる杏。
薄ら笑いを浮かべ男が言った。
『お前みたいな女に責任...バカじゃねえの?』
心底見下した男の目に部屋を飛び出して来たのだ。
男の事が本当に好きだったかと聞かれたら、素直にそうでしたとは言えない。
たが、男の家は資産家で、顔も悪くない。
なにより杏はお嬢様大学と名高い聖ハリム女子大、自信があった。
「ヤバイわね...」
危機感に顔を歪ませる。
もう留年待った無しの状態、留年では就職に不利。
奨学金の返済等出来そうもないし、返済で生活のレベルを下げるなんて考えられない。
両親は頼れない。
両親が気に入っていた将太と別れた事で、杏は既に見捨てられようとしていた。
「仕方ない...」
気の進まない態度で携帯を取り出す。
相手は別の大学に通う知り合い、合コンをセッティングして貰うのだ。
『アンタ、もう三年でしょ?さすがに無理よ』
「なんで?」
『新入生ならまだしも、アンタの行くような合コンなんて無いわ』
冷淡な答えに血が昇る。
どういう意味か杏には分からなかった。
「何でも良いのよ、とにかくお願い」
相手を怒らせる訳には行かない、男癖の悪い杏の評判は地に落ちていたのだ。
『分かったわ。
明日なんだけど、いろんな大学が集まる合コンがあるから、来る?』
「助かるわ!」
『くれぐれも問題は起こさないで、次やったら縁を切るわよ』
「うん、ありがとう」
何とかなった、杏の顔が綻ぶ。
「何が縁を切るよ、上手く行ったら、こっちから縁切りよ」
悪態を吐きながら、杏は美容室の予約を入れた。
髪を黒く染め直し、爪を戻す為に。
清楚に振る舞えば、男を釣る自信はあった。
そして翌日を迎えた。
「聖ハリム女子大三年、小豆畑杏です」
合コンが始まり、イメチェンを果たした杏は自己紹介をする。
知り合いが居たら台無しだが、見た所居ないようで安心していた。
「へえ、小豆畑さんは出身が神山市なんだ」
「田舎ですけどね」
純朴さを演出しながら、ペロっと舌を出す杏。
地元の名前など聞きたいとも思わない。
這い上がる為に出て来たのだ、一緒に来た恋人を捨てて...
恋人だった将太への不満は、金が無かった事だった。
せっかく都会に出て来たのに、将太は節約ばかり。
高校時代と変わらないデート。
きらびやかな交際をする周りの友人が羨ましくて仕方なかった。
だから杏は将太を捨てたのだ。
そんな杏が昔の様な姿に化け、媚を売る。自分の滑稽さが笑えて来た。
「...酔ったみたい」
カクテルを一気に呷り、目を付けた男に撓垂れる。
いつもの方法、自信はあった。
「小豆畑さんだっけ?」
「...はい」
男の言葉に微笑む杏、これで堕ちない男は居なかった。
「離れて、今日はそんな会じゃないから」
「え?」
冷淡な態度で男は離れる。
顔を見ると、呆れと軽蔑の色が浮かんでいた。
「貴方は?」
「幹事の光輝大学、伊藤優作だ。
小豆畑さん、悪いが帰ってくれないか?」
「どうして...」
「君を見たら大体分かるよ、男漁りするような人はね」
「な...」
杏は図星を突かれ、言葉を失う。
「この合コンは交流するのが目的、君にはヤリサーのサークルが良いよ」
「うるさい!!」
優作の言葉に杏は会場を飛び出す。
後ろから爆笑する声が聞こえた。