はなまる
「友達になって下さい!!」
そう境響に言われた時、私は彼女が何を言っているのか良くわからなかった。でも、家から漏れ出る光に照らさせた彼女の瞳を見ると、それは自分に向けられた、彼女の最大限の優しさなのだと分かった。
学校生活は楽しい。友達も多くいるし、皆私に良くしてくれる。先生たちから問題児扱いされているクラスメイトですら私には悪態をついたり、悪口を言ったりはしない。私はみんな良い人たちだと思っている。人間関係のトラブルを抱えたことは思い出せる限りは今まで一度も無い。小中学生の時も、高校に通い始めてからも。
それがおかしいのではないか? と思い始めたのはいつからだっただろう。
まず、気がつくと、私は全ての友人、部活の仲間、先生達から、「橘さん」と呼ばれていた。当初は意識していなかった。だが、学校生活が進むにつれて、多くの人は、渾名や呼び捨て、またはちゃん付けで呼ばれるようになっていった。私にはそれが一切なかった。
最初はただの憧れというか、ただ漠然と「良いなぁ」と思っていたが、その考えは時間が経つにつれ変わっていく。「名は体を表す」という言葉とは少し違うかも知れない。だが、皆が呼ぶ、「橘さん」という呼び方には一定の距離があるのでは無いかと考え始めた。その考えは私を苦しめ始める。
一番仲の良いと思っていた、同じテニス部の由美ちゃんも、私のことは敬称付きで呼ぶ。一度思い切って聞いてみた。
「なんで私は『さん』付けなの?」と、
返事は、
「なんか橘さんて、『橘さん』って感じじゃん!」
と、笑いながら答えた。由美ちゃんが部活仲間でさん付けしているのは私だけだった。
きっかけは他にもある。
皆、私の前では誰の悪口も言わない。元々私はみんな良い人だと思っているので、誰かの悪口を言おうとも思わないのだが、私も人間なので、ちょっとした噂話に耳が傾くこともある。ただ、みんなで話している時に誰かがちょっとでもそういった話を出しそうになると、
「やめなよ。橘さんいるのに」
と、やめてしまう。私がいない時はしているということだ。悪口を聞きたいわけではない。私がいるときは何故出来ないのか。私はそれも聞いてみた。
「なんで私がいるとダメなの?」と
「だって、橘さんてそういう話嫌いそうだし、純粋そうだから」
と、言われた。
『純粋』
確かに私はそうなのかも知れない。私はみんなが好きだった。みんな良い人で私には良くしてくれる。それは確かだ。ただ、その言葉は私には褒め言葉には聞こえなかった。嬉しくなかった。私たちとは違うと一線を引かれた気持ちになった。
私はいつも怖くなって、これらの考えを振り払う。考えては振り払う。それを繰り返しながら高校生活を続けていた。
ある日、ももの散歩の時、突然「橘」と声をかけられた時、私は自分が呼ばれていることに最初は気が付かなかった。私を呼び捨てにする人間が家族以外にいなかったからだ。呼ばれたのは苗字で名前じゃない。家族でないのは確かだ。だとすると、聞き間違いか、同じ苗字の誰かだろうと思った。でもそうじゃなかった。私を呼んだのは、同じクラスの境響だった。私は酷く驚いた。彼女とは正直そこまで仲良くはない。と言うより喋ったことすらほとんどなかった。
そんな人が私を呼んだ。呼び捨てで。きっと、私のことを良く知らないからか、ただ単純にそういう人なんだろうな。と思った。それでも私は嬉しかった。私はその日、家に帰って自分の部屋のカレンダーの日付に丸をした。
そんな境響が真剣な瞳で私を見つめていた。
「友達になってください」
その言葉はなんだか滑稽で女の子が言うにしても可愛すぎると思った。でも境響の目にふざけている様子も、私をからかおうとしている様子も見て取れなかった。
友達は沢山いるけれど、そう言われたことは今まで一度も無い。でも初めて言われたからじゃないと感じる。そこには確かな暖かみがあった。私のひょっとしたら勘違いだと目をそらそうとしていた孤独を包んだ。
それこそ私の考え違いかも知れない。ただの同情からかも知れない。でも、境響は私の孤独を分かってそう言ったような気がしてならない。
私は自然と流れてくる涙を止められなかった。
私の涙を見て、彼女は酷く動揺した。
「えぇ!? ごめん!!! なんで泣いてるの?! ごめん!」
「…ううん。謝らないで…。ごめんね。泣いたりして…」
「こっちこそごめん! 変なこと言ったよね!」
境響は慌てふためいている。
「ふふ、違うよ」
私は、涙を流しながら笑った。境響の首を傾げた困った顔に、ハテナが浮かんでいた。それを見て、なんだかモモに似ていると思い。また笑ってしまった。
「ふふ、あははは」
「何?? どうしたの???」
「あはは。ごめん。モモに似てて…」
「モモ?? どう言うこと??」
要領を得ない私の返答に境響は困惑するばかりだ。このまま泣きながら笑い続けたら変なヤツだと思われてしまう。それにアワアワしている彼女にも申し訳ない。私は息を整えた。
「はぁ………友達、なってくれるの?」
「え! う、うん。嫌じゃ…なければ…」
さっきの勢いはどこかに。境響はとても自信なさげに答えた。
「ふふふ、それじゃあ」
私は、彼女のそばに寄る。外扉を開けて、手を差し出した。
「何?」
「握手」
自分から言い出したことなのに、境響は恐る恐る私の手を掴んだ。私は強くその手を握り返した。
「よろしくね!」
「うん。よろしく」
境響はやっと笑った。ぎこちない笑顔だったけれど、それはとても可愛らしい笑顔だった。
彼女を玄関で見送った後、私は自分の部屋へ行き、カレンダーの今日の日付にハナマルを描いた。
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