凪
注文してから約三か月。やっと予約分が入荷したと連絡が入って、僕は近所の量販店へ足を向けた。
レジカウンターで受け取り用の認証コードを提示する。対応した店員はちらっと僕の方に意味ありげな視線を送ってからバックヤードへと姿を消した。
「何だよ、今の態度」と悪態を吐いたのも束の間、戻ってきた店員の抱える大箱を見て、僕は先程の視線の意味を悟った。苦笑いすら繰り出す余裕はなかった。
それは僕がネット注文した時の製品パッケージ(仮)から、大幅なイメージチェンジが図られていた。何故だ。
星やハートや花が散りばめられた眩しい配色。ピンク色の髪の女の子が唇に指を添えてウインクしている巨大なイラスト。そして可愛らしいふわふわした字体で統一された製品名「魔法使い変身キット」。
魔法使いに変身しなくても、今なら顔から火を噴く魔法が使えそうだ。僕は手近なセールコーナーに刺さっていた極薄カーペットを購入し、箱の周りにぐるりと巻き付けて店を出た。もちろん終始無言で、脱兎のごとく。
「おかえりなさいマセ」
「ん、ただいま」
玄関ドアの前に僕が立ったことを察知して、凪はドアを開けて出迎えた。
「まずは手あライ、うがいをどウゾ」
「あいあい」と適当にあしらって、リビングの床にあぐらをかく。覆いにしていたカーペットを横へ放り出してから、件の品をしげしげと眺めた。
魔法使い変身キット。我ながらとんでもないものに手を出してしまった。
半年前、ネット記事でまことしやかに囁かれた都市伝説がある。魔法使いの隊列に加わるチャンスが、密かに地球人にも開かれた、という話だった。百年に渡る禁断の扉が開放されたのだと。
現状世界に確認されている魔法使いは十二人。その全員が地球外から飛来したいわゆる異星人であることは、勿論誰もが知っている一般常識だ。地球上の人類から未だ魔法使いは排出されていない。そして十二人の一人はここ東京で会社経営をしていて、たまに情報番組のコメンテーターや密着取材のインタビュイーとしてメディア出演している。彼が言うには魔法使いとは血筋で受け継がれる類のものではなく、確立された契約手順を踏めば誰でもなれるものだそうだ。
「それは地球人からも魔法使いが生まれるということでしょうか?」と、とある番組の美人アナウンサーが質問したことがある。
「可能である、とは言っておきましょう。だが我々は基本不老不死ですし、今のところ仲間には困っていませんからね。増員の予定はありませんよ」と、彼は応じた。その返答の「可能である」という言葉だけが独り歩きして、流行語に選ばれたりもした。
「喉は乾いていませンカ? 食事は何時にしましょウカ?」
凪がエプロン姿でリビングに顔を出した。右手には既に湯気を立ち昇らせるマグカップが握られていた。僕の好物アップルシナモンティーが注がれているに違いない。マグカップを受け取ろうと、座ったまま手を伸ばした。
「まずは手あライ、うがいをどウゾ」
「あいあい」
きっちりしてるな、凪。それにしても語尾のイントネーション、後で再調整しておかないと。
結局僕は重い腰を上げ、強力除菌ソープの気に食わないぬるぬるを手に塗り込む羽目になる。いつもの話だけれど。
紅茶をすすりながら、箱の淵に指をかけた。きっちりかみ合っている箱の封の出来が良いのか、流し切れていないソープのぬめりが悪いのか。なかなか思うように開けない。
「ネットで見かけた時はさ、こんなインパクトの強い商品じゃなかったんだよ?」とこぼす僕の愚痴を、隣に腰かけた凪は曇りない眼で聞いている。
「もっとシックな感じでさ、会社のハロウィンパーティーで着ても悪目立ちしないくらいのイメージだったのに」
それがどうだ。今のパッケージだと、対象年齢は六歳くらい、それもかなり夢見がちな女の子向けと言われて納得がいくデザインだ。これを量販店で受け取って帰る未婚成人男性の悲しさよ。
「これってやっぱ僕が悪いの? 前人未到の魔法使いになりたいとか思ってる時点で、夢見がちな女子扱いなの?」
一向に引っ張り出せないタックにイライラが募る。
「悩んだとキハ、行動あるのみデス」
不器用な僕を見かねたのか、愚痴に対する返答なのか、凪は僕の手から箱をさっと抜き取ると、指先をかぎ爪のような形にして箱の側面を引き裂いた。
「わお。豪快だね、凪」
これで完全に返品不可。背水の陣という訳だ。
「行動あるのみってのは名言だと思うけどさ、もうちょっと中間地点っていうか、ちょうどいい塩梅ってのも覚えような?」
差し出された大穴の開いた箱を受け取る時、凪の指先が僕の手のひらに触れた。もちろん僕の手が傷つくことはなく、凪の体温を感じることもない。
「ありがと。ま、うだうだ言ってても仕方ないもんな。さっさとご対面といきますか」
箱の中身を引っ張り出して、テーブルの上に並べた。ピンク色のとんがり帽子、同色の薄っぺらなローブ、これまた同色のブローチ。中身のくり抜かれた軽い木の棒、皮表紙のみのタイトルのない本、透き通った羽ペンと無色透明な液体の入ったインクボトル。計七点が、箱に収められていた全てだった。
「普通、品物の紹介とか、どっかに書いてあるもんじゃないのかな?」
パッケージ裏にも箱の中にもそれらしきものは見当たらなかった。
地球人に開かれる魔法使いへの道。それは、科学では到底越えられない壁に打ちのめされた瞬間にたどり着ける通販サイトに始まる。そこにただ一つ出品されている商品を反射的に購入せよ。脳が正常な判断を求めるよりも早く、理性がとくとくと講釈を垂れる前に――。半年前の都市伝説を要約すると、つまりそういうことになる。「匿名希望、異星人魔法使い十二人が一人さん談」という締めくくり付きで。
僕は既にその壁にぶち当たっていた。何度も何度も。どの壁も僕の脳内にネガのように焼き付いてしまっている。すぐに閲覧可能なところにあるから、ふとした弾みに目についてしまって厄介この上ないのだ。
最初の壁は衝撃的に、僕の隣にそびえ立った。
特急電車の通過アナウンスが入る二秒前の静かな地下鉄ホーム。音もなく開いたホームドアの先の闇に、凪は吸い込まれて消えた。僕は携帯端末の操作に夢中で、届いていたはずの凪の話を聞いていなかった。ふと何かの予感がして顔を上げた先に、凪の遠い背中があった。
それが、一人目の凪の最後だ。後になって、ホームドアが突如開くという制御システムの誤作動が大々的にニュースになり、政治論争にまで発展し、公共交通機関整備に魔法使いの助力を仰ぐという結末で終焉を迎えた。トリガーとなった凪の名前を知るのは、あの背中を覚えているのは、僕一人だったけれど。
次の壁は懐疑的に、僕の隣をむしばんだ。
凪転落の刹那、駅構内の安全管理システムは正常に作動した。急報を受けた特急電車はホームへは入らず、駆け付けた救助隊はすぐさま線路に降りた。誰もが心底ほっとして腰が抜けた凪の姿を想像しただろう。しかし現実はどうだ。救助隊に抱えられた凪の主要臓器のいくつかは、使い物にならないほどひしゃげていた。結果、それらは緊急搬送された先の病院で人工臓器と取り換えられた。幸いにも脳は完全に無傷で残されていたから、凪の心と思考力は新しい体に完全に引き継がれた、はずだった。
きついリハビリの日々が一年続いた。相変わらずおしゃべりの凪の口は、起きている時間は大抵動いていた。そこから弱音がこぼれることはなく、あの日の真実が垣間見えることもなかった。あんなに嫌いだと嘆いていたリンゴを、凪は美味しそうに頬張った。ベッドサイドでリンゴをむくのが僕の日課になった。
初めて皮を一度も途切れさせずにむききったある昼下がり、僕は病院の医院長先生に呼び出された。映し出される脳の断面画像を見ながら、指先についたリンゴの香りをかいだ。先生は、凪の左脳の端に入り込んだバクテリアが悪さをしていると言った。告知を受けた二日後から、凪のまぶたが持ち上がることはなくなった。二人目の凪の最後の言葉は「またむいてね」だった。
三つ目の壁はひたひたと、僕の隣に忍び寄った。
むくべきリンゴを失った果物ナイフを眺めていた僕に、その男は凪を維持して見せると断言した。大手臓器パーツ製造会社の名刺には大きな芋虫のロゴが描かれていた。
「なぜ芋虫のロゴなんですか」と尋ねたら、「それは眉毛です」とだけ返された。その声があまりに冷え切っていたために、僕は危うく芋虫の上にナイフを落とすところだった。
企業の研究室に移った時、凪の左脳の三分の一は壊死していた。凪の脳に配慮して、各種臓器の多くが割愛された。培養液のどぎつい緑色のせいで、凪の表情を読み取ることは出来なくなった。あるいはもう凪は心を動かす作業を放棄してしまったかもしれない。真四角の部屋の中心に凪の思考力があり、北に心臓が、南に肺が、西にフィルターになる臓器と貯蔵庫になる臓器が、同色の液にひたされて並んでいた。僕は東側に折り畳みのパイプ椅子を持参して、仕事の休みの日はずっとそこに陣取っていた。東には中央から伸びたチューブの先に、凪の片目と口とオマケのように眉毛が入った水槽があって、瞬きを忘れるほど僕はその緑を凝視していた。渇きで痛む瞳を酷使して天を仰ぐと、埋め尽くすような配線の隙間に白いはずの天井が見える。それは大抵どぎついピンク色に染まっていた。
臓器の違法パーツ摘発運動が盛んになったのは、凪の眉毛がほとんど水槽内に四散してしまった頃だった。厄介な件のバクテリアが巷で猛威を振るい続けていて、パーツ需要が高まったために、違法な商取引が後を絶たなくなったのだ。凪を救うと口にした臓器パーツ製造会社は、粗悪パーツの横流しに加担していたせいか、あるいは培養液の濃さに研究員が辟易してしまったせいか、突如として倒産した。医療崩壊寸前の危機に、相次ぐ大手企業倒産による失業者の増加。国家を揺るがしかねない危機的状況を鑑みて、各方面の整備に魔法使いの助力を仰ぐという結末で、事態は収束した。つまはじきにされた凪を残して。
三人目の凪の最後の口の動きは、恐らく「わお」だった。
「あ、ごめん。手が止まってたね?」
凪が「どうしましタカ?」と僕の顔を覗き込んだことで、我に返った。
「うっかり脳内ネガに取り込まれるとこだったよ。危ない危ない」
「紅茶のおかわりはいかがでスカ?」
「うん、お願いしようかな。あ、いや、僕が自分で入れて来る。ちょっと気分転換にね」
空になったマグカップを手に立ち上がる僕を見上げた後、凪はおもむろに魔法使い変身キットの七つ道具の一つ、羽ペンに手を伸ばした。
「もし変身の仕方分かったら教えて? 今んとこさっぱりだからさ」
四つ目の壁は突き放すように、僕の隣をかき乱した。
真四角の部屋を差し押さえられたあの日、相も変わらずパイプ椅子に座っていた僕の手に、その男は名刺を乗せた。知能発達研究機構の筆頭エンジニアを名乗る彼は、凪を保護してみせると豪語した。今度の名刺には見知ったようで見たことがない鳥の絵が描かれていた。僕の印象はただ「白いな」というものだった。
移送先に向かうトラックの中から、凪の保護は始められた。外から入ってきたのでなかったなら、そこがトラックの中だとは分からないだろうと思うほど充実したピカピカの機械の中央に凪が鎮座した。研究施設の別館にたどり着く頃には、基本作業は滞りなく終了したようだった。
トラックを下りるときの凪の付き添いを僕の両手が担当した。左手には、脱ぎ捨てた蛹の皮と化した、スプーンひと匙に収まるばかりに縮んだ凪の脳。右手には、蝶のように羽ばたかんとする、圧縮された思考力を内包したデータチップに化けた凪。エンジニア達は口々に、それはもはや凪ではないと言い張ったが、僕にはどう見ても凪であったので、瓶詰にした脳の方の凪は僕が貰い受けることにした。凪の片割れは最先端のヒューマノイドに組み込まれた。おしゃべりに戻った凪の側に僕が付いていられない時のために、瓶詰めの凪は、お手伝いロボットの胸部の空洞部分に忍んでもらって、施設別館に常駐してもらった。
四人目の凪の最後の言葉を聞いたのは、僕の方だったのかお手伝いロボットの中の凪自身だったのか定かではない。もし僕の方が後だとしたら、それは「名刺の鳥は、実はカラス」だったと思う。僕はそれを言われるために呼び止められたのか、単にそれを凪が口にした時に僕が振り返ったのか。それを確認する翌日は訪れなかった。施設は火災にあって消失したと朝刊見出しが訴える五分前、僕のアパートのインターホンを押す煤けたお手伝いロボットが僕に告げた。
「まずは手あライ、うがいをどウゾ」
「ええっと、君の方が必要かな? 手洗いってレベルじゃないけどね、凪」
荒れ狂う火の手は研究機構の別館のみならず本館をも飲み込み、レスキュー隊と自衛隊が出動するも鎮めること叶わず、ついに魔法使いの助力を仰ぐという結末で鎮静化した。
「科学じゃもうどうにもならないんだよね、全くもって」
二杯目のアップルシナモンティーを手にリビングに戻ると、凪の全身はピンクに覆われていた。とんがり帽子にローブにブローチ、圧倒的なピンクの塊は視神経に毒だ。それなのに僕は凪から目が離せなくて困った。
「変身できまシタ」と凪が言い出さなかったら、僕の角膜は干上がっていたかもしれない。
「え、できたの? ただ着替えたとかじゃなくて?」
「契約手じゅンハ、実行済みデス」
「え、いつの間に。って凪が契約したの?」
魔法が使えるようになったら、やりたいことがあった。システム管理に手を貸したり、細菌を根絶したり、経済を回したり、火事場の馬鹿力を見せたりするよりももっと単純で重要なことが。
「ねぇ、凪」
「魔法使いの契約ニハ、代償が必要デス。支払いを先に完了してくだサイ」
まずはその語尾のイントネーション不良を調整しないと。
「繰り返しマス。支払いを先に完了してくだサイ」
それから冷めていく紅茶を温め直して。
「期限は一ネン。その間に支払いが完了できなけレバ、魔法が暴走シテ、未曽有の出来事が生じマス」
「え、その代償って、何を払えばいいの? 僕に払えるレベルのもの?」
「魔法使いの契約の前とアト。失ったものを答えてくだサイ」
「失ったもの? 凪はさっきと今との間で、何かを失ったってこと?」
「ナギ、には分かりまセン。よッテ、完了できまセン」
「また失ったってこと? ねぇ凪。凪ばっかりまた失ったってこと?」
「分かりまセン。ナギ、にはその機能がありまセン。家事サポートロボット、通称固有名ナギ、には機体改良記録媒体はありまセン」
「改良、だって。笑っちゃうよ、もう」
僕は携帯端末を取り出した。操作はしていないのに、通販サイトの画面が表示されていた。そこにただ一つ出品されている商品の名前は「魔法使い変身キット」。目の奥で濃い緑色の影が躍っている。購入のボタンに指をかける刹那、僕は白いカラスが画面を横切るのを見た。




