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時はぎんのスイカなり

 日頃からずいぶん手を焼いている弟が、またやらかした。

 夏休みが終わり、二学期初日を終えて帰宅した夕方。制服のリボンを外しながら取り次いだ電話の向こう、弟の担任の先生が笑いをかみ殺しているのが分かった。

 電話口に出た母の第一声は、いつもお世話になっておりますで、第二声はしばらくなかった。沈黙。

 ああ、ほんとに、もう。

 夏休みの宿題、カンタが提出した自由研究は、銀色に染め上げたスイカだったという。


「違うよ、全然違う」

 カンタは不満げにソファのひじ掛けをバシバシ叩いた。

「どこが違うってのよ」

「全部塗ったらさ、スイカかどうか分かんなくなっちゃうじゃん。そんなバカなことしないもん。かっこよくタイトル書いたらちょっと字がでかくなっただけだし」

「問題そこじゃないでしょ! スイカ丸ごとはい宿題って、そんなん通るわけないってこと!」

「ただのスイカじゃないもん。ねーちゃん分かってないなあ」

 やれやれとでも言いたげなジェスチャーを繰り出すカンタの顔めがけ、クッションを投げつける。

「まあまあ、アンちゃん、いいじゃないの」

 電話を終えた直後の青い顔はどこへやら、母はすっかりいつもの調子で私と弟の間を取りなそうとする。

「だって、お母さん」

 私の反撃を見越していたのか、母は冷蔵庫から取り出したあるものを私のおでこにこつんとあてた。

「食べるでしょう?」

「……食べる」

「じゃあケンカはおしまい」

 ケンカじゃないし、という一言は胸にしまい、霜だらけでキラキラ光る包装を剥ぐ。

「スイカバーごときで買収とは、ねーちゃんも安くなったもんだな。で、お母さん、オレのは?」

「カンカンは、お母さんに恥ずかしい思いをさせた償いとして今日の分はなし」

「えっ?」

 本気で狼狽しているカンタを横目に優越感に浸りながら頬張るスイカバーは、例え一本数十円のシロモノだとしても格別の旨さだ。

 すっかり冷えた頭で姉の余裕を取り戻した私は、カンタに小声で尋ねた。

「で? 何よ、ただのスイカじゃないって」

「……どうしても知りたいってんなら、教えてあげてもいいけど」

 可愛くないやつめ。本当はしゃべりたくて仕方ない癖に。

 うちの両親はおっとりしていて基本怒らない。悪くはないけれど、真面目に話したいことがある時、真剣に取り合ってもらえないもどかしさがある。何か本気で抱えている案件がある場合、意外と頼りになるのは姉弟だったりするのがわが土井垣家だ。

 スイカバーを食べ終え、カンタに続いて庭に出る。いつの間に作ったのか、小さな畑があった。

「どしたの? これ」

「オレの畑。ここで種から立派に育てたの」

「いつ?」

「ねーちゃんが合宿行ってる時」

 なるほど塾の夏期講座の合宿だ。それで私が知らなかったわけか。ん? でもちょっと待って。

「合宿って、夏休みの終わりのやつでしょ? そこから育てて? 実なったの?」

「だからフツーじゃないんだって。世紀の大発見なんだよ」

 出た、カンタの十八番「世紀の大発見」。弟はことあるごとに不思議を探し歩いている、やれUMAだ、新世界だと。去年の夏もそれ絡みでえらい目に遭っているのだ。それなのに、懲りずにまた首を突っ込んでいるのか。

 要約するとこういうことらしい。

 夏休みも終わりに差し掛かり、研究に行き詰まり途方に暮れていた所(つまり宿題に手を付けてなかったってことね)、新しくできた友達が銀色の粉をくれた。ひとつまみ振りかけるだけで植物は急成長を遂げるから、観察日記を一気につけられるという。研究者魂に火がついたカンタは(何が研究者魂よ)、急いで近所のお兄さんに庭の隅を耕してもらい、幸い前日に食べたスイカの種があったからそれに粉を振りかけ畑にまいた。それは翌朝には芽を出し、夕方には蔓がぐんと伸び、写真を撮る暇もなく花が散って実がなった。三日で種まきから収穫まで完了、はつか大根ならぬはつかスイカ(いや、二十日すら経っていないけど)の誕生だ。

 全く弟の話を疑わないとすれば、確かに世紀の大発見と言える。それもスイカがではなく、その銀色の粉という成長剤がだ。

「そんでさ、すげーのはそれだけじゃなくて!」

「ちょっと待って、ほんとに? ここで?」

 首を傾げるしかない。目の前の畑は一面きれいな土色。収穫後の葉や蔓さえ見当たらないけど?

「だってスイカ、あんまりでかいと学校に持ってけなくなるからと思って、抜いたんだけど」

「抜いたって何、根っこを?」

「育てたのは全部なんだから、全部持って行きたいじゃん」

 もともとは根っこから実までワンセットで運ぶつもりだったらしい。

「そしたらさ、吸い込まれちゃってさ」

「吸い込まれた?」

「だーかーらー、根っこも葉っぱもぜーんぶ、畑に吸い込まれちゃって」

 え?

「そんでさ、残ったスイカだっこしたんだけど、めちゃくちゃ軽いんだ」

「軽い? 中身空っぽってこと?」

「それは割ってねーし、分かんないけど。風船みたくぽんぽん投げれる」

「うっそだー」

「ほんとだって! なんでみんな信じてくんないんだよ」

 眉間にしわを寄せてカンタは唇をかんだ。これは本気で悩んでる時のしぐさだ。

「オレが持って見せてもさ、信じてくんなくて。せんせーもコータもやっちゃんも、重くて持てないって、どうやって学校に持って来たんだって」

 痕跡が跡形もなく消え去り唯一残った実は、カンタにしか持ち上げられないという。宿題としてスイカを丸ごと持って行ったことは、先生からの電話で初めて知った。母が運ぶのを手伝っていないとなったら、カンタ一人で持って行ったということになる。やはり弟の言葉を信じるしかない。

 普通じゃない、へんてこなことが起こっている。

「それ、あたしが持っても軽いかな?」

 姉が真剣に受け止めたと気付いたのか、弟の目がぎらぎら輝き出す。

 合宿で家を空けていたことがほんの少し悔やまれた。現場に立ち会っていないからって全くの部外者だったらちょっと嫌。厄介ごとはごめんだけど、姉として弟と同じものを見たいという気概はある。

「とりあえず実物見なきゃ始まんない。カンタの先生に話して、スイカ持って帰ろ」

 母を巻き込むのは得策でないと感じた私たちは、買い物に出る後ろ姿を見送ってから小学校へ電話を掛けた。幸い弟の担任の先生はまだ学校へ残っていて、ご家族が一緒に持って帰ってくれるのなら今から来ても構わないという話だった。二人で顔を見合わせうなずき合ってから、自転車を飛ばして小学校へ急いだ。

「先程お電話しました、土井垣アンナです。この度は弟がご迷惑をおかけしてすみません」

 殊勝に頭を下げると、女の先生はにこにこと笑って首を振った。

「こちらこそごめんなさいね。ちょっとびっくりな自由研究だったものだから……あら? 二人だけ?」

「あ、その、すっごく重いって聞いていたので、えっと、とびっきりの運搬道具とか持ってきてるんです」

 ちらりと隣のカンタに目をやると、むすっとした表情でこちらを睨んでいる。ちょっと、カンタその顔やめて、今は話を合わせなさいよ。

「今はそんな便利なものがあるのねぇ。それで」

 どうやら先生はその道具で、カンタが学校へスイカを持ち込んだと勝手に解釈したようだ。

「私ちょっと手伝えそうにないけれど大丈夫? あ、これ教室のカギ。本当は貸し出し禁止だから、スイカ積み込んだらすぐに返しに来てね」

 こそこそとカギを差し出す先生に笑顔で会釈してから、すぐに三年二組へ向かう。懐かしい階段を上って廊下を曲がったらすぐの教室だ。

「あれ? 空いてるよ、ねーちゃん」

 三年二組の手前の扉は確かに半分程開いていた。締め忘れだろうか。それとも? 歩調を緩める私を追い越してカンタがずんと前に出る。

「オレが先に行く」

 いっちょ前に男らしくそう言うと、カンタは扉の隙間からするりと中へ入った。

「あ!」

「何?! どうしたの?!」

 響くカンタの大声。弾かれるように私も教室の中へ飛び込む。

 教室の後方、ランドセルをしまっておくロッカーの上に並ぶ、自由研究や工作の数々。その中央に鎮座した巨大なスイカの前に座り込む人影。私は自分の側へ引き寄せるように、カンタの肩へ手を置いた。

「何だテル君じゃん」

 拍子抜けするくらい普段の調子で、カンタがその人物へ声をかける。

「え、カンタ、知り合い?」

「友達」

 と、友達?

「研究に使ったやつ、くれたテル君」

 つまり植物を急成長させる銀色の粉の持ち主、ということ?

「ど、どういう繋がりよ? どう見たって友達、ってカンジじゃ」

「何言ってんの、ねーちゃん?」

 あれ? 弟の反応に違和感を覚え口を開きかけた時、教室に笑い声が響いた。身構える私とそれを不思議そうに見上げるカンタに向き合うように、その人物は立ち上がった。

「失敬。笑うつもりはなかったのだが」

 こちらを小ばかにしたようにつり上がった口元を見て、混乱よりほんの少し怒りが上回った。怒りが原動力になると私は少し強くなる。

「この度は、弟がお世話になったみたいで」

「否、きっかけを与えただけのこと。生み出したのは彼だ」

 爪の先まで整った長い指でさらさらの髪をかき上げてから、その女性は目を細めた。

「無論、責任も彼自身にある」

 責任?

「テル君、これが話してたうちのねーちゃんね」

 カンタは意味深な会話に微塵も動揺することなく、テルと呼ぶ人物に私を紹介する。肝が据わり過ぎているのか極度の鈍感なのか、呆れて眩暈がした。

「ねーちゃん、さっきから何怖い顔してんの? テル君びっくりすんじゃん」

「ねぇ、カンタ、ほんとにこの人? この人が友達?」

 どう見ても年齢は二十歳より上。モデルか女優かと思うほどの整った顔立ちと立ち姿。どう考えても小学三年生が気軽に友達になる人物とは思えない。

「テル君この学校のコじゃないけどさー、友情と学校はカンケーないし」

「学校ってレベルの話じゃないでしょ、大人じゃんこの人」

「は? ねーちゃん何言ってんの?」

 カンタは本気らしい。私には大人の女性に見えている目の前の人物が、カンタには違う風に見えている?

「カンタ聞いて。この人、あたしには大人の女の人に見えてるの。意味、分かる?」

 私の真剣な声音を感じ取って、カンタの肩がほんの少し強張った。

「え、どういうこと? テル君」

「カンタ、君にはこの姿が少年に見えているのだろう。しかし姉君には成人女性に見えている。どちらも正しく、どちらも正しくない」

「あなた誰なの?」

「誰でもないし、何でもない。人ではなく、物でもない。存在するは概念のみ」

「概念……?」

「観測する者の見方がそれぞれの姿を作り出す。これもまた然り」

 意味の分からない言葉をつらつらと並べながら、テルはスイカをひょいと持ち上げた。

「ある者は容易に捌き、ある者は扱い切れぬと言う。さあ、姉君はどちらかな」

 謎掛けをしに来たわけじゃない。怪しげな人物とこれ以上関わるのは危険だ。

「あなたの目的は知らないけど、もう勘弁して。このことは誰にも言わないし、もう忘れる、だから」

 さっさと日常に戻らせて。

「えー! ねーちゃんそりゃないよ! 研究者としてはさあ、謎は解明してこそじゃんか」

「カンタ、あんたね、いい加減にしなさいよ! 何かあってからじゃ遅いんだからね!」

 さも愉快と笑いながらテルは、スイカを器用に手の平の中で回した。

「その何かは既にこの中と言ったら」

 嫌な汗が背中を伝う。今、何て?

「何故これが幾月もの過程を飛び越えたか」

 テルの問いかけにカンタは唸る。

「銀の粉かけたからでしょ?」

「ではその粉とは何か」

 テルは手の平を逆さへ向けた。スイカの乗った方の手だ。その大きな球体は教室の床に当たって、音もなく、しかし砕けるように四散した。

「あっ!」

 中身は真っ赤な果肉ではなく、きらきらと輝く銀色の粉。カンタは駆け寄って顔を近づけた。

「これ、最初にテル君がくれたやつとおんなじ?」

 急成長後、一瞬で分解されて土へ還った植物、その全ての過程に必要なもの。植物の生きる過程に、水や日光以前に不可欠なもの。実を育てたのはカンタで、そこには既に何かの責任が詰まっている。そして、目の前に存在するのは、人でも物でもなく、概念。

「……時間」

 テルの足元へしゃがみこんだカンタの背中によろよろと追いつき、力なく膝をつく。

「時間なんじゃないの、これ。圧縮された時の粒子」

 嫌な予感がする。

「ねぇ、この粉、何で出来てるの?」

「今姉君が口にした通り」

「そうじゃなくて、この時間は、取ってきたものなんじゃないの。例えば、カンタから、とか」

 どこかからカチカチと音がする。ああ、あたしの奥歯の音だ。震えてるんだ。弟はひとつまみでスイカの種に数か月の時の流れを付加した。目の前に広がるこの粉、カンタから吸い上げたおびただしい時間が散らばっている。これを、どうにか、しなければ。

「ねーちゃん」

 どんとおでこを私の腹に押し当てて、くぐもった声でカンタが言う。

「その、ごめん、心配ばっかかけて」

 今更、そんな声出すの?

「今、あんたが謝ったって……」

 謝ってほしい訳じゃない、そんなんどうだっていい。だって、カンタ、人間の人生から時間を奪い取ったりしたら、それは。

 弟の肩をぎゅっと抱き寄せようと冷たく震える手を上げかけた、が、その手の間をくぐるように、カンタはひょいとスイカの残骸へ向き直る。呆気に取られている私の目の前で、カンタは銀色の粉をためらわず口へ放り込んだ。


 家に帰る道すがら、弟にノートを買った。自由研究を一晩でやり直すという。あの後いつの間にか姿を消したテルのことも、すっかり食べきったスイカの中身のことも、二人だけの秘密にしようと決めていた。

 明け方ふと目が覚めてリビングへ行くと、徹夜中に居眠りを始めた小学生が机に突っ伏している。右手の小指の横にびっしりこびりついた鉛筆の粉が照明を受けて銀色に光っていた。そっとノートを引き抜いてみると、一ページ目にでかでかとタイトルが書かれている。

「ときはぎんのスイカなり」

 私はパチンコ屋のチラシの裏に、「時くらい漢字で書きな」とメモを残してから、弟をソファの上に転がしてタオルケットをかけた。

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