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WHITE

「お疲れさまです、お嬢様」

 耳元で囁く俺の一言で、彼女の肩がぴくんと跳ねたのが分かった。その反応に気をよくした俺は、彼女の頭の後ろへすっと手を回した。

 目隠しの布がはらりと、彼女の太腿の辺りへ落ちる。そして現れた虚ろなお嬢様の瞳に燭台の明かりが幽かに映り込んだ。

 両手両足を拘束されたままの彼女は、抵抗もせず、何かを訴えることもせず、ただ俺の顔の辺りにぼんやりと視線を彷徨わせた。

「ひと月にわたる人質生活はさぞ窮屈でしたでしょう? やっと解放の時が来たのですよ」

 笑みが込み上がる。無論、お嬢様のではない、俺の笑みだ。

「ご聡明なお嬢様はお察しかもしれませんが、この世からの解放という意味です」

 成人を迎えることなく、美しいお姿のままでこの世を去る可哀そうなお嬢様。がめつい新聞記者たちの明日の食い扶持になる哀れなお嬢様。

「あまり驚かれないのですね? それとも強がっておられるのですか、この期に及んで」

 一か月前にこの屋敷に立てこもって以来、俺はお嬢様の前に一度も顔を出してはいなかった。縛り上げたのも、食事を運んだのも、もちろん手洗いやたまの入浴に付き添ったのも別の人間だ。事件発生後すぐに地下室へ幽閉され、監視の目を逃れる瞬間のなかった彼女に、使用人である俺が実は主犯格であると気付く隙はなかったはずだ。

「ああ、そうでした。そのままでは口が聞けませんでしたね」

 年齢に似合わず落ち着き払っていて物怖じしないお嬢様が、俺への第一声にどんな言葉を選ぶのか興味があった。

 猿ぐつわを外すと、お嬢様は空気を味わうように深く息を吸い込んだ。

「あなたは元気そうね」

「……お陰様で」

 皮肉だろうか。それとも俺が助けに来たと勘違いしているのだろうか。いや、同じ幽閉の身の被害者だと思っている可能性もある。

 無理もない。使用人として完全に信用を勝ち得てから決行した今回の作戦に抜かりはない。

 このお屋敷に潜入して数年。嫌な思いをしたことは一度もなかった。お嬢様は手のかからない方だったし、使用人側からの評判は高かった。お嬢様のお父上、つまりお屋敷のご主人様は気難しいと噂の人物だったが、使用人に対して高圧的だったり払いが悪かったりはしなかった。俺が普通の人間であったなら、生涯お仕えすることを誓っていたかもしれない。

 だが残念なことに、俺は悪行を生業とする組合の幹部で、善良で温かな家族関係を破壊することに全く罪悪感など抱かない人間だった。本当は残念なんて微塵も思っていないくらいに、両手を汚して生きてきた。

「さてと、お嬢様。あまり時間はございません。何せ約束の期限は今夜十二時の鐘が鳴るまでです」

「そう」

「残念ながら、ご主人様はあなたの身代金をお支払いになるつもりはないようです」

「そう」

「それだけですか?」

「ええ」

 あまりにあっさりとしている。この一か月、最低限命を繋ぐくらいの食事しか与えていないし、ほとんどの時間を手足を拘束したままでいたから、衰弱しきっているのかもしれない。

「お嬢様、何か召し上がりたいものはございますか?」

 食事の提案をしたのは単なる気まぐれだった。

「屋敷内に残っている食材の範囲で、ではありますが」

 お嬢様は俺の目を見た。心なしか瞳に光が宿ったように見える。

「ホワイトチョコ……」

「え? 何です?」

「ホワイトチョコレートが食べたい」

「は? ホワイトチョコレート? そんなんが最後の晩餐でいいのか?」

 余りに予想外な返答に驚いて、思わず敬語で取り繕うことを忘れた。まあ、残り数時間で消える人間にこれ以上神経を割いて、従順な使用人のふりを続ける必要は本当はないのだが。    

「失礼いたしました。残念ですが、お屋敷の外に買い出しに行くことはできません」

「私の部屋に、あるの。ドレッサーの、一番下の、引き出しの中に」

 お屋敷の中は隅々まで物色済みだった。お嬢様の部屋も例外ではない。金目のものは全ていただいたし、武器になりそうなもの、逃走に仕えそうなものは念のため全て押収してある。ドレッサーの前へ誘導して何か良からぬことを企んでいたとしても、成功する可能性は皆無だ。

「かしこまりました。私が直接取りに行ってまいります。お嬢様にはこちらでこのままお待ちいただくことになりますが、それで宜しいでしょうか?」

「ええ」

「では」

 地下室を出る時、俺はそっとお嬢様の方を振り返った。彼女の口元はわずかに微笑んでいるように見えた。

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