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BIAS

 息子から手紙が届いた。

 二十八歳、独身無職。十年来碌に会話もしていない、あの息子からだ。

 風呂から上がった俺は恐る恐る、細く巻かれた手紙を机の上に伸ばした。


「拝啓、親父殿。」

 手紙はその一文から始まっていた。

「最近俺の姿を見なくなって、さぞ驚いていることでしょう。」

 言われてみればそうだ。最近便所ですれ違うことも、好き勝手に食糧を漁っている姿も見かけてはいない。

「実は今、俺は家の中にはいません。」

 なんだって?!

 俺は急いでガウンを羽織ると、息子の部屋へと階段を駆け上がった。様子伺いのノックをすっ飛ばし、勢いよく扉を開く。

 息子はいなかった。散らかり放題の部屋はそのままで、中央に鎮座しているはずの息子の場所だけが、ぽっかりと穴のように空いていた。

 その場で、右手に握り締めていた手紙を開く。

「何を隠そう俺は今、異世界転移先で心躍る日々を送っています。」

 い、異世界転移? なんだそれは?

「ここは本当に夢のような国です。この国には楽しいものが溢れています。見慣れない便利なものに囲まれた素晴らしい生活に、好奇心を掻き立てられないはずがありません。どの店にも旨いごちそうがたんまり並び、衣服は着心地抜群で上等な手触り、安全で守られた住まいは快適そのものです。」

 どういうことだ? 

 部屋に引きこもって悪態ばかりついていたあの息子が、賛辞を並べ立てるなんて、ただ事ではない。異世界転移先、というのはどんな大都会か、はたまた魔法都市か。相当に裕福で恵まれた国という感じを受けるが……?

「何より、この世界には、俺を必要とする仕事があります。」

 有り得ない……!! 息子“が”必要とする仕事、ではなく、息子“を”必要とする仕事だと? そんなものがこの世に存在するとは思えない!

 さらに有り得ないのは、そう、仕事をしているだって?! 取り柄がまるでなく、世間からもついには家族からも腫れもの扱いされている息子がだ。

「俺は毎日、優しい友や隣人に感謝されながら働いています。」

 ああ、遂にあれだ。頭がおかしくなったのだ。この手紙は妄想と現実の区別がつかなくなった息子が、夢うつつでしたためたものなのだ。そうに違いない。

「お礼を言われることが、人のために働くことが、こんなに清々しいものだったとは。過去の欝々としていた俺に教えてやりたいところです。」

 確かに、汚く読み辛い息子の字に違いはない。だが、内容が全くもって馬鹿げている。

 異世界などと、ありもしないおとぎ話のような国を自分勝手に作りあげ、その妄想を追って姿を消した息子。

 可哀そうに……。流石にここまでくると、憐れまずにはいられなかった。

 我が息子に対する、これまでの印象を並べ立てるなら、こうだ。

 物を持ち上げることも満足にできない非力男。ちょっとした距離を歩くことだって億劫がる怠け者。食べ物、着るもの、関わる人間、どれをとっても好き嫌いが激しい偏屈野郎。

 ここについに狂人が加わったのだ。

 目の前の誰もいない空間を呆然と見つめながら、次にすべきことを考えた。

 探さなければ。狂人と化した息子が世間の目に触れる前に、どうにかしなければ。いや、もはや手遅れかもしれないが。

 既にくしゃくしゃになった手紙を再度見る。

 最後の一文を読んで、納得した。やはり気が触れている。そしてこれはもしかすると、もう息子はこの世のものではないのかもしれない。それはそれで、都合が良いか。

 俺は冷えてきた肩をさすりながら、息子の部屋を後にした。数刻前にいたはずの場所へ向かって、階段を一段、一段、踏みしめながら進む。

 最後の一文はこうだった。

「早く風呂の底へ潜れと。」

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