とうとう山梨にやって来た
それから三週間が経った頃、総務部長からの呼び出しがあり、前回の話の回答がでたとの事で会議室へと向かったのである。 そしてさっそく俺は、その回答を部長に聞いてみた。
それによると茨城県つくば市にある第一研究所では無く、山梨県北杜市にある第二研究所であれば、異動も可能であるとの事であった。
しかしその研究所は小規模であり、総務課員も僅か三名しかいないとの事であった。
そこで会社側からの提案としては、俺の今までに培ってきた知識と経験とを活かして、午前中は総務課に所属して仕事をこなし、そして午後から研究室での勤務ではどうかという内容であった。
それは俺にとっては思ってもみなかった提案ではあったのだが、意外とそれも面白いかなとも考えた。
そこでその会社側からの提案をたいへん嬉しく思い、二つ返事で快諾させてもらう事にした。
俺が勤めている製薬会社は東京の丸の内に本社を置き、埼玉県と山梨県の二ヶ所に工場がある。
そして全国十ヶ所に営業所を持ち、茨城県つくば市の研究学園都市に第一研究所がある。
そこではDNAを含むヒトゲノムの研究や、IPS細胞を使用した再生医療、そしてバイオ技術を利用しての医薬品の研究から一般薬までを開発している。
いわば、我が社の中枢を担っている研究拠点である。
そして俺が今回、異動する事となった第二研究所とは山梨県の北杜市にあり、主に漢方薬などの生薬や栄養ドリンクを研究したり生産をしている。
そのために水が綺麗であり、風光明媚な場所に建てられているのであった。
それから三ヶ月が経ち、三月の最終日曜日、ついにその日がやって来た。
朝から快晴に恵まれ、家族とも別れの挨拶を済ませた。
その時に娘たちからは激励の言葉をもらい、思わず涙してしまった。
俺の自分勝手な生き方を認めてくれて本当に感謝している。
マイカーに必要最小限の荷物を乗せて家を後にした。
首都高速から中央道へと入り、八王子の料金所を通過した。
そして緑豊かな景色に変わった時、俺は淋しさを感じながらも、これからの仕事や生活に対して
「気合いを入れて頑張るぞ」
と心の中で、自分自身を奮い立たせていた。
しかし本音を言うと、山梨県北杜市への単身赴任が決まった時から、期待よりも不安の方が大きかった。
「我が社の研究員たちは皆、大学生の頃から専門分野を勉強してきており、更に社会人となった入社後も知識に磨きを掛けてきている。
俺からしてみたら、とんでもない研究頭脳の持ち主たちだ。
そこへ素人同然の俺が合流をして、足手まといになったりはしないものなのか?
俺も今年で五十三歳になるし、彼らからすると異端児にも見えるだろうな。
しかし上司は、こう言っていた。
四月入社の新入社員には、教育係をつけて濃密な研修期間を設け指導する。
その点、君には正直、それほどは期待していないのでマイペースで自由にやってくれ。
会社側からすると研究員というよりも、研究所全体を見渡せる総務の方の仕事で期待しているからと。
その思いやりのある言葉に俺は、肩の荷を下ろして気楽にやって行けそうだとも思った。
しかしそうも言ってはいられない。
俺には定年までに残された時間が限られているんだ」
色々と想いを巡らせている間に車は中央道を降り、一般道へ出てから暫くして脇道へと入って行き、その後、樹林帯を縫うようにして坂道を登っていった。
すると目的地であった第二研究所が見えてきた。
そして俺はその前を通過し、そこに隣接して建てられている会社の寮の駐車場へと車を停めたのであった。
すると何処からともなく、四人の社員たちが近付いてきたのである。
見たところ、それは俺とは親子ほど歳の離れた若者たちであった。
軽く挨拶を済ませたのち、部屋への荷物運びを手伝ってくれる事になった。
何でも彼らが言うのには、数日前から本社勤務であったベテランの社員が異動をしてくるとの噂が広まっていたとのことである。
荷物の整理も終わり、午後六時からの夕食の時、食堂に集まった約三十名の仲間たちの前で、簡単な自己紹介をさせてもらう事になった。
入社以来、自分が辿ってきた仕事内容や失敗談、家族構成、そして今後の意気込みなどを語らせてもらったのだが、皆んな温かい拍手で迎え入れてくれた。
「よし、明日から心機一転、頑張るぞ」