昴(スバル)02
移動中に急激に雨が降りそうな、どんよりとした黒い雲が近づきつつあることに一抹の不安がよぎった。願わくば雨が降る前に、このエリアは移動したいところだ。実は加速魔法【ブースト】は、雨との相性が良くない。ブーストは地面に衝撃をぶつけ、その反動で移動をアシストする移動魔法。なので地面との摩擦の関係で雨天時の操作が難しいのだ。そのために通常より高い出力を出してもスピードは落ちてしまう。さらに雨によって分散し始めている移動痕跡を消す浄化魔法【オールクリーン】も通常よりも広範囲に発動しないといけない。つまり、雨天における魔力【魔法を使う為に必要な力】は通常の3倍くらい消耗するのだ。
そして雨のもう一つの悩みは、『縄張り』の境界がぼやけてしまう事。縄張りとは、我々人間とワイルドモンス【少数の凶悪モンスター】とのボーダーライン。お互いが一定の行動範囲を縄張りとし、言葉が通じなくとも不可侵のないよう、互いの気配などで察していた。
これはあくまで人間側の考えだがオールグリーン【人間の領域のエリア】と、レッドエリア【ワイルドモンスの領域】と別れ、イエローエリア【中間的エリア】がお互いの安全マージンのエリアなのだ。当然我々は、遠回りになろうともオールグリーンしか移動しない。
ところが、雨が降ると、ワイルドモンスのマーキング【尿や匂いを木々や地面につける事でエリアを確保する事】がぼやけ、稀にイエローエリアまでレッドエリアが拡大する事がある。最悪、イエローとグリーンの境界すら曖昧になり、ワイルドモンスと遭遇する可能性もゼロではないのだ。
特にこの地方の雨はゲリラ豪雨のように、一瞬で近辺の視界と匂いを遮断する勢いの量の大雨を降らす。
「こ、こいつはまずいね」
「師匠〜。来そうですね、雨が」
「あぁ〜」
と、話してる間もなく、雨が降って来た。もう少し、時間的余裕があると思っていたが、いきなり大粒の雨が降り横殴りの風も出て来た。これはもう、高速移動出来る状態ではない。
「一度、ブーストを解除するね」
「はい、師匠〜」
「スバル‼︎ しばらく我慢してね。雨を遮る魔法はあるんだけど、今は使えないんだ」
「なんで、傘はないの⁉︎ 傘みたいな魔法はないの⁉︎」
「あるにはあるけど、……じ、事情が変わった。静かに‼︎」
「え⁉︎」
……流石に、これはヤバイヤツと遭遇してしまった。……体長約7m、体重おそらく1トン近くあるにも関わらず、俊敏な動きをするショルダーベアだ。左右の肩の筋肉だけが異常に発達していて、盾にもタックルにも使ってくる。
俺たちとショルダーベアの間に、ものすごい豪雨が半透明な壁のように遮っているのだが、あきらかに相手も俺たちに気づき警戒している。……流石に我慢出来なくなったのか⁉︎ 恐怖に震えながらもスバルが俺をせっついてきた。
「は、早く、あんなの倒してよ‼︎ トウタなら楽勝だろ⁉︎」
「ん⁉︎ なんで倒すのかな⁉︎」
「え⁉︎ だって敵なんだろ⁉︎ だったら早く倒さないと、こっちがやられるじゃないか⁉︎」
「だから、なんで敵なのかな⁉︎ 確かに凶暴だよ。人間には危険だよ。でもね。危険=敵ではないんだよ」
「え⁉︎ なに言ってんの⁉︎ 危険だから敵なんでしょ‼︎」
「スバル、よく聞くんだ‼︎ この世界は人間が生物においての頂点じゃないんだ。だから、精霊は人間と共存する道を選んだ」
「それは、ここまでの移動中に聞いたよ。魔法の事とか、精霊の事とか。でもこの凶暴なクマみたいなやつとは人間との共存は無理じゃないか‼︎」
「共存とは、必ずしも『同じエリアで暮らす』という意味ではないんだよ。お互いのそれぞれ生活する領域が離れていても共存と言えるのさ。現に今まで、人間もショルダーベアも生きているじゃないか。それが証拠だよ」
「……そうだけどさ。なら、どうするのさ⁉︎ 会話も出来ないんだから、黙ってこのままやられるのかよ」
「さっきも言ったけど、スバルは少しせっかちだね。いいかい、相手もまだ『警戒』してるんだ。という事はね。まだ戦闘態勢ではないんだよ」
「警戒態勢と戦闘態勢の違いがわからないよ」
「つまりさ、戦う以外にも逃げる以外にも『選択肢はある』って事さ。戦う事だけが道を切り開くだけじゃないって事さ。……んじゃ、そろそろかなぁ〜。カミュールさん、スバルを頼む」
「師匠、無理しないでくださいね」
「ありがとう……そしてスバル‼︎ よく見ておくんだ。これが『この世界で生きる』って意味なのさ」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
見上げると、雨は上がり綺麗な西日がさしてきた。流石に恐怖から解放されたのか?それまでの意地が緩んだのか?スバルは疲れて眠っていた。そんな寝顔を見て、私は反省をしていた。子供相手になにを向きになっていたのかと。まだまだ私も修行が足りないなぁ〜。そして高速移動する師匠の横顔が西日の逆光で表情が見えないのをいい事に、さっきのショルダーベア戦の感想を伝えた。
「それにしても、あのゲリラ豪雨の視界不良でよくわかりましたね。流石に師匠です」
「ありがとう、カミュールさん。ショルダーベアは通常さっきのエリアまでは絶対に侵入してはこない。そして俺と対峙していた時、わずかに何かをかばった気がした」
「さすがです。まさか向こうも『子供』がいたなんてね」
「こっちにも『子供』がいたからね。まさにお互い様ってやつだね。」
「だからと言って、ギリギリまで近づきますか⁉︎ 一歩間違えば、大怪我どころでは済みませんでしたよ」
「こちらから攻撃をする意思がないと見せるには、一番手っ取り早い方法だったんでね。……仕方なく」
「でも、師匠もベア親子にも被害がなくてよかったです。何より、スバル君がこの結果に驚いていましたもんね」
「偶然だったとはいえ、スバルには良い経験だったと思う。転生者上がりはどうしても敵=戦うというイメージなんだ。だからすぐに勝負という土俵に上がってしまう。でも『本当の敵』は、あんなもんじゃない。それはスバルがこれから知る事になるんだけどね。……今はとりあえず寝かせておいてあげよう」
「はい、師匠〜」
日が暮れかけたせいか、すこし肌寒くも柔らかい風が吹いてきた。その追い風を受け、私たちはミストラルへの帰途を急いだ。