アギトの憂鬱03
ミトさんが言うとおり、道というべき確固たるスペースはない。無造作に伸びる樹木の枝や、この中で一番背が高いトモミすらはるかに凌ぐ高さの深く生い茂った草木をかき分けないと奥へは進めない。
「みんな、枝とか足元には気をつけてね」
俺を先頭にみんなが続き、カミュールさんは最後尾で注意を払ってくれた。そしてしばらく光の届かない薄暗い森を進むと、急に開けた場所に出た。そこはグリーンミストパークとは趣旨が違う、静かで空気が澄んだ神聖な広場だった。森特有の凛とした肌寒さと薄暗い木々の間をすり抜けて到達したからこそ、余計に光に包まれたような感覚が一気に肌に浸透したかもしれない。
森林浴とはよく言ったもので、360度パノラマの樹木に囲まれ、照りつける太陽の光を心地よく吹き抜ける風で熱を抑え、同時に自然の匂いも運んでくれる。大きく深呼吸をするだけで、心が落ち着き、思考がリセットされるような心地よい気分になった。みんなはこの空間の心地よさに驚き言葉を失った。
そしてみんながリラックス出来た頃合いをみて、ミトさんが話をし始めた。
「どうだい、良いところだろう〜」
「え〜とっても」
「リフレッシュ出来るね〜」
「うんうん」
各々が、興味津々なこの場所で自然を堪能していた。
「……ところであんたちはこの世界に来た時に、死んだ直前の記憶はないはずだよね」
「そうですね。この世界へ来て結構立ちますが、どうしても思い出せません」
「オレは、もう気にしてないけどね」
「ボクも‼︎」
「では、こんな風に考えたことはないかい……なんで全部の記憶が忘れていないのか⁉︎」
「え⁉︎ どういうこと⁉︎」
「そ、それは、精霊がボクたちの前世の知識が欲しかった……という意味ですか⁉︎」
「いくらなんでも、そこまで強欲じゃないよ。そもそも都合よく記憶の操作は無理なんだけどね」
「ですねよ。記憶の全部を削除なんて事されたら、逆に精霊との良い関係は無理だよね」
「そうだよな」
「転生魔法を扱ってきた私がこの件に関しては一番詳しくないといけない。その上で言えることは、みんなそれぞれが代わりなどいない『個人』であるために記憶があると思っている。全部の記憶を消してしまっては、もうそれは操り操り人形だよ。精霊と人間の関係に優劣がついてしまう」
「た、確かに……何もわからない状況で一方的に教育を受ければ、それが善かか悪か判断が出来ないもんね」
「仮に記憶の全消去が可能で私が悪者だったら、転生して来たあんたらを全員を殺人マシーンに洗脳することだって出来たんだよ」
「ちょ、ちょっと怖い事を言わないでくださいよ‼︎」
「転生魔法は等価交換が原則だから、リンカーの記憶まで影響が及ぶ範疇ではないんだ。もし影響が及ぶのであれば、記憶を全部消した方がミストラルにとっては得なのはわかるね。何度も言うようだが、ゼロから教育出来る事に尽きる。でも実際はそうじゃなかったはずさ。記憶があるから交渉決裂もあった」
「あ、そうか‼︎ そういや交渉段階で離脱した転生者もいたって、トウタさんが言ってたわ」
「あんたらの今が存在しているのは紛れもなく昔の記憶ありきなのさ。だから、昔の記憶は忘れなくて良いんだよ。楽しい記憶、苦しい記憶、悲しい記憶があって『今がある』んだよ。それを無理やり忘れようとする必要はない。それをいつまでも、胸に刻んでおくんだ」
ミトさんは、俺の想像とは逆の事を言ってきた。てっきり「気持ちを切り替えて、この街を守ることだけを考えろ」とか言われるんだと思っていた。この街に対する貢献とかのグローバルな話で俺たちを納得させるものだと思っていた。しかしそうではなく、俺たち一人一人の存在意義と、ここまで生きて来たことに対して尊重してくれた。
人それぞれ受け止め方が違うかもしれないが、俺がここで生きる意義は過去によって形成されたものが影響し、今に至ると思っている。決して誰かに強制的に命令されたものではなく『今の俺』が決断した事だ。その判断材料なる『ここまで生きて来た証』……つまり前世の記憶をミトさんは忘れないでいいと言ってくれた。
それは精霊が人を尊重し、人を信じていることに他ならなかった。だからこそ立入禁止のこの場所に、精霊専用の特別な場所に、俺たちを招待してくれた。
……俺はミトさんの心の広さに救われた気がした。この方についてきてよかったと心から思えた。
同時に、ふと今朝出会った女性の事を思い出していた。お礼をしたいと誘ってくれた女性に対し断るつもりでいたが、急に会ってみたい気持ちになった。特に深い理由はない。ただ後ろ向きではなく前向きに生きる為に必要だと感じた。
というよりミトさんの話を聞いて、ここに長く住んでいる人の気持ちも知りたくなったのが本音だった。




