精虫族(ワスピー)09
扉の先はどうやら地下に進む道らしい。下へ降りる階段がわかる程度の脚元照明が一定間隔で側壁の下側に設置していた。その光は奥へと続いていて、実際に階段が終わるとそこからは細い通路が続いていくのだが、空間の全貌を把握するにはあきらからに薄暗かった。ただジフリークはこの状況に追い込まれても魔法を使用しない。
余計な手の内は見せたくないのは基本中の基本だからだ。交渉にこの場所を選んだ理由を考えれば、相手の心理が自ずと見えてくる。視界を断ち不安にさせて交渉を有利に進める。……そんな事はジフリークですら百も承知だった。
地下通路は単純な直線ではなく蛇行したり鋭角に曲がったりと、入り組んだ構造だった。そんな地下通路を進むと正面に明かりが見え、そこに人物の影が二つ見えた。どうやらこの先が目的の場所らしい。当然といえば当然だがジフリークは護衛とおぼしき二人に身体検査をさせられた。しかし『例の切り札』だけは箱の中に入れ厳重な魔法鍵で封じていた為、護衛でも解除出来なかった。
……この街の連中は魔法を使えない。
休憩の際に立ち寄った食堂や、宿舎の住人。質問をした際の一般人。それどころか国を直轄する立場の護衛ですらこの鍵魔法を理解出来ていない。つまりジフリークは、たったこの箱一つでブロックフロー国ほぼ全ての連中の魔法使用者かどうかの有無を確認したのだ。
ただし、この箱は贈呈品と言う名目で持参を許可され、ジフリークはこのまま扉の中へ入る事を許された。
扉の先は部屋になっていた。大衆酒場の外観から想像する地下室のイメージとは、かけ離れていて思った以上に広く格式ある豪華さがあった。ざっと部屋を見渡して一番目立つのは中央に陣取る大きな楕円テーブル。おそらく対面相手と一定以上の距離をとる為に、このテーブルはあるのだろう。部屋の奥にはあきらかに格の違う人物が座っていて、その両隣に護衛らしき人物が4人立っていた。扉の前の護衛を含めれば相手は6人……いや、上の階にいる大勢の連中も含めれば多勢に無勢といった状況なのは明白だった。しかしここまで来た以上、一切ジフリークは動じない。
「フランガル様、初めてお目にかかります。ミストラルから来ましたジフリークと申します」
ジフリークは、ここで初めて『ミストラル』から来た事を他言した。身分を偽らない事で、余計な駆け引きをなるべく排除するのが狙いだ。そして交渉相手のフランガルの事も武器商人から最低限の情報として入手していた。
「ふむふむ。……ミストラルとは珍しい。あそこ『も』かなりの閉鎖的な国だと聞いているのに、まさかこんな非公式な交渉を持ってこようとはな。しかも相当若いな〜」
「年齢はお気になさらず。何百年と生きている精霊達がミストラルをダメにしているのが現状なので、自分の様な若輩者が立ち上がった次第です」
「……なかなか言いおる」
中央にどっしり座っているフランガルは初対面におけるジフリークを見て、切れ者だと見切った。それは、このような圧倒的不利な場に一人で来る胆力に加え、少しも動揺してない精神力に、ただ者ではないと瞬時に悟った。そんなジフリークに対しフランガルは釘を刺すように言葉を続けた。
「さて交渉の前に、一つこちらの手の内を曝しておく。我々は魔法は使えないが、魔法を封じる策は持っている。だからこの場における魔法は一切通用しないと思っていただこう」
「……承知しております。もとより使うつもりはありません。」
ジフリークが『ミストラル』から来たと言った以上、魔法使いなのは必然なのだ。だから『そこ』を封じてくるのは、交渉において定石とも言える。そういうフランガルの強気な発言にも一切動じないのは、ジフリークがそこまで読み切っていた事に他ならない。魔法封じが真実か嘘かはわからないが、この場面は素直に従う事が賢明だと悟った。……この辺りの瞬時の切り返しが、若いながらそつがない。
「ふむ……なかなか頭の回転が早いな。ならば、もう一つ問おう。なぜ交渉相手にブロックフロー国を選んだ?」
ここからの返答は僅かな駆け引きのミスも許されない。ジフリークは用心深く丁寧に説明する。
「ミストラルの抱えている問題をクリアさせるには、この国の力が必要だと考えています。それはこの街に滞在して、この考えに間違いはないと確信致しました」
「ふむ……では、この街にどういう印象を持った?」
「国、街、兵士、民衆が全て同じ方向を向いている事。この一番芯の部分の信頼関係がミストラルに足りない部分であります。だからこそ力をお貸し頂きたいと思っております」
「我が国の見立てはそれだけかな?」
「一見過剰な防御ともいえる防壁は民衆を束ねる上で、理があります。率先して行動を起こしている工房を見ると管理と協調のバランスが長けているのだと感じました」
「……なるほど、なかなかの観察眼だ」
「ありがとうございます」
フランガルはしばらくジフリークの感想に考えるような仕草をしていたが、すぐさま交渉の続きを求めた。
「では、お前の望みに対する対価はなんだ?」
さぁ〜ここからが本番だ。ジフリークは全神経を集中した。この先は、たった一言の返事からその先の展開までミスは許されない。
「はい、まずはこちらをご覧ください」
ジフリークは様子を見るといった回り道をせず、単刀直入に本題へと進んだ。その方がこちらに分があると確信していた。それほどのこの世界にとって革新的な『武器』だった。
ジフリークは持ってきた箱の魔法鍵を外し、上蓋を開け中から武器を取り出した。
「それは……なんだ?」
「拳銃と言います。この先端の穴から弾を発砲する事で至近攻撃において有利な攻撃が可能になります」
この世界と現世の違いは文明の進化過程にある。魔法という非科学的要素でこの世界が進んでいるが、純粋な物理攻撃の武器の分野では前世の方がはるかに進んでいた。その際たるものが銃だった。今回、ジフリークはこの場に拳銃だけを持ってきたが、知識としてライフルやマシンガン、散弾銃など現代におけるほぼ全ての銃の知識をジフリークはリンカー達から得ていた。
「そして、これ以外にも射程が長い『散弾銃』の設計図も渡す事が可能です」
ジフリークはこの場に現物は拳銃しか持って来なかった。裏の取引において、こういう閉鎖された場所に呼び出されるのは承知済み。ならば試し打ちの出来ない射程の長い銃を持ってきても意味がない。コンパクトに持ち運びが出来てそれでいて威力が試せる至近距離の武器の方が、交渉において切り札になると読んだ。
「試しに撃ってみましょうか?」
この未知なる武器に必ず食いつくと思っていたジフリークは、さらなるパフォーマスでアピールを確固たるものにするつもりだった。
「……いや、もういい」
「え?」
ところが、フランガルの反応は予想していたのとは逆だった。説明を聞いても、試し撃ちにも興味を持たない。ジフリークはフランガルのまさかの対応に動揺を隠せないでいた。




