-第二十九章- 安寧を捨てて(2)
-前回のあらすじ-
かつて自分が目を覚ました街で、サラリーマンがトオルの被害に遭うところを目撃する。
はっとして目を覚ます。そこは見慣れたセメントづくりの狭い部屋だった。薄暗い緑のライトもおなじみである。
入口から入って右手にベッドが設置されているということは、ここはB区画の西側に位置するはずだ。となると、ここの真上にはクローン培養プラントと感応派増幅回路の搭載された隠し部屋があるということになる。
ずいぶんと辛い夢を見た。トオルが死んでしまうのを見せつけられるだなんて。
けれど、おかげで私はすべてを思いだすことができた。この施設で作られて、計画の要として甘やかされ、最後には失敗作と分かり捨てられるまでのすべてを。
そうだ、私はあのとき渡辺敦に報告するトオルを見ていたのだ。もちろん、報告を受ける渡辺本人も。もっと早く気付くべきだった。私が仲間たちを危険にさらしたといっても過言ではない。
今の私ならこの施設内部をすべて知り尽くしている。一度は成功品として『教育』を受けたのだから。つまり、今私は相手の気付かないイレギュラーな切り札なのだ。
いちはやくここを抜け出して、神城さんたちと合流しなければ。すべてをあきらめたつもりで、いじけていた時間がもったいなかったと少しばかり後悔する。
愛ゆえに苦しんでいたのだけれど、そもそも愛とは人を弱くするために存在するのではない。それはただの依存にすぎない。愛とは、強くあるために存在するものだ。
だから、私はトオルの分も戦う。トオルが見ることの叶わなかった未来を、たとえ一秒でも長く見つめるために。そして、真実を知っていながらそれを忘れていたことへを償うために。
ベッドから跳ねるように立ち上がると、正面にある洗面台で顔を洗う。冷たい水が頬を伝い、すっきりと目が冴える。もう、以前のように守られるだけの私ではない。仲間と合流して、この施設の知識となり、地図となろう。
そのためにはまず、このロックを突破する必要がある。確か『教育』によれば、ここのロックは渡辺とその側近の持つ電子キーによって管理されているはずだ。
だが、ロックの解除方法はそれだけではない。施設に万が一災害が発生したとき、重要な能力者だけは逃げ出せるようになっている。ここB区画と、隣のA区画はその非常時のロック解除指定区域だ。
あとはこの付近で何か災害、ないしはそうと誤解される現状を起こさなければならない。扉を蹴りつければ誤作動するだろうか。否、それはない。なぜならその程度の暴動など日常茶飯事だからだ。薬によって混乱した能力者が暴れるなど、起きない日の方が珍しかった。
ならばほかに手立てはないか。一番手っ取り早いのは外部からの侵入者が現れることだが、それがやってくる可能性はごくわずかだ。