-第二十章- 山添徹(1)
-前回のあらすじ-
トオルに拠点がばれているため、藍沢さんの決断により拠点を放棄することとなる。
「ごめんなさい。次は忘れないから。ちゃんとやるから。だからママ、許して」
夕方八時半すぎ。風呂の湯沸かしボタンを押し忘れてからすでに三十分以上が経っていた。今日は何の問題もなく一日を終えられるかと思ったが、最後に簡単なミスを犯してしまうとは我ながら滑稽である。
また昨日のように、ベランダへ締め出されてから反省してももう遅いのだ。冬の寒さが染みるように体を冷やしていく。初めの頃こそ地獄のように感じるが、少し経てば感覚がマヒして寒さも感じなくなることを知っている。僕はもう慣れているから。
冬の乾燥した風がごうごうと音をたてて建物の隙間を駆け巡っていく。ベランダから顔を出すとまた叱られてしまうから、僕は床に体育座りをして震えていた。
今日は学校に行かせてもらえる日だったから、比較的マシなのだ。日中は学校にいるから、給食は満足に食べられるし暖房だってある。それに、なによりあのヒステリックな母がそばにいないだけで気が楽になるのだ。
今日もまた外で寝かされるのだろうか。昔はここまでひどい扱いは受けていなかった気がする。こうなったのも、おそらく僕が小学生にしては頭が回りすぎることが問題なのだろう。あるとき両親の問題にそれこそ痛いくらい的確な指摘をしてしまったのだ。それから家庭は狂ってしまった。
そもそも僕は母の子であっても父の子でない。それが何を意味するかを僕は自然と気づいてしまっていた。とどのつまり、母は僕のことが邪魔なのだ。
特に離婚して母についていったころから、僕はストレスのはけ口になっていった。膨大な仕事を与えられ、ミスをすれば罰を与えられる。学校も毎日は行かせてもらえない。
初めのうちこそ学校に必死で訴えるも、聞き入れてもらえないと気づいてからはやめてしまった。むしろその情報が母に伝わって扱いがひどくなることを恐れた。僕が生きながらえるためには無駄な抵抗はせず、素直に従うしかないのだ。
当然脱走を考えたこともある。友達の家にかくまってもらおうだとか、警察に駆け込もうだとか。それでも、きっと大人は僕の話などまともに聞いてはくれない。それはもう担任で懲りていたから。
寒さでだんだん四肢がマヒしてきた。こうなればさほど苦痛は感じない。冬の空は透き通っていて、瞬く星がとても近く感じる。そろそろ眠ろうか。どうせ起きていたところでお腹が空くだけなのだから。
* * * * * * * * * * * * * * *
母が妙な話を持ってきたのは風呂を入れ忘れた日の数日あとのことだ。
「あら、トオルに薬を飲ませるだけでこんなに儲かるの?」
その独り言は嫌に耳についた。僕を金もうけの道具にしようというのか。母の傲慢さにはうんざりした。
それからすぐに、母に連れられるまま病院へ向かった。そこは都会にある総合病院だった。病院が嫌いな子供は多いと聞くが、僕は全くその逆だった。病院にいる間は母が妙におびえたように静かになるし、僕に手をあげることもない。
それでも今日は嫌に笑顔だし、出発前の独り言も相まって僕は嫌な予感がしていた。