彼女が墓前に、桜の枝を添えるまで。
テーマ三題噺
「夢・断髪・桜の下……を挟んだ物語」
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桜の下には、死体が埋まっているという都市伝説がある。
聞く人によって、その都市伝説のとらえ方は様々であろう。もしかしたら誰かは、悲恋の結末に死を選んだ人物への、人の所業ならざる奇跡だと考えるかもしれないし、或いは誰かなら、何の幸福もなく死んだ人物への皮肉じみた偶然だと考えるかもしれないし、……当然、そもそもどうでもいいと考える人だって多いはずだ。
さて、私は誰だろうと考えるなら、無論ながら最後の一つ。桜並木の一つ一つに物語を夢想するような暇人は、恐らくはもうそれだけで一つの才覚であろう。私にそのような財産はない。
しかし、それでも、
幾つもの桜の木に逐一、物語を夢想はせずとも、
たった一つの木に物語を疑うことは、きっかけさえあれば誰にだってあるはずだ。
桜の木の下には死体が埋まっている。それは、都市伝説としてはおそらくはメジャーどころであるはずだ。だからこそ、
――この桜については本当にそうらしいというのなら、私は、
きっかけは、過日の花見祭りのことであった。
それは、よく晴れて、そしてささやかな風が吹く日和のこと。とある地方都市の一角を賑わせたのは祭りの喧騒と、そして誰かの悲鳴であった。
曰く、見物客の一人が、座り込んだブルーシートの下に違和感を覚えたのが、事のきっかけであったらしい。
――人の髪が、芽を出していた。
祭りは一時中断。物見遊山の連中は、何を大げさなと、最初の内は呆れていたらしい。しかし、
その毛髪のおびただしい量に、彼らは言葉を失った。
見物人曰く、それは人の頭髪の、そのちょうど全てを刈り取った程度の量であったのだという。
女性の髪であったと、彼らは言う。土にまみれて無残となったそれは、しかし、美しい黒髪の誰かを容易に想像できるような、以前気品を失わない姿をしていたという。それが、桜の足元を、掘れば掘っただけ出てきたらしい。
絶句は、忌避感となって拡散する。人から人へとそれは伝染し、面白いことに、その祭りに来た客の八割は事情さえも知らないまま、なに一つの混乱も起きずに彼らは解散した。
或いは、お通夜のような状況であろうか。みな一様に、彼らは沈痛とした表情を張り付けて、目前にある禁忌を避けるようにその場を後にした。残ったのはいくらかの野次馬と、それを諫めるために集まった関係者各位に限られた。
この木を切り倒すべきだと、関係者らは言った。野次馬はそれを即座に、そしてどうやら面白おかしく脚色して発信したらしい。真に事情を知らない外野の団体が、それはやりすぎだと異を唱える。それら全ては情報媒体上での出来事であった。
木を切り倒さずともやりようはある。もっと丁寧には出来ないものか。桜の木には、なんの落ち度もないはずだと、外野は声を張り上げた。或いはもっと理性的な様子で、DNAの確保は出来ているのだから、そこからいくらだって辿りようがあるはずだと。実情で言えば、お上の技術が国の粋を集めたものであったとしても、年間万単位に上る行方不明者のDNA情報のストックなど持つはずがないのだが、どうやら世間にとってこの事件は、事件性があると確信されてしまっていた。
「桜の木の下には、本当に死体が埋まっていた。」
――多くの情報媒体が引用したのは、件の都市伝説のことであった。
健やかであるべきはずの花見の場に起きた、かようにもショッキングな事件。直近に手ごろなトピックスもなかったためであろうか、報道は連日、その事件について続報を飛ばしていた。
曰く、桜の木を切り倒すという判断は、仕方ないとするべきであろう。曰く、この街の花見祭りには格式高い伝統がある。曰く、誰かのいたずらである可能性を考慮はしていないのか。曰く、目下調査中につき。曰く、それではいけない、それだから体質非難にさらされる。曰く、そもそも誰が木の切り倒しを押しとどめている? 曰く、当サイトは閉鎖いたしました。曰く、責任者を出せ。曰く、責任者はどこだ。曰く、いい加減にしてはどうだ。曰く、
――曰く、つかれた。もういい。結論を出そう。
そして、明日。
情報番組曰く、桜の木が切り倒されることに決まったのだという。
「…………、…………。」
一つ、考えてみたいことがある。
つまり、都市伝説には、往々にして解釈が付属するというお話だ。
例えば、その風貌に異を唱えれば時速八十キロもの健脚で襲い掛かってくるという神出鬼没の怪人物「口裂け女」について。
そんな化け物、余人からすればあまりにも勝ち目がないものである。ゆえに彼女の生態にはいくつもの脆弱性、つまりその都市伝説への攻略法が存在する。
例えば、路地裏の隅で独り言をささやきながら生ごみを漁る「人面犬」について。
彼らについての都市伝説は、その正直なところの無害性から、実は人のなれの果てであるなどというワザとらしい尾ひれなどがしばし増える。
例えば、――足元に人の亡骸を隠した「桜の木」について。
その下で、思い人に告白すると、願いが叶うのだという。
「――。」
それは、ほんのささやかな願いであったのだという。
それは過日のこと。私がまだ幼かったころのことであった。
その日、母は笑いながらまず、こう言った。
――死体は用意できないから、その代わりに髪の毛で勘弁してもらったのだ、と。
どうやら私の父、つまり彼女の思い人は髪の短い女性が好みであって、それならばちょうどいいだろう、と。彼女は過日の思い切った選択を、どこか誇らしげに笑っていた。
告白をするというのが妙に気恥ずかしくて、結局その断髪式は一人で敢行して、……その挙句には美容院に入りなおす羽目になったのだと。
あなたも、素敵な人を見つけたら、その木の下に腰を下ろして、少しだけ話をしてみるといい、と。
きっとうまくいくから、と、
お母さんは言っていた。
答え合わせをしよう。
DNA照合での人物特定が難しいケースとは三つある。一つは全く経歴に黒がない人物。もう一つは先述通り行方不明人。そして最後の一つは、鬼籍に入った故人である。
私の母は一昨年鬼籍に入り、無論ながら経歴に黒もない。事件性のある人物、或いは行方不明人という前提で探してみたのでは、この、人ばかりはむやみやたらと溢れ切った国で、目当ての人物などが見付かるはずもない。
勝ち逃げ、と称したいところだ。母は、――幸福そうな顔で、天国に旅立った。
齢八十、平均よりは少し早い最期であったが、比較検討などしなければ母の最期は満足に違いない。不満があるとすれば、思い至るのは一つ、彼女は結局、長女の孫の顔を見ることがなかったことだろうか。
しかし、父に先に他界されてもなお、彼女は笑顔を忘れずに、それから十年、弛まず余生を謳歌していたはずだ。なんだかんだとしっかり、次女の孫の顔は見れたわけで。
しかし、次女の言うところ、告白もプロポーズも都会の高級店であるところの何がしで済ませたらしく、結局、母の用意したこの場所を使ってやることはできなかった。
母については、心残りなどもうないだろうと断じてやるところだが、私については、
――少しばかり、残念に思う。
「……、……」
そろそろ、行こう。
母の言葉を思い出す。――願掛けでしかなかったけれど、当時はもう、本気も本気で、告白が通ったときには、夢が叶ったような思いであったと、母は言っていた。
そんなあの人の笑顔が、やたらと鮮明に脳裏に映る。
正直に言えば、何かの間違いがあって、このいたずらをしでかしたのが母だとばれるんじゃないかという恐怖があってここに来たであった。
私は恐れていたのだ。なにせ初老と呼ばれる歳に至り体力の衰えた今の私にとって、この問題は大きくなりすぎた。
しかし、
――今は妙に、秋半ばの風が心地よい。
「……………………、」
桜の木の騒動からしばらく。
季節は今日までに、もう二度も変わっていた。
いつかには騒然となったこの広場も、例の件のおかげだろうか、今日は人気もまばらであって、時折には冷たさを思い出すような風の音の方が、人気よりもまだ主張が強いほどである。
件の桜の木も、もう流石に花は散らしてしまっていた。
当然といえば当然か、なにせあれから半年である。
切り倒すという結論を以て、夏を待たずに収束した世論ではあったが、しかし、あれからもうしばらく、地元住民は根強く反抗していたらしい。それがこのような結果に落ち着いたのは、ひとえに「時間」のおかげであった。
公園の一角、舗装された河川に沿って歩く。
私の右手側から、ずうっとむこうまで続く桜並木に思いを馳せる。
なにせ、
……桜の木は、他にも未だこんなに残っているのだ。
曰くの言葉を引用すれば、確かに彼に落ち度などないのだけれど、
桜の木にそうも共感してはいられない。なにせこの物語の当事者に、私の名前は連ねられていない。
ほうっておくのが、最も冴えたやり方である。私は過日の恋の成就からここに至るまで、ずうっと、他の大多数と同様に傍観者でしかなかった。
「……、……」
いや、強いて言えば、
この物語の本当の帰結を知っているのは私だけ。父も他界し、次女についてはどうやら、過日の思い出話を聞く縁には巡り合わせがなかったようで、本当に私だけが、この物語を傍観し切った唯一の観客であったのだ。
「……。」
今日は、母の好きだったものを買って帰ろう。あなたの勢いばかりの茶目っ気の帰結はこうであったと、彼女の墓前で思いを馳せよう。
終わってみれば、それは何のこともない。調べものに奔走したのだって、今にして思えば散歩のいい口実になっていたようだし。
その帰結として、母に、今日までのことを語って聞かせてやろう。
思い返せばこれはただの、――心躍るような冒険譚の一つであったと、母の墓前で手を合わせよう。