スナイパーエルフ
初めまして、無名の漫画原作者の日向寺と申します。
第二次大戦にファンタジー世界の種族やモンスターをぶち込んでみました。
多くの方にご理解頂けるよう、なるべく専門用語等は出さない方向で調整しましたが、
ミリタリー好きの諸兄には物足りないかもしれません。あるいは噴飯ものかも。
ともかく、企画出しの一環として書いたものではありますが、お楽しみ頂ければ幸いです。
青歴一九四三年 九月二十三日 フィンランド共和国 ラップランド地方
吹き抜けた風の想像以上の鋭さに、僕は思わず身震いをした。まだ九月だというのに、北極圏に程近いこの場所には早くも冬の足音が聞こえ始めている。頭上に重く伸し掛った曇り空からはいつ雪が降り始めてもおかしくない、そんな空気感が漂っていた。
針葉樹林の広がる山の中。僕は崖のへり、地面の上にうつ伏せになっていた。ひんやりと冷たい赤土は容赦無く体温を奪っていくが、どんなに辛くても動く訳にはいかない。なぜならば、それこそが僕の任務だったからだ。
覗いた双眼鏡のその先には、向かいの斜面に沿って延びる一本の道が見える。車がギリギリ一台通れるかどうかの幅しかない細い未舗装の道だ。今はまだ、時折その手前を鳥が横切っていく他に変化は無い。辺りはただひたすらに静かだった。
隣にちらりと視線を遣ると、僕と同じく地面に突っ伏す相棒の姿がある。僕達は全身に枯れ草を纏った様な特殊な迷彩服に身を包み、しかし相棒の手に握られているのは僕と違って双眼鏡ではなく狙撃銃だった。長く伸びた銃身は相棒の呼吸に合わせて微かに上下し、ただその時をじっと待ち続けている。スコープを覗く相棒のその表情は、垂れ下がった枯れ草に隠れて伺い知る事は出来なかった。
しばらくの後、前方に視線を戻した僕の目に武装した男達の姿が飛び込んできた。彼等は赤い星を頂いた帽子と薄茶色の軍服に身を包み、ライフル銃を背負って一列に坂道を下っていく。数はそれ程多くない。せいぜい三十人前後の小規模な小隊だった。
ソビエト連邦軍。僕等の敵だ。
「来た」
僕は双眼鏡を覗いたままそう短く言い、効果的な目標を探した。彼等全員を相手に戦おうだなんて気は勿論無い。部隊の指揮官、重要な物資。士気と戦力をただの一発で挫く事が出来る、敵にとってのウィークポイント。それこそが狙いだ。
果たしてそれはすぐさま現れた。列を成して進む歩兵の隣を、荷台にドラム缶を乗せたトラックが低速で通り過ぎていく。その助手席には、小奇麗な軍服を着た中年男が腕を組みながらふんぞり返っていた。鴨が葱を背負って出てきた様な状況だ。助かるよ。
「トラックの運転手、列の中央辺りで仕留めよう」
僕の指示に相棒は小さく顎を引いて頷き、銃の引鉄に指を添えた。
目立つ形の岩を目標に、照準調整はとうの昔に済んでいる。枝葉の揺れから見て風は右手側からの微風。距離はおおよそ七〇〇メートル。標的は時速一五キロ前後で移動中だ。
当てられる。コイツなら。
乾いた発砲音が響き渡り、弾丸はそれを置いてきぼりにして飛翔する。トラックのドアガラスに蜘蛛の巣の様なヒビが入り、そして車内は一瞬にして真っ赤に染まった。
コントロールを失ったトラックは歩兵の何人かを下敷きにして横転。荷台のドラム缶が散らばっては坂道を転がり出し、更に数人がそれに蹴散らされて地面へと倒れ込んでいた。
目の前で突然起こった惨事、そしてようやく彼等の耳に届いたのであろう発砲音に男達は身を屈める。双眼鏡越しに伝わる彼等の焦燥。慌てふためく敵の姿とはいつ見ても愉快なものだ。きっと今の僕は、悪魔の様な顔をしているに違いない。
「次、ドラム缶。どれを撃つかは任せる」
僕の指示への返答替わりに相棒はコッキングレバーを引き、狙撃銃に次弾を装填する。
相棒が二発目を放った次の瞬間、転がったドラム缶のひとつが爆発し敵の一団が炎に包まれた。外見だけでは確信が持てなかったが、やはり中身はガソリンだったようだ。
散乱したドラム缶が次々と誘爆を起こし、ある者は爆風に呑まれ、そしてある者は崖から落下していった。ソ連軍の小隊は半狂乱に陥り、周囲は彼等にとってのまさしく地獄と化している。たった二発の銃弾が小隊を壊滅させた。これ以上無い程に破格の戦果だった。
この辺りが潮時だろう。欲張り過ぎると、狙撃地点を割り出した敵の反撃で蜂の巣になりかねない。相棒に撤収の合図をし、僕達はうつ伏せになったまま後ずさる。
やがて上体を起こし、しかし身を低くして注意しながら山中を駆け、敵の目が届かないであろう安全な場所に出て初めて大きく息を吐く。それが微かに白く色付いていた事に、僕は少しだけ驚いた。
相棒が枯れ草のフードを下ろして頭を振ると、肩口まで伸びた亜麻色の髪がふわりと流れ、遅れて後ろ手で縛られたおさげ髪が僕の鼻先を掠める。それは細い紐の様なもので編まれており、その紐自体も、繊維が複雑に絡み合った鮮やかな模様を描き出していた。
並んで立つと背丈は僕の口元くらいで、生意気そうな瞳は丸く、長いまつ毛がそれを彩っている。大仰な迷彩服によって身体のラインは隠れてはいるが、その下の胸部分には控えめではあったが確かな膨らみがあった。
ソ連軍の小隊にとっての死神、我が相棒の狙撃手は女性だった。少女と言ってもいい。
「大戦果だな、ジルキィ」
「光栄です、ウィルヘルム・シュミット伍長」
「・・先に昇進した嫌味かよ」
「ズルいんだよキミは。見てるだけなのにさ」
「それが仕事なの」
ジルキィは笑いながらべえっと舌を出し歩き出す。僕はその少女の背中に溜息を投げつけると、双眼鏡をサブマシンガンに持ち替えて彼女の後を追った。前方を突き進む彼女の頭の両脇では、長くとんがった耳がひょこひょこと揺れている。
彼女はジルキィ・ノーア上等兵。
ちなみに、エルフだ。
第二次世界大戦の勃発に伴い、東の大国ソビエト連邦はフィンランド共和国への侵攻を開始。一度はその猛攻を防ぎ切ったフィンランドであったが、軍備を整えたソ連は再び彼の地へとその魔手を伸ばし始めたのである。
ソ連との敵対を恐れた周辺諸国は静観を決め込み、孤立無援となったフィンランドが頼る事が出来たのは唯一、大ドイツ国だけだった。ドイツとフィンランドは協力しソ連に対抗。後に第二次ソ連・フィンランド戦争、あるいは継続戦争と呼ばれる戦いはこうして始まった。
この僕、ウィルヘルム・シュミットはドイツ国防軍から派遣された軍人の一人だ。フィンランド軍のバックアップの為にこの極寒の地へとやって来たのだが、命じられたのはフィンランド軍狙撃部隊の支援業務。補給や書類整理が主だと聞いていたのに、気が付けば前線でエルフ娘の相棒をやらされている。悲しいかな、今では立派な観測手と成り果てていた。
先の戦いで活躍した英雄によって狙撃の有用性に目を付けたフィンランド軍は、狙撃兵の教育、部隊の拡充に力を入れる。
勿論人間がその対象の多くではあったが、生来の狩人であるエルフの射撃能力にも白羽の矢が立った。祖国を愛し、祖国の危機に立ち上がったのは人間だけではない。彼等『隣人達』にとっても、科学の発展に伴って激しさを増していく人間の戦争は最早無視出来るものではなくなっていたのだ。そしてそれはフィンランドだけではなく、エルフだけでもない。
そう、今や世界中の戦場では、多くの『隣人達』が人間と肩を並べて戦っていたのである。
エルフの女性と聞いて多くの人間が思い浮かべるイメージと言えば、光り輝く金髪と透き通った白い肌、スラリと長く伸びたしなやかな手足に、聖母の様な穏やかな微笑み、という具合だろうか。あと巨乳。
僕が本国に居た頃は、オークの若者と共に訓練に明け暮れた。別の部隊に配属されていた一つ目の大男、サイクロプスの姿を遠目からではあるが見た事もある。
人間に比べれば圧倒的に数の少ない『隣人達』に接したのは精々そのくらいで、赴任先にはエルフが居るらしいと聞いた同僚達は皆一様に盛り上がった。僕も同じだ。誰もが先述した様な魅惑的な女性に会えると思っていたからだ。
ところがだ。蓋を開けてみれば当然の事ながらほぼ全てのエルフは男性で、辛うじてそこに存在していた紅一点はあのちんちくりんだけだった。今となっては部隊にやって来る新兵に期待させる様な話を吹き込むだけ吹き込み、そして落胆させるという、そんな歓迎の儀式が部隊の慣例となっている。失礼ね、と怒るジルキィを宥めるのは勿論相棒である僕の役目だったが、他のエルフ達はその新兵イジリを一緒になって楽しんでいた。
フィンランドとドイツの共同戦線。上層部ではそれぞれに思惑があるのであろうが、少なくとも僕等の部隊は利害関係を抜きに仲良くやれている。共通の敵とアイドル、いや、マスコットの元に人種を越えて団結したこの部隊を、僕は割と気に入っていた。
その部隊のマスコットである我が相棒ジルキィ・ノーア上等兵も、エルフのイメージからかけ離れているとは言えよくよく見ればそれなりに愛らしい容姿をしている。と思う。
所謂軍事的な知識や常道には疎かったが、流石はエルフ、狙撃の腕はピカイチだ。生意気で負けず嫌いな性格も、慣れてしまえばそれはそれで可愛らしくも思える。こっちが上手く手綱を引いてやれさえすれば、彼女は間違いなく優秀な兵士だった。
部隊配属当時、年齢が近いというだけで女の子と組まされた事は当然不安だったが、今となっては満足している。僕はラッキーだ。
胸を張って言おう。僕の相棒がジルキィで良かった。
前言撤回。やっぱチェンジで。
僕は頬を赤く腫らした無様な姿でテントから転がり出された。尻餅をついた先の地面は白く彩られ、どうやら昨晩の異常な寒さはこの積雪が原因らしい。見回せば辺りは一面の銀世界と成り果てている。
所属する大隊のキャンプ地の一角。かつては病院だったのか、学校だったのか。朽ち果てたコンクリート製の建物を本部として、山裾に設けられたその拠点の端で僕は〝とても爽やかな〟朝を迎えた。
柔らかな朝日の元、微風は冷たく吹き抜けて僕の背筋を正す。一方で、手の形にくっきりと赤くなった頬と蹴られた尻が、じわりと熱を帯びていくのが感じられた。
「なにすんのっ?!」
僕は追い出された自身のテントの入口に向かって叫ぶ。そこから真っ赤になったジルキィが顔だけを出し涙目で僕を睨み付けた。さも僕が悪いかの様な眼差しだ。
初めに断っておくと、僕達はそういう関係ではないし僕もそこまで飢えてない。いくらジルキィが女性だからと言って、一兵卒である彼女の為だけに別のテントを用意する程軍に余裕が有るはずもなく、僕達二人はコンビとして仕方無く同じテントを寝床としていた。
「っさい!馬鹿、死ね!エロオーク!!」
「お宅さんが勝手に抱きついてきたんでしょうがっ?!」
背中合わせに並んで眠る事が僕達の常だったが、昨夜の冷え込みが応えたのだろう。寝ぼけた彼女は暖を求めて僕の毛布に潜り込み、僕は抱き枕としての任を知らず全うしていた。
つまりだ。お察しの通り全てはこのアホエルフの早とちり、という訳だ。
それと、オークさん方は見た目こそいかついが見境無しに女性を襲ったりする様な野蛮な人達では決してない。訓練時代の僕の友人に謝れよテメー。
「ご丁寧に下着になりやがって。寒いなら着たまま寝なさいよ」
「軍服はゴワゴワしてて寝にくいのっ!誤解だって言うなら、キミの、その・・っ!」
言い淀んだ彼女の目線が僕の膨らんだ股間に注がれる。僕は若い男で、今は朝。決して変な気分になった訳じゃない事くらい、紳士諸君ならわかってくれるだろう。コイツは時折司令部のコントロールを離れて制御不能に陥る困ったちゃんなんだ。
「股間に拳銃を隠すのがドイツ軍人の嗜みだ」
「嘘こけ」
「ったく、今更こんな事で恥ずかしがるなよ。お互い小便する姿まで見せ合った・・」
「わーっ!わーっ!サイテー、信じらんない!」
ジルキィはより顔面を沸騰させ、遂にはテントの中に引っ込んでいった。
狙撃手はその仕事の性質上、時としてひとつ所にじっと留まり続ける必要がある。つまりは用を足す為に持ち場を離れる事が出来ないのだ。最悪の場合、地面に突っ伏したまま垂れ流す事も有り得る。大きい方を催した時などはより悲惨だ。
つまり、僕達はもう全てを曝け出し合っている仲だという事だ。密着したまま寝ていた程度で羞恥を覚えると言うのであれば、基準がぶっ壊れていると言わざるを得ない。
まったく、度し難い相棒だぁね。
「さっさと着替えて外に出てくれませんかね?こっちは薄着のままで・・」
肌着一枚だけの上半身に極寒の空気が染み渡る。ベースキャンプの真っ只中で凍死なんて阿呆の極みだ。僕は二の腕をさすりながらジルキィの篭るテントに言うが、その入口から出てきたのは僕の軍服一式だった。雪の上に放り投げられた上着を憎々しげに拾い上げ、更にその上からコートを羽織る。僕が一通り身なりを整え終わった後も、彼女は依然テントの中だった。素早い行動は基本中の基本だろうに、一体何をもたついているんだか。
「目覚まし代わりの夫婦喧嘩も、我が隊の名物だな」
気付けば部隊の仲間達もテントから這い出し、火を焚く傍ら朝食の準備に取り掛かっている。夜通し見張りに就いていた兵士達が熱いコーヒーを振舞われ、辺りが段々と活気に満ちていくそんな中、無精髭の軍曹が煙草を燻らせながら近付いてきた。
誰が夫婦じゃ、とテントの内側からの声を二人揃って無視し、僕は差し出された煙草を有り難く頂戴して寝起きの一本に火を点ける。紫煙は肺に充満し、それは相変わらずの安物だったが、凍てついた空気が良い調味料となっていつもよりも美味しく感じられた。
「知ってるか?撤退の噂」
吸殻を雪の上で踏み消し、二本目を咥えた軍曹が唐突に切り出した。僕は軍曹の横顔を覗き込む事でそれを否定し、彼に話の続きを無言で促す。
主だった戦線はこの国の遥か南側にあるが、大敗を喫したという話は聞こえてこない。ソ連の猛攻の前にドイツ・フィンランド連合軍は持ち堪えられているはずだ。大局観の無い僕の様な一兵士にとっても、撤退の必要性は感じられなかった。
「フィンランド上層部に、ソ連との講和の動きがあるらしい」
「それは・・良い事だと思いますけど。戦争が終わるんすから」
「フィンランド軍が敵になるかもしれん、という事だ」
「・・・はぁ?!」
「講和の条件として、ソ連がフィンランドに自陣営への参加を要求する事も考えられる」
「・・この国の戦争が終わっても、独ソの戦争が終わった訳じゃないって事すか」
「大学出は理解が早くて助からぁ」
ドイツ軍の撤退の噂は、その〝新たな敵〟の出現に備えて態勢を整えるという意味なのだろう。軍曹はその為の防衛ラインが、今僕達が立つここラップライン地方に引かれる可能性をも示唆した。友軍の安全を図る為には、付近の〝敵〟を排除しなくてはならない。
「ただの噂だが。いざって時に動揺しないよう、話しておこうと思ってよ」
「・・分断を狙った、ソ連の策略では?」
「そうかもしれんな。だが、覚悟だけはしておけよ」
言って、軍曹は二本目の吸殻を捨てて朝食へと向かって行く。呆然とその背中を見送っていた僕は、手にした煙草が灰の塊を落とした事で正気に戻った。
そしてコートの裾が弱々しく掴まれている事に気付いて振り返ると、そこには俯いたジルキィが言葉を探して目を泳がせていた。しばらくの沈黙の後、彼女は意を決した様に言い放つ。
「ドイツ兵は・・っ!・・なるべく、頭を狙うから・・」
「そりゃ助かる。苦しまずに死ねるからな」
僕はジルキィの頭を軽く小突いて、ただの噂だと彼女を励ました。
「他人の頭を気安く叩くなぁっ!」
「じゃあ・・」
「耳を触るなぁっ!」
「いやぁ、敵になったらもう触る機会も無いかと思って」
唇を尖らせたジルキィを置いてきぼりにして、僕も朝食を摂りに配膳所へと歩き出す。子犬の様に僕の隣へと慌てて駆け寄って並び、大きな音で鳴いた腹の虫に顔を真っ赤にした彼女の横顔を見ながら、僕は訪れるかもしれない未来のひとつに想いを馳せた。
「覚悟、か・・」
たぶん、無理なんじゃねぇかなぁ。
十月二日
深々と粉雪が降っていた。鈍色の鉛雲が頭上に重くのし掛かり、音は無く、いつもの山中は不気味な程の静寂に包まれている。いや、実際不気味だった。
諜報部によってもたらされた情報によると、近々僕達の部隊の監視区域内をソ連軍の高官が通過するらしい。無論、通行料はしっかりと請求させて貰うつもりだ。
そんな訳で純白のポンチョと冬季迷彩服に身を包んだ僕とジルキィは、降り積もった雪の上にうつ伏せになり、骨の髄にまで突き刺さる寒さを必死に堪えながらいつ現れるとも知れない敵に備え続けていた。
僕は凍らないように懐で温めていた水筒を取り出し、ぬるい水を一口含んで喉を潤す。左手側から無言で伸びてきた腕に水筒を乗せ、スコープを覗いたままのジルキィは視線を一切動かす事なくその中身をコクリと飲んだ。
同じ水筒に口を付ける事には抵抗は無いんだな、と思いながら湿った彼女の唇を見る。任務中こそスイッチが切り替わるのか、そういった事に躊躇う素振りは特に無い。勿論、生きるか死ぬかの状況で乙女心を発揮されても迷惑この上ないんだが、だからと言って後にその事を囃すと顔を真っ赤にして怒るのだ。これがどうにも面倒くさい。
突き返された水筒を懐に仕舞い、僕は再び双眼鏡を覗き込む。視線の先は相変わらずだ。無為で無限にも感じられるこの退屈な時間は、ただただ静かに過ぎ去っていく。
その静寂を引き裂いたのは、微かに聞こえた一発の銃声だった。
僕とジルキィは身じろぎひとつせず、だが銃声の方向に視線と意識を集中させる。
「味方の銃の発砲音じゃない」
「流石、デカい耳は伊達じゃないな」
エルフの優れた聴覚ならば、敵と味方の銃の発砲音を聞き分ける事くらい造作もない。ジルキィの判断は信頼出来る。僕達は最低限の動きで周囲を見渡し、ソ連軍の襲来に備えた。
敵の縄張りを高官が横断するのだ。ソ連軍とて十分に警戒する。あるいは、予め露払いをしておこうと考えるのは至極当然と言えた。
任務に就いた狙撃チームは僕達を含めて三組。予想される高官の進行ルート上に配置に就き、三方向からの同時狙撃によって確実に目標を仕留める算段だ。
発砲音が聞こえたのは別チームの方角だった。そしてもう一発が聞こえた後、辺りは再び静寂を取り戻す。
ソ連軍が僕達狙撃手を排除する為に通常の歩兵部隊を寄越したのであれば、銃撃の音はただの二発で終わるはずがない。状況を鑑みるに、敵の正体、結論はひとつだった。
「敵さんも狙撃手を投入してきたか」
カウンタースナイプ。目には目を、狙撃手には狙撃手を、という訳だ。
「しかも手練だ。向こうのチームはやられたな」
チームは二人一組、射手のエルフと観測手の人間がコンビを組んで行動するのが僕達の部隊の基本だった。敵の銃声は二発。恐らく反撃をさせないように先に射手を仕留めた後、悠々と観測手を撃ち殺したのだろう。
隠れる事に長ずる狙撃手の敵を先んじて発見し、反撃すら許さず、そして無駄弾を撃つ事なく確実に仕留める。それだけの材料があれば、この地に投入されたソ連の狙撃手が強敵である事が容易に理解出来た。
「・・いい人達だったのに」
ジルキィは俯き唇を噛む。その震える横顔は、恐らく既に屍になってしまったであろう、別チームの二人の顔を僕にも思い起こさせた。確かに、いい奴等だった。僕は少しの時間だけ両目を閉じて、せめて即死であってくれ、と仲間の冥福を静かに祈る。悼むのは、自分が生きて帰ってからだ。
「・・どうするの?」
「迂闊に動ける訳ないだろう」
「・・ごめんね。せめて、認識票くらいは持って帰って・・」
消え入りそうなジルキィの呟きに、またしても響いた発砲音が重なった。今度も二発。方向はもうひとつの、軍曹のチームが配置された斜面の方角だった。
直後、軍曹の唸り声が粉雪を伝って耳に届く。それは雄々しい戦士のものでなく、弱々しい悲痛な叫び声だった。軍曹はまだ生きている。多分、瀕死の状態で。
「・・・ウィル」
「・・・っ」
敵の狙撃手は恐らく、敢えて急所を外して軍曹を生かしたんだ。負傷者を餌にして他の敵を引きずり出す、狙撃手の常套手段。軍曹が身体のどこを撃たれたのかを窺い知ることは出来ないが、彼の叫びは尋常ではない。このまま放置すれば、そう長くは保たない事だろう。
だがノコノコと軍曹を助けに行けば、次に死体になるのは間違いなく僕になる。出て行く訳にはいかなかった。
奥歯が欠けそうな程に歯を食いしばり耐える僕を解放してくれたのは、またも響いた銃声だった。だがこれは狙撃銃のものではない。僕達観測手が持つサブマシンガンの聞き慣れた発射音だった。
それが何を意味していたのかは、それ以降聞こえなくなった軍曹の悲鳴が物語っている。どうせ助からない。敵の思惑には乗らない。そう彼は決断したのだろう。
「・・立派でした、軍曹」
部隊への配属以来、軍曹には何かと世話になってきた。優れた兵士であり、頼れる兄貴分だった。彼の相棒の中年のエルフにも、幾度となく支えて貰った覚えがある。
彼等の無念を晴らす事が出来るのは、任務を達成する事だけだ。それが可能なチームは最早僕達だけであり、そしてこうなった以上、高官が現れる前にこちらがやられるのは目に見えている。
白い息が上がらないように雪を一掴み頬張り、そして深呼吸をして心を落ち着かせる。
冷静になれ。いいや、冷徹になれ。思考停止は、即ち死だ。
「障害の排除を優先する」
「・・了解」
僕の命令にジルキィは短く応え、僕達は地面に伏せたままゆっくりと後ずさる。
僕達は敵の目を欺く為に、敢えて最も狙撃に適したポイントを避けて配置に就いていた。敵はそれすらをも見越して二つのチームを発見。軍曹を出し抜いた手腕から見ても、予想よりも遥かに強敵だ。
両チームを襲撃する間に生じた僅かな時間は、恐らく敵が移動した事を意味している。複数であれば同時に仕掛けるはずだ。ワンマンアーミー、あるいは僕達と同じ様に二人で行動する最小単位の部隊だと見ていいだろう。
狙撃の腕もさる事ながら、身を隠す技術もまた一流だ。最初のチームと軍曹のチーム、それぞれを狙撃したと思われる両狙撃地点の間を移動する為には、少なくとも僕達の視界を横切る必要がある。曲がりなりにもこの戦争を目で生き抜いてきた身だ。僕とジルキィ、二人揃って見逃したとあれば、最早相手は透明人間とさえ言えた。
「・・ん?僕達から、隠れた・・?」
それはつまり僕達の居場所、視界範囲がわかっていなければ出来ない事じゃないのか?
じゃあ何故、わざわざ軍曹を使って誘き出しを行ったんだ?僕達みっつのチーム以外にも敵が潜んでいる可能性を考慮しての確認作業?あるいはただのサディストか?
ああ畜生、とにかくマズイ!僕達は既に、〝見られている〟!
「走れ、ジルキィ!!」
言ってすぐさま上体を起こし、彼女の腕を強引に引っ張って立ち上がらせた。瞬間、僕達二人の足元に鉛玉が炸裂する。舞い上がった雪が顔を叩き、同時に地面を踏みしめた右足に激痛が走った。
それは掠った程度のものだったのだろう。少なくとも貫かれた感覚は無い。しかし強烈な殺意と運動エネルギーを持った弾丸は、ズボンの右ふくらはぎ部分とその下のソックス、更にその下の肉を抉っては雪中へと没したのだった。
着弾より一瞬遅れて聞こえた発砲音を合図としたかの様に、僕の右ふくらはぎからは血が噴出する。瞬時に脊髄を駆け上がってきては脳内で破裂した脚部の痛みに、僕はバランスを崩して雪の上を派手に転がった。
「ウィルっ!!」
「逃げろ馬鹿っ!」
ふたつのチームを撃破した手法を見るに、恐らく敵は先にジルキィを撃とうとした。偶々僕が立ち位置を入れ替えた事で彼女は難を逃れたが、敵の目標は変わらない。狙いは射手だ。
ここでジルキィが僕を助けようとすれば、奴が軍曹を餌にする事で作ろうとした状況が生まれてしまう。タイミングは、負傷した人間の傍らに立ったその瞬間だ。
「ジルキィっ!」
「嫌だっ!!」
そんな敵の思惑を理解しているだろうに、それでも彼女は僕に駆け寄って来た。その双眸には、薄らと涙が浮かぶ。そして、ジルキィが僕の頭の上で銃を構えたその瞬間。
つんざく様な金属音と共に、彼女の身体が宙を舞った。
「ジルキィ!ジルキィ!!」
精神力だけではどうにもならない右足を引き摺り、僕は仰向けに倒れた彼女の元へ匍匐で近付く。降りしきる綿雪が彼女の身体の上に被さり、それが呼吸による胸の上下によってはらりと落ちた事に僕は少しだけ安心した。危機的状況は依然として続いているが、先程の一撃で彼女が即死した訳ではないようだ。
ジルキィは荒い呼吸を繰り返しながら、瞳孔の開いた目でただ鉛の空を見上げていた。衝撃でフードが剥がされ露になった顔の右半分には、小さな擦り傷が無数に刻まれている。そして何より、エルフの特徴である尖った耳が無残にも中程から千切られ失われていた。衝撃波で鼓膜が破れたのだろう、耳の穴からも出血している。
寝そべるジルキィの横に転がる狙撃銃は、スコープと銃身の一部が破損していた。幸運な事に敵の弾丸は彼女の銃に当たり、しかし飛び散った部品が顔を傷付け、跳弾が右耳を抉ったのだ。
「・・ジルキィ」
「・・嫌だ・・っ」
恐らく今も狙いをつけているだろう敵の射線から彼女を守る様に、僕はジルキィの上へと覆い被さる。狙撃銃の破壊力を思えばそれは無意味な行為だ。弾丸は僕の身体を貫き、彼女の命をも易々と奪い去る事だろう。彼の敵の実力ならば、静止した目標の二枚抜きなど赤子の手を捻るに等しい。
「ズルいんだ、キミはっ!・・そうやって、いつも先に行こうとして・・っ」
「・・・」
ジルキィは僕の背中に腕を回し、持ち上げた泣き顔を胸へと押し付けてきた。僕も震える彼女の頭を撫でる様にして抱き、ひたすら静かに審判の時を待つ。
狙撃銃を失い、二人共負傷した。敵が次弾を装填するのには十分な時間が経っている。
ああ、この時、この場所、この状況が、僕達の終わりか。
けれど、多少なりとも満足だ。もっと呆気ない死に方をすると思っていた。強敵と出会い、唯一無二の相棒と身を寄せ合いながら雪の戦場の中で果てる。おいおい、随分とドラマチックじゃあないのさ。
格の違いを見せつけられた。まともな反撃すら、出来なかった。
敵に回して改めて実感する。狙撃手とは、心底厄介な相手だ。
姿を見せず、痕跡すら残さず、いついかなる場所から命を刈り取っていくかも知れない死神の様な存在。そこに狙撃手がいるかもしれないというだけで部隊の進軍速度が低下するという話も、あながち馬鹿に出来たもんじゃなかった。優秀なスナイパーとは最早戦略級の兵器だ。当初の目的こそ高官の排除だったが、あの敵をこのまま野放しにしている方がよっぽど自軍にとっての驚異となると思った。見通しが甘かったとしか言いようがない。
さぁ、ひと思いにやってくれ。狙撃手は捕虜になってもまともな扱いは期待出来ない。陸戦条約なんてただの飾り、敵に捕まった後に待っているのは、惨たらしい最期だけだ。
散々リンチされた末に迎える死など心底ゴメンだし、ジルキィにもそんな思いをさせたくはない。同業者として、情けをかけてはくれないもんかね。
深々と粉雪が降っていた。音は無く、辺りはただただ静かだ。
僕達は抱き合ったまま、ゆっくりとその中に埋没していった。
―――いや、さっさと撃ちなさいよ。
ゆっくり埋没させてんなよ。いい加減出血と寒さでフラついてきたぞ。
「・・なんで・・?」
僕の胸から顔を剥がし、ジルキィはキョトンとした表情で敵の狙撃地点の方角に目を向けた。これまでに見せた奴の能力から言えば、十余人を余裕で殺害出来る時間が経過している。弾切れ?あるいは、遊ばれているだけなのだろうか?
兎にも角にも、その敵は止めを刺さずにいる。不可解だが、どうやら僕等はもう少しだけ生きる事を許されたようだった。
サブマシンガンを肩から下げていたスリングベルトで右太腿をキツく縛り、これ以上の出血を抑える。モルヒネを打って片足で立ち上がるとジルキィが肩を貸してくれた。彼女は壊れた狙撃銃を杖代わりに二人分の体重をしっかりと支え、しかし至近距離で見る傷だらけの少女の顔は、頼りになる兵士の顔とは言えずにどこまでも痛々しい。
「・・何があったのかな」
「ママが迎えに来たのかも」
僕達は一刻も早く敵の視界から逃れ、落ち着いて治療が出来る場所を探す為に歩き出した。逸る気持ちを抑えつつ、足跡や血痕から追跡されないよう注意を払いながら進む。降り積もる雪がそれらを消し去ってくれるかもしれないが、念には念を、だ。それすらも、奴にどこまで通用するかはわからないけどな。
そうして僕達が辿り着いたのは、崖下に穿かれた小さな洞穴の中だった。
「出来た」
僕の右足に包帯を巻いていたジルキィが短く言った。見た目こそなかなかにグロテスクだったが、幸い歩けなくなるような傷ではない。
だが、この足であの敵から逃げるのは無理だ。増援を呼ぶ事も叶わないだろう。先程何故僕達を見逃したのかはわからなかったが、奴がここから去ったとは到底思えず、そして恐らく二度目はない。次は、間違いなく〝狩り〟にくる。
当初の目的こそ高官の排除であったが、最早それはどうでもよく思えた。僕達が生きて帰る為には、奴との対決は避けられそうにない。
「じゃ、次はお前の番な。オラ、顔見せなさいよ」
「い、いいよ私は!もう血も止まってるし!」
言って、ジルキィは顔を赤くしながら仰け反った。コイツがこういうリアクションをとるのは、意外とリラックス出来ているという証拠だ。これからあの強敵と対峙するという時には、むしろその肝の太さは好材料と言える。
僕はうるせぇ、と彼女の頭を鷲掴み、その顔と右耳を覗き込んだ。軍服の袖に少しだけ水を染み込ませ、付着した乾いた血液を拭う。ジルキィはくすぐったそうにプルプルと震えながら、しかし割と素直に僕に身を任せていてくれた。
顔は擦り傷だらけだが深いものは無い。やはり目立つのは、途中で折れた無残な右耳だ。
僕はガーゼをその右耳に当て、彼女の頭に包帯を巻いてそれを固定する。生傷こそ隠れたが、包帯に巻かれた少女の顔というものは変わらず痛々しいままだ。
胸の前にあった彼女のつむじにポンと手を乗せ、それを手当て完了の合図とする。
「聞こえるか?」
「・・ちょっと、遠い」
「野郎、この耳に触れていいのは僕だけだ。傷付けやがって」
「・・ばっ、馬鹿じゃないの?!」
またも真っ赤になったジルキィをからかいつつ、僕は改めて雪の降りしきる洞穴の外へと視線を向けた。曇り空故に気付きにくかったが、日は既に傾き始め、辺りは暗闇に包まれようとしている。この視界だ。敵も今日はもう動けまい。戦いは明日の朝になるだろうな。
さて、考えるべきはあの化け物相手に打ち勝つ為の作戦だ。
一枚も二枚も上手の敵を倒す為には、やはり虚を突く以外に方法は無い。しかし生兵法が通用する相手でもなく、下手な陽動や欺瞞工作では返り討ちにされるのが目に見えていた。
こちらにある武器はサブマシンガンと破損した狙撃銃がそれぞれ一丁ずつ。そして護身用の拳銃が二丁にナイフが二本、そして手榴弾がひとつだ。一流の狙撃手が易々と敵の接近を許そうはずもなく、やはり狙撃戦でケリを着ける必要があるだろう。手持ちの武器類だけでは、どうにもそれは叶いそうになかった。
「戦死した軍曹達の狙撃銃を回収するか・・」
当然敵はそれを予想するだろうし、銃が破損している可能性もある。危険な賭けだが、それ以外の方法は今のところ思い付かない。
では、撃破されたふたつのチームのどちらから銃を拝借するかとなると、距離が近いのは軍曹のチームが配置に就いた場所だ。遭難の危険性はあるが、敵に見つからずにそこへ辿り着く為には、夜明け前の暗い時間に出発するのがいいだろう。
そして一番の問題は、そのポイントを狙える場所のどこに、敵が陣取るかという事だ。実力差から考えれば、こちらが先に奴を発見する事はまず間違いなく不可能。その居場所を知る為にはやはり一発を撃たせる必要があるが、それは即ち、僕かジルキィのどちらかが死ぬ事を意味している。僕は元より、彼女とて一人きりでは奴に勝つ事は出来ないだろう。
つまりだ、僕達が勝つ為には敢えて撃たせて敵の潜伏場所を特定し、その一撃で二人共やられる事なく、且つ第二射を許さない速度で反撃に転じなければならない。
うわぁ、キツ過ぎ。
何か作戦をより強固なものに出来る材料はないものかと、僕は懐から周辺の地図と懐中電灯を取り出す。灯りが漏れないようにポンチョを覆い被さり地面に置いた地図を照らすが、程なくして懐中電灯が天に召されてしまった。溜息ひとつ、ジルキィに貸してくれと頼むと、彼女は自分の電灯を片手に僕のポンチョの中に潜り込んできた。
小さなテントの中で肩を寄せ合い、僕等は地図を覗き込む。軍曹のチームがいたポイントを狙える狙撃地点はおおよそ三ヶ所。奴の針の穴をも通す狙撃能力であれば、それは更に倍に増える。やはり、敵が陣取る場所を予め絞り込む事は難しいだろう。一応それぞれの候補地点にA、B、Cと簡潔な名前を付けて、ジルキィと意識を共有させる。軍曹達の居た場所、僕等の反撃予定地点はポイントOだ。
「・・ここは?」
ジルキィがある一点を指し示す。確かに、地図上ではポイントOを狙える場所だ。しかし地形の高低差の関係上、この時期は降り積もった雪によって視界が遮られている。射手と観測手がそれぞれの配置に就いて無線などの連絡手段によって綿密な情報を共有し、尚且つ曲射が可能な武器であれば成程候補のひとつにはなるだろう。観測手から伝達された情報を元に、射手は敵から身を隠したまま一方的な狙撃が出来るのだ。ズルいね。
「曲射かぁ・・って・・!」
大した作戦会議も出来ないうちに、ジルキィの懐中電灯までもがご臨終となった。辺りは再び暗闇に包まれ、僕達は大きな溜息と共にお互いの身体にもたれ掛かる。僕達はいいコンビだが、懐中電灯までもが仲良しこよしになる必要は無いだろうに。
「装備品の手入れを怠るからだ」
「銃の整備で手一杯だよ・・それと、キミが言うな」
「仕方無い、ライターを使うか・・。燃料の消耗は避けたかったんだが・・」
「せめて晴れてればね。月明かりでもあれば・・」
月か・・。確かに、天候が良ければ夜空には煌々と輝く月が佇んでいたに違いない。しかし昨夜の記憶を辿れば、今頃厚い雲の上に乗っかっているのは三日月のはずだ。手元を照らしてくれる程の光量があるのかどうかは甚だ疑問だな。
「三日月は嫌い?」
「月の形に好きも嫌いも無いよ」
「私は・・と言うか、エルフは皆好きかな」
「冥土の土産に聞いてやろう」
「そりゃどうも。エルフは元々狩猟民族だったから。弓は特別な道具で、それに似た・・」
瞬間、僕達は同時に顔を見合わせた。そうとも。武器が無ければ作ればいい。
そしてここにいるのは、〝エルフ〟だ。
十月三日
雪の上にうつ伏せになっていた僕は、眩い朝焼けによって目を覚ました。昨晩までの天候とはうって変わって、どうやら今日は晴天のようだ。
腕時計に目を遣ると、浅い眠りに就いてから一時間弱が経過していた。寝ている間に狙撃されなかった事に安堵し、隣に伏した〝相棒〟の姿を確認する。身体の上に雪を被り、銃を構えた体勢のまま微動だにしていない。手足の先に至っては、完全に雪の中へと埋没していた。
その横顔に向かって軽く朝の挨拶を済ませ、僕は双眼鏡で周囲の警戒に取り掛かった。無論、あの敵を見付ける事は到底不可能ではあろうが。
ここはポイントO。当初の予定通り、僕達は夜明け前に洞穴を出発。遭難の危険を掻い潜り、雪と闇の中をこの場所にまで辿り着いた。どうにか敵に先んじて行動出来たようだ。
「アンタ、朝は強い方かい?」
どこにいるかもわからない敵に向かってポツリと呟く。気配は無い。当然だろう。戦いに秀でた人間は往々にして存在感や威圧感を纏うものだが、狙撃手は全くの逆だ。何も感じないからこそ、怖くて怖くて堪らない。
雪国が迎えた清々しい朝に、上空では呑気な小鳥達がさえずり始めていた。飛び立つ鳥の群れから伏兵を看破したなんて昔話を聞いた事もあるが、彼等とて宛には出来ない。動物は人の殺意を敏感に感じ取れると言うが、優秀な狙撃手はそもそも殺意を抱かないものだ。スコープの先にある目標に狙いを定め、感慨無く機械的に引き金を絞るだけ。狙撃銃が火を噴いて初めて動物達はその存在を認識する。発砲の瞬間までは狙撃手は石や草、精々危険性の無い同じ野生動物の一種程度にしか思われていない事だろう。
ふと、精悍な顔付きの狙撃兵が動物達と仲良く戯れているイメージが脳裏をよぎる。
「・・可愛いな、オイ」
ぼくらはともだち。うちゅうせんちきゅうごうのなかまだ。
にんげんがみんなそげきへいになれば、せかいはきっとへいわになるよ。
「・・・」
んな訳あるか。より殺伐とするわ。
寝ボケ気味な頭を軽く振って、キャンプに帰ったら真っ先に熱いコーヒーを飲もうと決意した。太陽は徐々に高度を増し、空は茜色から青色へとその姿を変えていく。
さぁ、いつでも来やがれ。
それはあまりにもか細い道だが、作戦は用意した。
アンタを倒して、生きて帰るんだ。
「アイツと、二人で・・!」
そう呟いたまさにその瞬間、無慈悲な鉛玉が飛来した。発砲音を置き去りにしたソイツは僕の隣に伏した相棒目掛けて直進、そして。
その頭部を貫いていた。
至近距離への着弾に、情けない声を出して仰け反った。相棒はピクリとも動かない。当然だ。もう死んでいるのだから。
「野郎っ!!」
ゴロゴロと横に転がってその勢いのまま立ち上がり、双眼鏡をサブマシンガンに持ち帰る。着弾した角度、発砲音の方向から、奴の居場所はポイントBだ。
やはり最初に射手を狙ってきた。サブマシンガンの射程では反撃など不可能だ。奴はのうのうと次弾を装填し、同じ場所から僕を狙ってくる事だろう。
しかし僕はサブマシンガンを構え、二回程連射する。飛び散った弾丸達は虚空へと消え、勿論効果があるはずも無い。きっと虚しい抵抗だと、狼狽する無様な姿だと、奴はスコープ越しに笑っているに違いなかった。
僕は踵を返し、敵の視界から逃れるべく雪原を疾走する。少しでも狙いを定められないようにランダムなタイミングで蛇行し、負傷した右足の痛みに必死に耐え続けた。
無限にも感じられる時間だった。いつ、身体のどこを冷たい弾丸が貫いていくのか気が気でない。鼓動が限界まで高くなり、冷や汗ばかりが吹き出していく。
そして遂に、僕は足をもつれさせて転んでしまった。雪の上にへたり込み、最早足腰には立ち上がるだけの力も入らない。奴が居るポイントBを睨み付けながら、カタカタと鳴る歯を無理矢理押さえつけて食いしばった。
また見逃してくれるなんて事は、有る訳無いよな。
「・・・ジルキィ・・っ!」
知らず、彼女の名を呟いていた。
十月二日
作れるか?という僕の問いに、ジルキィはコクリと小さく頷いた。
彼女はナイフを片手に愛銃を分解し、被弾の衝撃でひび割れた木製の銃床を削り出していく。銃のパーツに使用されている材木は非常に固く、しかしジルキィは暗闇の中、苦戦しながらも少しずつそれを細く成形していった。
「火、焚くか」
「・・平気なの?」
「燃料も出来たしな」
敵に見付かる心配をするジルキィをよそに、僕は羽織っていたポンチョを洞穴の入口に引っ掛けて光が漏れないよう、雪でその隙間を塞ぐ。通気の為に一部を残し、ジルキィが削った木屑を集めてライターで火を点けた。それは微かな灯火となって洞穴内を照らし、凍えた手のひらを気持ち暖かくしてくれる。
ジルキィは火の傍にちょこんと座り、隣の地面を指さした。悪い、と一言言ってそこに腰掛け、僕達は肩を寄せ合い一枚のポンチョにくるまって暖を取る。
「材木にしなりが無いから限界まで薄く削る。一発撃ったら壊れちゃうかもだけど・・」
「弦と矢はどうする?」
「矢は銃身の先にナイフを付けて。弦は、コレ」
言って、彼女は自身のお下げを飾っていたカラフルな色合いの紐をシュルリと外す。
「エルフの風習。お守りみたいなもの、かな」
本当に使う事になるとは思わなかったけど、とジルキィは笑い、再び弓作りに没頭していく。成程、ただの民族衣装のようなものじゃなかったって訳か。
感心した僕も早速、その横で即席の矢の制作に取り掛かった。とは言っても、銃身の先にナイフを括り付けるだけだ。止血に使っていたスリングベルトを割いてきつく縛り、それで作業は終わってしまう。
さて、敵狙撃手を確実に仕留める為にも、出来る工夫は可能な限りしておきたいところだ。鉄の筒にナイフを付けただけの矢では心許無い。矢の安定性を得るには矢羽根、あるいはナイフの重さとバランスを取れる何かが必要だ。それに破壊力も欲しい。直撃を避けられた時に周辺ごと制圧出来るような爆発物があれば・・。
おるやん。我が愛しの手榴弾ちゃんが。
ドイツ軍の一般的な装備である、手持ち式の通称『イモ潰し器』。柄の先の蓋を開けて中にある紐を引き抜けば数秒後に起爆する代物だが、矢を放つ瞬間に仕掛けを作動させても空中で爆発するだけだ。矢が突き刺さった瞬間、その衝撃ですぐに爆発するのが望ましい。
「柄を削って・・中の紐も短く・・」
一度銃身に取り付けたナイフを使おうと思ったが、矢尻にするコイツの切れ味を損なわせる訳にもいかない。ジルキィが弓を削っているそれも、流石に刃こぼれし始めていた。
「・・なぁ、ジルキィ。僕達はコンビだよな」
「・・なに?急に」
彼女は手元から目線を外さない。
「死ぬ時は一緒だ」
言って懐から取り出した拳銃の銃口を手榴弾の柄に密着させ、一発を放つ。銃声と木材の破片が狭い洞穴の内部に無数に飛び散り、柄には小さな穴が穿かれていた。柄の向きを九十度変えてもう一発。計四つの穴が空いた柄を膝で折り、理想的な短さになった手榴弾のそれを眺めながら僕は満足げに頷く。
「・・いいね!」
「馬鹿じゃないのかキミはぁっ?!」
涙目で頭を抱えていたジルキィが真っ赤な顔で叫んだ。誘爆とか、跳弾とか、と彼女は僕がとった行動の危険性を捲し立てるが、まぁ、当然の反応だわな。だからこそトボけたんだ。
無視を決め込んだ僕の頭にゲンコツを食らわせ、彼女は自身の作業に戻る。さぁ、僕も続きだ。
銃身内部に銃弾を装填、排莢する為のコッキングレバーを落下の衝撃で動くように仕掛け、それに手榴弾の紐を括り付ける。これでこの矢は奴の身体、あるいはすぐそこの地面に突き刺さった途端、ボン、といく訳さ。うん、我ながら上出来だ。
何かの弾みで爆発しないよう紐を外し、その矢を傍らに置いて隣のジルキィを見る。僕なんかよりも時間の掛かる作業だ。当然まだまだ道程は長い。
僕は再び地図を広げ、この爆弾弓矢を効果的に使う為の策を練り直す。
弓矢の発射速度、弾速が銃に遥かに劣る事は言うまでもない。敵に弓をつがえるジルキィの姿を見られれば、反撃、逃走の機会を与えてしまうのは明白だ。曲射の特性を生かした完全な奇襲だけが僕達の活路足り得るだろう。
しかし、敵にとっての死角は同様にジルキィにとっても死角となる。彼女は見えない敵を狙って矢を放たねばならない。必要な事はやはり観測手である僕の働きだ。勿論別行動となる。ジルキィの隣に陣取る訳にはいかなかった。
敢えて撃たせて死なない事。そして奴がどのポイントに現れたのかを、何らかの方法で彼女に伝える事。問題はこの二点だ。
煙草を一本取り出して火を点ける。たゆたう煙を眺めつつ、狼煙って訳にもいかないよな、と傍らに置いたサブマシンガンを見た。使えるのは、やっぱりコイツだ。
連射が一回でポイントA、二回でポイントB、といったところかな。ジルキィの腕と弓矢の性能から鑑みるに、射程はせいぜい二百メートル。これでも希望的な数字だ。姿を隠しつつそれぞれのポイントを狙える場所は、ただの一点。彼女にはここに配置に就いて貰おう。
そしてより厄介な問題である、奴の一撃必殺の攻撃から生き残る事。普通に考えれば囮を使うのがいい。気は引けるが、軍曹の死体にその役目を負って貰う事にしよう。
「でも、私と軍曹さんとじゃ体格が違い過ぎるよ」
ジルキィが弓の形を整えつつ当然の質問を口にする。優秀な狙撃兵は風景の変化にも敏感だ。少しでも警戒心を与えれば、間違いなくこの作戦は破綻する。
「まぁ、どうにかするさ。だから、終わったらポンチョとそのナイフ寄越せ」
「・・・っ、凍った肉を削る気?」
このなまくらで?と青ざめるジルキィ。なるべく彼女のポンチョと雪で誤魔化すつもりだが、確かに恩人の遺体に刃を入れる事はかなりキツイしエグイ。けどやらなければいけない事だと、心配そうな眼差しを向ける彼女と自分自身を言い聞かせた。
「どのくらいで終わる?」
「ん・・夜明けまでには、なんとか」
「暗いうちに出発するぞ。策の仕込みと、試射無しの照準調整」
「わかった」
「と、その前にお前の手を治療しなきゃな」
「な、なんの事かな?」
固い材木を刃の欠けたナイフで削るジルキィの両手は、既に痛々しい程の切り傷だらけだった。この距離、この明るさでバレないとでも思っていたのかよ。
「その手に僕の命が懸かってんだぞ。終わるまでは邪魔しないでやるから」
「・・・がんばる」
赤い顔を俯かせて手元に視線を戻すジルキィ。僕は吸殻を焚き火の中に放り投げ、一定のリズムを刻む木材を削る音に耳を傾けながら、炎に照らされたその横顔をしばらくの間眺めていた。
やっぱり、エルフには弓矢がよく似合う。
そんな事を思いながら。
十月三日
弾丸が身体を貫く幻覚に歯を食いしばったその時、それは上空からポイントBへと飛来した。黒鉄色の光線。僕が作り、そして彼女が放った例の矢だ。
銃身で出来た本体の穂先にナイフを括り付け、手榴弾を抱いた不格好な姿。発射装置は固い木材を使った、おおよそ弓の形をしただけの別物だと言っていい。
それでも尚、それは正確にポイントBへと一直線に向かっていく。ジルキィ・ノーアというエルフの持つ射撃能力の高さに、僕は改めて舌を巻いた。
全てはスローモーに感じられ、そして不思議とあらゆる風景が明確にイメージ出来た。
凛と雪原の上に立ち、見えない目標を見据えながら折れた弓を構えるジルキィ。
ポイントB。へたり込んだ僕に照準を合わせ、狙撃銃の引鉄を今まさに絞ろうとしていた奴はすんでのところで自身に向かう異常を察知。スコープから目を離したその刹那、膝立ちの足元に突き刺さった異形の矢に小さく驚嘆の声を上げた。そして。
僕が矢に仕掛けた手榴弾が、着弾の衝撃で作動した装置によって起爆する。熱と光と鉄片が辺り一面に飛散し、奴の全身はその奔流の中に呑まれていった。
爆風で木々が揺れ、枝に乗った雪がドサリと落ちる。ポイントBが炎に巻かれ、少し遅れてやって来た轟音に僕の意識は僕へと戻った。
「・・・」
負傷した右足をかばいながらゆっくりと立ち上がる。警戒は怠らないようにしつつも、ただ呆然とポイントBを見つめていた。奴は、撃ってこない。
足を引き摺りながら合流地点へと辿り着くと、既に到着していたジルキィが駆け寄って来た。折れた弓を携え、焦燥と安堵が入り混じった複雑な表情を見せた後、彼女は俯き額を僕の胸板に当てる。僕は彼女のつむじを見つめ、肩に手を置く事もなくじっと立ち続けた。
そんな、ただお互いの体重を支え合うかのような中途半端な抱擁をしばらくした後、行くかと僕が言うと、ジルキィは無言のまま小さく頷く。
手応えはあった。けど、まだ終わってはいない。
奴程の狙撃手を生き存えさせてしまえば、今後も友軍にとって大きな障害となる事は自明の理だ。その頭に鉛弾を撃ち込むまでは、この戦いは終わらない。
「顔を拝みに行ってやろう」
僕はサブマシンガンを、ジルキィは唯一残った武器である拳銃を構え、ポイントBへと出発した。
地面の雪が抉られ、周囲の木々の幹には無数の鉄片が突き刺さっていた。手榴弾が炸裂した痕跡が生々しく残るポイントB。そこから少し離れた場所、匍匐の跡とどす黒い血痕を辿ったその先に、奴はいた。
全身の皮膚は炭化し、ただれ、しかし爛々と輝く双眸が僕達二人の姿を捉えて離さない。呼吸は弱く、既に喋る事すら出来ないのだろう。小さく呻くのみだった。
銃口を向けながら近付くと、ズタズタだったが大まかな輪郭が見て取れた。壮年の男性で、瞳は深い緑色をしている。
そして何より、一部が欠けていたが、その耳は尖っていた。
「・・・貴方も・・」
ジルキィが呟く。国境とは人間が勝手に引いたものに過ぎないが、『隣人達』もまたそれを受け入れ、長い年月の間に同じく国民となっていった。フィンランドに居て、ソ連に居ない道理など無い。国家的領土と民族的領土の不一致は、決して珍しい事ではないからだ。
「・・相棒と同族の誼だ。頼みがあれば聞いてやる」
僕は瀕死の壮年エルフに銃を突き付けながらも、その傍らにしゃがみ込んだ。彼は震えた手で胸の中央を指し、果たしてそこには煤けた認識票とロケットが溶けた肌に貼り付いている。
彼に痛みを与えないよう、そっと歪んだロケットの蓋を開ける。あとはお決まりの展開、そこには家族の写真が貼ってあった訳だが、映った面子を見て僕の脳裏にひとつの可能性がよぎった。
「・・アンタ、だからあの時撃たなかったのかよ・・?」
写真に映っていたのは、恐らく少しばかり若い彼と、彼の妻と思われる女性。耳の尖った娘とその腕に抱かれた赤ん坊。そして、若い人間の男。たぶん娘婿、義理の息子だ。
彼はジルキィのフードがはだけた事で彼女が同族の少女である事を知り、種族を越えて結ばれた娘夫婦の姿を僕達に重ねて躊躇った。そういう事、なのだろうか?
「・・・いい人なんだな」
戦争がなければ良い関係になれていたかもなどと、ありきたりな感傷に耽るつもりはない。むしろ僕が支配されていた感情は、敵に情けを掛けられた腑甲斐無さ。そしてこれ程までに優秀な兵士であった彼ですらも、どうしようもなく人間的な感情によって理性を阻害された事に対する驚きだった。
「・・伝えるよ。アンタが、最期まで家族を想い、立派に死んだって事を」
果たしてそれが彼の望んだ事であるのかはわからない。だが彼は僕がそう言うと、恐らく笑ったんだろう、ぎこちなく歯を覗かせ、そして自らの額を指さした。
ジルキィが顔を逸らす。僕は彼の額に拳銃の銃口を当て、そして彼は目を閉じた。
フィンランド、ラップランド地方。ここで起こった小さな狙撃戦は、こうして静かに幕を閉じた。僕等はまた、ひとつの戦場を生き延びたのだ。
十月十五日
結局、ソ連軍の高官がやって来るという情報はブラフだった。僕達を誘き寄せて殲滅する事が敵の狙いだったという訳だが、敵の優秀な狙撃兵を撃破出来た事はそれなりの収穫だったようだ。あれ以来、ラップランド地方では〝いつも通りの〟戦争が続いている。
大隊救護所で療養していた僕は、ベッドの上で二つの勲章を授与された。ひとつは戦傷章、もうひとつは戦勲章だ。どちらもリボンすら付かない小さなメダルで、胸を張れるようなものでは決してないのだが、まぁ、くれるって言うんだから貰いますわな。
いや、張っていたのが若干一名いたな。貧相な胸を持った、右耳の折れたエルフが。
「どやさ」
部隊に復帰した僕を待ち構えていたのは、一足先に救護所を出たジルキィの誇らしげな顔だった。今日からはまた、コンビとして新しい任務に就く事となる。
「・・僕も同じ勲章を貰ってる」
「違う」
「まさか、バストサイズが上がったのか?やったじゃないか!パーティーだ!!」
「違うっ!ここ二年まるで増えてな・・ってだから違うっ!」
二年も成長無しか。かわいそうに、将来性は最早絶望的だな。
顔を真っ赤にしたジルキィは、言って僕の目の前に階級章のワッペンを突き付けてきた。それは、紛う事なきフィンランド軍の伍長のものだ。
「追いついた」
「そか、やったな」
「温度差っ!」
彼女の狙撃を間近で見てきた僕にとっては、別段驚くような事でもない。ジルキィの能力でもってすれば、もっと高い階級を目指す事も十二分に可能だと考えられるからだ。むしろこの昇進は遅いくらいだと言ってもいい。
「死ぬ時は一緒なんだから、階級も一緒じゃないと不公平さ」
「エルフの理屈はよくわからん」
僕等は二人肩を並べながら、布切れ一枚で出来た愛しの我が家に帰還する。未だ血の跡が残る部分をツギハギで誤魔化したポンチョを羽織り、装備一式を点検、そして新しく支給された彼女の愛銃は新兵の様にピカピカだ。
「どうする?コレ」
装備品の中から取り出したあの壮年エルフの認識票とロケットを手に、ジルキィが僕を見上げる。死人の、しかも敵との約束を果たそうだなんて我ながら義理堅いが、約束は約束だ。いつになるかはわからないが、必ず届けようと思っている。
案外、頼むと一言メモを添えてポケットに入れておけば、善良なソ連兵が僕等の死体から取り出して、代わりに届けてくれたりするんじゃなかろうか。
「・・それは嫌だ。私達の手で、届けたい」
「・・ま、その為にはこの戦争を生き抜かなきゃ、だぁな」
言ってサブマシンガンを肩に担ぐ。彼女は微笑んで頷き、そして僕達は再び銃火の飛び交う戦場へと向かって歩き出した。
根拠は無い。だが、不可能ではないような気がした。彼女と一緒なら。
青歴一九四三年、十月十五日。フィンランド共和国、ラップランド地方。
世界と、そして『隣人達』を巻き込んだ戦争は、今日も続いている。
あんな弓矢は作れません。
観測手を用いた狙撃システムが確立されるのも、多分もう少し後の時代かと。
戦争の発端も、どちらかと言うとドイツ軍が先にちょっかい出したからですが、
それを作中で明言すると主人公側への印象が少し悪くなってしまいますからね。
エンターテイメントの嘘としてご容赦下さい。