王子様の怖いもの
王子様は何も気づいていないようです。
ええ、ええ。本当にとてもおめでたいですね。
追記/1/15
数カ所訂正しました。
第三都市の郊外。喉かな田園風景が暫く続く舗装もされていない道を進んでいる馬車の行列があった。
その幾つかある馬車の一台、腕を組み外の風景を面白くないと言わんばかりの表情で睨みつける青年と対面座席に座るにこやかな笑みの赤い髪の青年がいる。
対照的な二人だが、不思議と空気は嫌悪を孕んでおらず、寧ろ一方的な溜息が片方から聞こえるだけ。
こうして苛立ちを露わにしている者こそ、この国の第二王子であるヨハンネス=アンゾルゲである。
「父上め……何故こんな事をおれにさせる必要がある。軍に関しては兄上にさせれば良かろう」
「ローベルト殿下は隣国に滞在しておられるのですよ。三日三晩かかる道を1日で来いなんて、幾らあのお方でも無茶です」
「それぐらい分かってる!」
噛み付くような返事すら受け流す青年の顔を睨み付けながら、しかしいくら待っても変わらない顔色にうんざりしながら話題を変える。
「……だが、まさかお前も来るとは思わなかった」
「まあ、あそこには姉上がおりますから。弟としては一応様子だけでも確認したいと思いまして。そういう殿下は、もし姉上に会ったらどうしますか」
彼の名はアルノルト=ロイス。
同じように向かい合って座る青年、ヨハンネス=アンゾルゲの元婚約者だったマルガレータ=ロイスの弟であり、王都国軍に去年15歳の若さで入団し、瞬く間に一軍に上り詰めた期待の新兵。
彼の事もあり、ロイス家はマルガレータのみの爵位剥奪という処罰だけに止まったのだが、それはまた別の話。そしてアルノルトはどうやらマルガレータへの意見が気になるらしい。
勿論、ヨハンネスの答えは決まっていた。
「――そうだなぁ。もしもあいつが俺に許しを請うのなら側室に迎え入れても構わん。
あの怖がりな女の事だ、今頃第三都市の兵士宿舎の隅で縮こまってるに決まってる。
俺の姿を見た瞬間、きっと犬の様に走り寄って地べたに這いつくばるだろうさ」
「ふぶっ」
突然アルノルトが噴き出し、ぶるぶると震え始める。眉をひそめて訝しげに睨みつけるヨハンネスにアルノルトは慌てて何でもないと笑みを浮かべる。
思えば、この男もマルガレータと同じくとある物を怖がる節があった。
それも魔物でも何でもない――ただの幼い子供を。
以前茶会でとある貴族が幼い一人娘を連れて来た時、丁度アルノルトと面会させている場面を目撃した事がある。
だが彼は何処となく視線を彷徨わせ、少女から距離を取ろうとしていたのだ。
挙げ句の果てには少女がアルノルトに嫌われたのかと泣き出し、その服の裾を掴んだ瞬間にそれはもう綺麗な弧を描く様に仰向けに倒れ込んだのは今でも鮮明なぐらい脳裏に焼き付いている。そのまま少女や他の子供達に囲まれ硬直したまま好き放題にさせている場面も、だ。
そうだ、また茶会を開いた時にはもっと多くの子供を呼んでアルノルトを囲ませよう。今度は泡を吹いて倒れるかもしれない。
くっ、くっと喉を震わせて笑うヨハンネスに今度はアルノルトを眉をひそめた。
ヨハンネスの思惑などアルノルトがこれっぽっちも知らぬまま、一行の乗った馬車が漸く第三都市の門前を抜けた。
このまま進めば第三都市の正門と真逆の方面にある兵士宿舎まで、ものの数分で着くことだろう。
ふと、馬車の行列など滅多に無いのか人々が物珍しそうに見ている光景を見てヨハンネスは嫌気がさす。
第三都市の此処は王都からも遠く、その分礼儀がなっていないと学園で耳にした事があるが、どうやらそれは本当の事らしい。ただこちらを眺めるだけで頭のひとつも垂れない事に吐き棄てるように愚痴を零す。
「ちっ……第二王子の俺もいるというのに、此処の連中は頭ひとつ下げることもできないのか」
「殿下。此処は王都でもありませんし、それに今貴方は王都兵士の一人です。全体を通しての身分なら礼儀の必要の無い相手が今の貴方ですよ」
アルノルトがヨハンネスの意を汲み取り、即座に正論を返す。確かに今の自分は一介の王都兵士。王子としての身分は裏に引っ込めているような状況だ。
だが、それでもやはり腹のムカつきは治らない。
(……、待てよ?)
そうだ。確かこの後に訓練の一環として第三都市の兵士達と仮試合をするのだ。
此処の兵士達は皆屈強だと聞くが、所詮第三都市。王都兵士達の足下にも及ばないだろう。
(丁度いい。第三都市兵には悪いが俺の鬱憤を晴らす相手になってもらおう)
ガタイのいい男達を叩き伏せ、その頂に君臨する自分。そして横にはそっと寄り添うティルラの姿……。
ああ、最高だ。ここにティルラがいればきっと実現できたであろうに。
こればかりは仕方がない。代わりに這い蹲るマルガレータでも入れてやるか。
取らぬ狸の皮算用。妄想に妄想を膨らませ、笑いを滲ませるヨハンネスにアルノルトはまたかとでも言いたげな表情で、しかし彼を眺めるだけに止めた。
***
王都兵と第三都市兵が訓練場に集まった。
見るからに鍛え上げられた第三都市兵を前に若干尻込みする兵士達と、そんな事に臆する事もなく自信満々な笑みを浮かべるヨハンネスがいた。
勿論第三都市兵団団長のゴルドもヨハンネスの姿を真っ先に捉えたが、興味がなさそうに……いや、何故か申し訳なさそうに視線を逸らす。
「確か仮試合で三戦、休息の後に実戦訓練だったな。よし、アルノルト。まずはお前から行ってこい」
当たり前のようにヨハンネスが指示を出す。王都国軍では王子が一時的にでも在籍している場合、有事以外では王子の指示に従う事が義務付けられていた。
これは昔、ヨハンネスが幼いころ我儘で王都国軍を動かそうとし、挙げ句の果てに一人で馬、しかも王都国軍の中でも特に凶暴な暴れ馬を動かしたせいで大勢が怪我をした事があった。
それ以降、王子が勝手な真似をする前になるべく指示に従い、事に備えられるようにするというのが国軍全体の暗黙の了解となっている。
こんなところでもバカ王子はとことんバカだったが、何故かそれに応えるべきアルノルトの返事が返ってこない。
「おい、アルノルト?……そこの貴様、アルノルトはどうした」
「はっ、先程持病の腹痛により一時離脱をすると告げてこの場を離れました!」
「はぁー!?」
まさかの腹痛による離脱。確かに良く持病の腹痛が……と会話から抜け出すところも目にしてはいたが、まさかこんな時に限っていなくなるとは思わなかった。
アルノルトと言えば、ヨハンネスには及ばない(自己評価)がそれなりの実力者であったのだが致し方ない。
仕方なく周囲に視線を向けて他の人物を探す。
しかし他の兵達は皆下を向いてばかりでヨハンネスの方など見向きもしない。
苛立ち、王都国軍の様子に鼻を鳴らしながら帯刀を握りしめる。
「ふん、臆病な奴らが。まあいいさ。少し予定とは違うが先に俺が出ればいい」
そんなヨハンネスを王都国軍の団長が遠目からつまらなさそうに見ていたのだが、彼が気づく事はなかった。寧ろ、彼はそれ以前に自分の対戦相手として選ばれたのだろう人物に視線が釘付けになってしまったのだから仕方がない。
なにせ――
「なんか、あいつだけ細くないか?」
ゴルドの横に立つヨハンネスの相手として選ばれた兵士は他の男達よりも細く、すらりとした長身だ。
片目は隠れ、長い髪を後ろで一括りにした男はゴルドに何か話した後、すたすたとこちらへ歩いてくる。
この第三都市の兵士宿舎にはいないような類の人物に、ヨハンネスはおろか他の王都兵達も彼の事を疑いの目で見ている。
何か裏があるのか、もしかしたら第三都市の兵士では無いのではないか。しかし、当の本人は彼らの視線に臆すること無く、さも当然の様に恭しく一礼する。
「お初にお目にかかります。殿下。私の名はローウェル。第三都市兵団のしがない一兵です。本日は私などのお相手をしていただき光栄にて御座います」
その瞬間、王都兵達は皆騒然となる。
第三都市兵のローウェルと言えば、王都国軍団長の弟だという噂があった。
だがどう見てもその顔つきは王都団長とは似ても似つかず、唯一髪の色が似ているだけ。
件の団長の顔を王都兵達がちらちらと気にする様に見ていると、睨み返す様な視線が返ってきたので慌てて目を反らす。
「……確かに、あいつは俺の弟だ」
だが、団長は事もあろうかその事実を肯定する。
さらに騒がしくなった場を見ながら、団長であるジルヴェスターはローウェルから目を離さずにいた。
内心では、違う思いを抱いて。
(あんの性別不明野郎……!どこで油売ってるかと思いきやこんな辺鄙な場所にいやがって!……つか、なんでローウェルの名前なんて騙ってんだあいつ……)
ジルヴェスターは知らない。
ローウェルが兄と会いたくないが為に逃げ出したことを。その口実に、兵士達の朝の訓練による噎せ返る程の熱気を浴びて倒れたマルガレータの介抱をすると嘘をついたことを。
そして何より、ニアが王子に一発殴りたいが故に自ら成りすましを買って出たという事実など、知る由もないのだ。
***
その頃。
宿舎裏の涼しげな、しかし涼しすぎて肌寒い場所で重なり合う二つの影があった。
一人は体格の良い男性。そしてもう一人は小柄な少女。少女が吐息を吐き、男性が擽ったそうに身を捩る。彼等が何をしているのか、それはもうお分かりであろう。
そう、彼等は……いや、彼女は。
「あー……至福……」
「マルガちゃん、胸の上で頭ゴロゴロしないでよ〜。髪が擽ったい……」
「だってだって! 今のこの状況どう見ても筋肉ベッドじゃないですか! あぁ、夢がひとつ叶ったぁ……」
ただただ、筋肉を堪能していた。
蕩けた顔で男性の筋肉に顔を埋めるマルガを見て、まるで幼子の相手をしているようだとほくそ笑む男性、名をローウェルという。そう、兄から逃げ出した王都国軍団長の弟とは彼の事だ。
流れるような金髪と涼し気な顔で、はたから見れば優男と言っても過言ではないのだが、いかんせんそれよりも目につく肉体がある。
そんな彼をベッドだと称したマルガが幸せそうに微笑んでいたところ、二人の耳にかさりと草を踏む音が聞こえてきた。
途端に、二人して固まる。
マルガが一方的に堪能していたとはいえ、こんなところ誰かに見られてしまえば、いや第三都市兵なら事態を理解している為問題ないのだが……現在この第三都市兵士宿舎には王都国軍の人間が来ている。
もしその国軍の兵士に見つかってしまえばどんな噂を立てられるか分かったものではない。
恐る恐る、願わくば王都国軍の人間ではない事を祈るが……どうやら神はいなかったらしい。
その先にいたのは王都国軍の兵装に身を包んだ赤い髪の青年だった。驚いたように目を丸くし、ローウェル達の姿を凝視している。
ローウェルが何か言い訳をしようと口を開く。だがそれよりも早く、誰かが言葉を発った。しかもそれが聞き間違いでなければ、自分の上から聞こえてきた。
「……アルノルト?」
「姉さん?……本当に姉さん?」
どうやら事態は更に深刻だったようだ。
王都国軍兵士に加え、まさかマルガレータの弟だったとは。しかし、慌てて身を起こし潔白を証明しようとするローウェルを制したのは予想外にもアルノルトの方だった。
「焦らなくても大丈夫ですよ。どうせ姉さんが我儘言ってベッドかなんかになってるだけでしょう?」
「え、うん、そう……分かるの?」
「分かりますよ。伊達に16年も姉さんの弟をしてませんから」
そう朗らかに笑うアルノルトは意外にも常識人で、到底マルガレータの弟とは思えない。改めてお互いに名乗り合うと早速と言わんばかりにマルガレータの近況を聞かれた。何か迷惑はかけていないかという事らしい。
「いや、大丈夫だよ〜。マルガちゃんはよく働いてくれるから……」
「いえ、俺が聞いたのはセクハラについてです」
「うぐっ」
呻いたのはマルガレータ。
バツが悪そうな顔で顔をあわせまいとするその様子から、既に事を起こしているのは誰の目から見ても明白だろう。彼女の様子にアルノルトは盛大に溜息をつく。
「はあ、これだから姉さんは……」
「……そういうアルノルトだって、」
反撃とでもいうのか。マルガレータはアルノルトを睨み付けながら表に届かない範囲の声でこう叫んだ。
「アルノルトだって、ちっちゃい子が大っ好きでしょう! それとも何、そんなものもう捨てたっていうの!? 本当にアルノルトなのあんたは!!」
これに驚いたのはローウェルの方だ。
いきなり何を言い出すんだ、とか。この常識人であるアルノルトがそんな変態じみた趣向を持っているわけないじゃないか、とかとか。
そんな考えが巡ったが、当人であるアルノルトはゆっくりと手を持ち上げて、
「いえすろりしょたのーたっち。むこうからくるのであればおれはよろこんでおもちゃにだってなる」
「良かったいつものアルノルトだ」
「あっ、常識人じゃなかったの」
ぐっ、と親指を見せつけるアルノルトにほっとするマルガレータと遠く空を眺めるローウェル。宿舎裏で奇妙な行動をとる三人に気づく者は誰一人いない。何せ丁度今、表の訓練場ではローウェルに扮したニアがヨハンネスを綺麗に吹っ飛ばしたからだ。
「で、姉さん。話を戻すけどこんなとこで何してんの」
「ちょっと貧血で倒れちゃって……」
「もしかして、圧迫」
「最高でした」
「そんな理由でかぁ〜〜」
ローウェルの胸板と腹筋をこれまた見事に寝床のように使うマルガレータはキメ顔で正解を叩き出したアルノルトに感想を口にする。
もうこの姉と弟の会話について行けないローウェルは思考を放棄して己の上に乗っかる少女の柔らかさを堪能する。程よく発達した身体は確かな温もりは、この薄暗く僅かに肌寒い宿舎裏には持ってこいの暖かさだ。
「ローウェルさん。それ重たくないの?」
「姉をそれ呼ばわりしたな? 更にそれって物扱いもしたな!」
「うんにゃ、程良い暖かさで毛布みたいだから大丈夫」
「まさかの毛布!?」
ショックを受けたと言わんばかりの表情を見せるマルガレータに二人は顔を見合わせて笑い合う。こんな小動物のような少女だが、好きなものが筋肉だというのだから人生なにがあるか分からない。
けれど二人は思うのだ。
マルガレータのころころ変わる表情や、最後には幸せそうに笑うその顔がこれからもずっと続くなら、それで良いかと。
「は?おれに怖いものなんてないに決まってるだろ」
ヨハンネス=アンゾルゲ
バカ王子。俺様何様王子様!を地で行く暴虐無人。
自分の思い通りにならないと癇癪を起こすタイプで、マルガレータはかなり手を焼いていた。
マルガレータは一度も好きだとは言っていないのに自分の事をまだ好きだと思っているある意味可哀想な奴。おかげで王位継承権は貰えないし、ティルラには上手いこと手のひらで転がされていることに気づいていない。
アルノルト=ロイス
ロイス家の常識人?君は一体何を言っているんだね。これでも彼はマルガレータの弟だ。
というわけで真面目そうな皮を被った小さい子大好きな紳士。可愛い幼女や少年を遠目から見守ることを生き甲斐としている為、必要以上に触れる事を自らとがめている。
ただし、向こうから触れてきたら好きなようにさせる紳士の鏡。
ジルヴェスター=ケプラー
あまり喋らなかった王都国軍団長。内心焦ってたりもする。
「なんでいるんだあの野郎……」
マルガレータ
元悪役令嬢。筋肉フェチ。
本日はローウェルの筋肉ベッドを堪能していました。10回揉みました。満足です。
ローウェル=ケプラー
王都国軍団長の弟。
顔は優男なのに良い肉体の持ち主。マルガレータ曰く、「程よい揉み具合」との事。
兄である王都国軍団長ジルヴェスターには苦手意識があり、あまり顔を合わせたくない様子。その理由から第三都市にいるらしい。
ゴルド・ノルドー
ニアがローウェルの成りすましになる事を黙認した人。いやだって無言の迫力怖いんだよ。
すまんな王子。
ローベルト=アンゾルゲ
ヨハンネスの兄で第一王子。
隣国満喫中。
ニア
まさかの性別不明発覚。
姐さんなのか、兄さんなのか。
真相は未だ闇の中……