見つめる瞳と浮かぶ宇宙
後輩が決まったか……。ほう、ジェイムスと言うのか。良い名だ。きっと私の仕事を私以上に遂行してくれる事だろう……。
私の名は、ハッブル。もう25歳のベテランだ。25歳だと若いって?まぁそういう方もいるだろうけれど、私の場合は既に十二分に役目を果たしたのさ。そう、言っていなかったね。私の仕事はカメラマンさ。
私の撮った写真を元に、論文は1万と二千を超えたそうだ。何ともありがたい話であり、同時にそれが私の仕事なのだから、きちんと成果が出ているのが嬉しい事である。未だに解かれない謎の物質を発見出来たのも私の写真や、観測のデータだというのだから、どれ程大事な仕事なのかは、分かって頂けると思う。
しかし……、実に孤独な作業だ。重力の井戸の底から要請が来れば私はスタンバイして写真を撮る。時に芸術的な写真になる事もあるが、わかりやすい様に彩色してる物もある。まぁ、普通には見えない波長だからね。それにしても、私が初めてこの場所で撮影をした時はそりゃもう酷いもんだった。カメラが予定の5%の力しか発揮出来なかったんだから。それでも井戸の底から写真を撮るのとは大違いさ。急いでソフトウェアで対応。なんと58%まで機能が回復したが、わざわざ専門の技術者が修理に駆けつけてくれ100%どころか、今までを遥かに上回る能力のカメラになった。本当に……ありがたい事だ。
その後も何度か業者とのセッションを終え、5回もバージョンアップ。この道では、第一人者としての地位を更に固めたものだった。でも、その業者の車が壊れてしまったそうだ。代わりの車も無し。後は壊れたら、ルートを離れ…いずこかへ消えていくのだろう。
遠き、余りにも遠き星々の光を撮る。それは過去の記憶を留める作業、一種のタイムマシンだ。光の速さでも15万年もかかる距離の星雲を撮ったとしたら、それはもう今はどうなっている事か。
そこまでしても、遠くどこかにあるだろう「彼の地」を探す為に、要請は続く。我々は孤独ではない、どこかにきっと同じ様な仲間がいるだろうと、探り続ける。まるで、神がそこにいるのを必死に探るかの様に。
──万有引力とは、引き合う孤独の力である──と言ったのは、どんな詩人だったか。我が同胞達は、その重力の井戸の底から私を使って必死に叫ぶんだ。「我々はここにいる! ここにいるんだ!」とね。
1700億個の銀河があるという話だ。気が遠くなりそうだ。我々が観測出来る範囲で、いつか仲間に出会えるのだろうか。それこそ神のみぞ知るというものだろうね。でも、同胞達はキラキラした眼で信じて探し続けているのだよ。私もこの身体が朽ち果てるまで、仕事を続けようじゃないか。
私が力尽きるまで、それまでに後輩が来てくれるのを祈るよ。私はもう永遠にあの蒼い重力の井戸の底には帰れない。アテナイの預言者の神託の様に、海を開いたモーセの様に、ここで受け止め伝え続けよう。
私はハッブル。
ハッブル望遠鏡だ。
ハッブル望遠鏡の撮った写真の凄さ、鮮烈さに魅入られて書いてみました。既に耐用年数を超えているそうです。ハヤブサの様に、最後は消えてしまうのか。そんな事を思ったら、ひとりがたりが聞こえた気がして、つらつらと書いておりました。