3.最後の花火大会
一週間は本当にあっという間に過ぎ去って言った。
私はできるだけ明るく接するようにして、できるだけ誰にも心配を掛けさせないようにした。
……もう心配されてるかもしれないけど。
高志とは一週間の間、会っていない。
その分楽しみという気持ちもあるし、やっぱり不安もある。何か、あるんじゃないかと。
勿論、メールはたくさんした。電話も、短い時間だけど毎日した。
いつもと変わらない高志だった。
でも、文面だけで人の気持ちなんて読み取れる訳がない。声ならまだしも。
でも声を聞く限りいつもの高志だったから、少しだけ安心した。
何もない。そうだ、何もないんだ。
高志が私に隠し事なんてするはずがない。
ネガティブな私、バイバイ!
こんにちは、ポジティブな私!
「今日は思いっきり楽しもうっと! 今年初の花火大会だ!」
うんと背伸びし、私は窓を開けた。
お日様の光が心地良く私を包んでくれた。
「おはよう」
陽気に、一人空に向かって微笑んだ。
おはようと言っても、実はもう昼過ぎなんだけどね。
お昼ご飯を食べた後、適当にごろごろして、夕方に高志が家まで迎えに来てくれる予定だ。
一週間ぶりに気持ちのいい朝が(いや、昼だけど)やってきたので気分はすこぶる良かった。
一週間も何悩んでたんだ。馬鹿みたい、私。
時間が解決してくれる事もあるとはこういう事か。と、一人うんうんと頷く。
ベッドの前で腕を組んで突っ立っているとお腹がぐうと音を立てる。
「……お腹減った」
ここ一週間、悩んで悩んであまり食欲がなかったので当然と言えば当然だ。
リビングに降りてテーブルまで歩くと、ご飯がラップで包まれ、「チンして食べてね」というお母さんの書置きがあった。
靴も私のしかないし、家族はみんな出払ったようだった。
「みんな早いなあ」
そう思ってふと時計を見ると、時計は午後二時を指していた。
「……はは。こんな時間だったんだ」
結構寝てたのか、私は。
思わず苦笑い。
チンしたご飯をゆっくりと食べていると、時間は三時だった。
「ご飯食べるの遅いな、私」
誰も突っ込んでくれないので、自分で自分を突っ込む。
……するともっと虚しくなった。
食器を適当に洗い、部屋に戻ってみたけど、
「暇だ……」
することが何も無い。
「んー……」
何か忘れてたような……
「なんだったかなあ」
えっと……
「あ!」
そうだ、浴衣を忘れてたんだ!
「高志の喜ぶ顔見たかったんだけどなあ……」
お母さんも居ないし……
私一人ではどうしようもなかった。
「あーもう最悪!」
ベッドにうなだれていると、まるで見計らったかのように「ただいま」とお母さんが帰ってきた。
急げ! 急げ! 浴衣だ浴衣!
「お母さああん!」
ドンドンと音を立てながら急いで階段を駆け下りて行く。
玄関に到着した私にお母さんは一言。
「ほら、浴衣」
お母さんは私の事を見透かしていたようだった。
まるでエスパーだ。
「わあ! なんで? なんで?」
興奮する私に母は冷静に言った。
「あんた、去年も同じことしてたじゃない。だから買ってきてあげたのよ」
そういえば、そうだっけ。
去年、高志が私の浴衣姿を見れなくて悔しがってたのを思い出した。
「さっさと着付けするよ、ナギ」
時計を見ると高志の来る時間が刻一刻と迫っていた。
お母さんが買ってきたのは、黒を基調にした、少し大人っぽい浴衣だった。
「よいしょっと」
手際の良いお母さんの着付け。
あっという間に私の浴衣姿の出来上がり。
「髪はくくらなくていいの?」
お母さんは私の姿をまじまじと見ながら言った。
「え? なんで? 別にくくらなくてもいいじゃん」
だって面倒だし。
「男は女のうなじが好きなの」
なんで女のお母さんがそんなことわかるのよ。
「いいよ、別に」
私が言うと、お母さんは溜息をつきながら、「女らしくないねえ、ナギは。誰に似たんだろう」
多分、間違いなくお母さんに似ていると思う。
「お母さんだよ、きっと」
その言葉にお母さんはにっこりと微笑んで「そうかもね」と言った。
持ち物の準備をしていると、家のベルが鳴り、高志が来た。
急いで階段を下りる。
玄関の扉を開けると、黒いツンツン頭の高志が居た。いつもよりちょっとお洒落だ。
高志は私の事を見ると、呆然と立ち尽くした。
「まじで綺麗……」
高志の口から放たれたその言葉にかーっと体が熱くなる私。
「……ありがと」
私は、高志から視線を逸らして呟くように言う。
「よし、じゃあ行こう」
私の手を取って高志は歩き出す。
それに引っ張られるようにして、私は歩いた。
「それじゃ、冴子さん。行って来ます」
高志はお母さんに深々と頭を下げた。
「はいよ。ナギを頼んだよ、高志君」
任せてください! と高志は意気込んで、玄関のドアを開ける。
「お母さん、行って来ます」
下駄を履きながら、私は家の外に出た。
会場に行くに連れて、浴衣や着物を着た人が多くなっていく。
この町の花火大会だけど、規模は結構大きい。
流石にテレビ中継とかはされないけど。
花火の音は町中に聞こえるし、家からも見えるからわざわざ会場まで行く必要はない。
だけど、やっぱり夏休みの思い出を作るという意味もあるし、会場でしか味わえない雰囲気と言うものがある。
だから私は毎年花火大会に足を運んでいる。
それに、食べたい物もあるし!
「ねえ、高志」
私より背の高い高志を見上げる。
「ん? どうした?」
顔をこちらに向けて高志は私に視線を送る。
「ベビーカステラ、食べたいっ!」
私の大好物、ベビーカステラ。これが地球上に存在していなかったら、私は夏祭りになんてわざわざ行かない。
それぐらいに大好きだ。
「ナギって、容姿とか雰囲気とか大人っぽいくせに好きなものとかちょっと子供っぽいよな」
予想はついてたけど、やっぱりそんなこと童顔の高志に言われたくない。
自分だけからかわれるのは嫌だから、私は繋いでる手を離して高志の前に立った。
「高志だって童顔で考えとか子供っぽいくせに、趣味とか好きな物は大人っぽいというか、親父くさいよ!」
そう言って、べーっと舌を出す。
「俺達、間逆だな!」
確かに、そうだ。
ハハハッと笑う高志に私もつられて笑う。
「あはは。本当だね」
笑い合って、歩幅を合わせて歩く私達の目の前にはいつの間にか、溢れた人達で賑わっていた。
「人、いっぱいだ」
私は景色いっぱいに広がる人と夜店を見ながら呟いた。
「でも、俺達の世界は、二人きりだ」
高志のちょっとだけドラマチックな言葉に私は少し、ドキッとした。
でも、私はそんな様子を見せない様にツンとした態度で高志に言い放った。
「それ、恥ずかしくないの?」
素直じゃない。私。
「かっこよく決まったと思ったんだけどな……」
あからさまに落ち込んだ高志の顔は、なんだかかわいいと思った。
これが高志の言う萌えとかいうやつなのかな。
いつまでも立ち直りそうにない高志を少し不憫に思い、私は高志にギリギリ聞こえないくらいの声で言葉を零した。
「……ちょっと、ドキッとしたけど」
私、かわいくないなあ。
「え? 今なんて?」
私の言葉に、高志は呆然と立ち尽くす。
放っていっちゃえ。
「二回も言わないよ。早く来ないと、置いてくよ?」
私が五歩くらい先に歩いた所で、ようやく高志は私を追いかける。
「待てよ」
そう言って、手を繋いでくれた。
私は、小さく笑う。
「何笑ってんだ?」
そんなの、決まってる。
高志と居るのが、楽しいからだ。
「んー? 秘密」
恥ずかしくて、口に出せる訳ないよ。
「なんだよ、それ。恋人には秘密は無しだろ」
そんなこと、知らないもん。
「乙女は秘密のひとつやふたつくらいあったって良いの!」
そう言ってから私は、「……好き」
今度は誰にも聞こえないくらいの声。
お囃子の音や、周囲の人たちの声。色んな物が私の言葉を掻き消した。
自分にも届かないくらいに、それは小さな声だった。
「乙女、ねえ」
疑うようにじろじろと私の体を見る高志。
特に、胸を。
「相変わらず、胸小さいな」
人が気にしてる所を……!
「いいでしょ、別に! 小さいのが嫌なら胸の大きい子の所へ行けばいいじゃん!」
冗談ぽく笑いながら、私は言葉を投げた。
高志は、他の子の所になんて行かない。そんな返答が欲しくて、わざとこんな言い方をした。
高志なら受け止めてくれるから。
「馬鹿。俺が他の奴の所なんか行くわけないだろ。それに、貧乳の方が俺は好きなんだ」
……嬉しかった。けど、約一年間付き合って何のカミングアウト? 貧乳が好きな人が居るって都市伝説だと思ってたよ。
軽蔑の視線で高志を睨む。そして手も離す。
「わっ。わわ! おいナギ! そんなに引かなくてもいいだろ! でも俺はそんなお前が好きなんだ!」
腕を広げ、動揺しながらも必死に弁解しようとする高志。
でもその言い方だとちょっと勘違いされるかもしれない。
引いてる私の事が好きなんて、なんだかちょっとマゾっぽいよね。
あれ、違うかな?
ま、いいや。
「あはは、冗談だよ」
放っておくと高志が薄く涙を浮かべてきたから、今度は私から手を繋ぐ。
「何、そのアメとムチ」
そう言いながら、高志は私の手を強めに握る。
私を放さないように。
なんて、ただの私の願望だけど。
「反則だ! お前」
大袈裟にリアクションする高志。
いつも通りに、いや、いつも以上に笑いあう私達。
この前までの不安は一体なんだったんだろう。そう思うくらいに当たり前のようなひと時を私は過ごしていた。
私は、高志に感じていた不安なんてものは無かったかのように、今を楽しんでいた。
会話をしながら二人で会場を歩いていると、間もなくして花火が上がり始めた。
お腹の底に響くような轟音と、眩しいくらいに空に輝く大輪が私の感覚の全てを奪った。
「……綺麗」
私は小さく呟く。
その声は、やはり轟音に掻き消されて高志には届かない。
私は、手を繋いでいる高志の横顔を盗み見る。
その横顔は、いつも見る高志の顔ではなかった。
花火の光に照らされて、なんだか凛とした、大人っぽい顔。
花火にも目も暮れず、高志を見つめる私。
視線に気付いた高志は、ふと私に視線を落とすと、ちゃんと聞こえるように。耳元で囁いた。
「好きだ。ナギ」
当たり前の事だと思っていたけど、言葉にすると不思議なもので、その魔法のような言葉は私の心を鷲掴みにして離さなかった。
私も、言いたい。
素直になるんだ。
「……私も、好き」
普段は恥ずかしくてこんな事言えないのに。
なんだか今日は、最高に気分が良い。
言えない事も、すらすら言える。
だけど、幸せそうな顔をしている高志を見ると、意地悪をしたくなった。
「……嘘だけど!」
……本当はそんな言葉の方が嘘なんだけど。
私、ひねくれてるのかな?
「はあ!? 嘘だろ!?」
愕然とした高志の顔を見て満足した私は、本当の事を高志の耳元で囁く。
「好きじゃなくて、大好き」
私は、高志の事が大好き。
一番、大好き。
愛してる。
「お前……それは反則だって」
安堵の混じった溜息をつくと、高志は私の瞳を真っ直ぐに見つめた。
お互いに、見つめ合った。
私は高志の背中に腕を回す。
そして、目を閉じ、ゆっくりとお互いの顔を近づける。
――高志と私の距離は、ゼロになった。
私の体は微熱を帯びていた。
私は、高志の声に、瞳に、その全部に恋をしたんだ。
とてつもなく、幸せで、このまま時が止まってしまえばいいとさえも思った。
高志と、出会えてよかった。
繋がる事ができてよかった。
今この瞬間を高志と一緒に居る事が心の底から嬉しかった。
最後の花火が散る。
それと同時に夏が終わるんだと、少しだけ切なくなった。
花火が終わっても夜店はまだやっていた。
これを逃すわけには行かない。
「高志、あれ! ベビーカステラ! 早く!」
花火を見終わって、ベビーカステラを見つけた私は、一目散に屋台へと駆ける。
「あんまり急ぐなよ」
笑いながら、走る私の後ろからゆっくりと歩く高志。
「……でかっ」
高志が私に追いつき、私の持っている袋を見て呆然とする。
「何円分のやつ? それ」
「超特大。二千円」
私は即答した。
「……ははは」
高志は唖然としている。
「おいしいから!」
祭りに来たからにはベビーカステラでしょ、特大の!
勿論、一人で食べる。
「それ一人で食べるのか!?」
高志は驚愕の表情を浮かべる。
「うん」
もぐもぐとベビーカステラを頬張りながら首を縦に振る。
「一個だけ頂戴。口移しで」
変なこと言わなかったらあげたのに!
「ふんっ。あげない」
私はそっぽを向き、ベビーカステラを口に入れながら、大勢の人が流れる方向へと歩く。
「待て、ナギ!」
間を持たず、高志は私の隣に来てまた手を繋ぎなおす。
仕方ないから、一つだけあげる。
「一個だけ。あーん」
ベビーカステラを一つ手に取り、高志の口へと近づける。
「お、おう」
少しだけ焦りながらも大きく開けた高志の口に、ベビーカステラを放り込んだ。
「うん、うまいな」
「でしょ!」
流れるままに歩いていると、今度は高志が奇声に似た声を上げながら、一目散に店へと走る。
「うおおお! ウルトラマンのお面! これいくらですか!?」
やっぱり、高志は子供だ。
嬉しそうに私の元へと戻ってきた高志は頭についさっき購入したお面を装備していた。
「やべえテンション上がってきた」
……呆れて何も言えない。
「……はあ」
「どうした? ナギ」
私が大きく溜息をつくと、高志は私の顔を覗き込みながら言った。
「いや、やっぱり高志は子供だな。って思って」
今時ウルトラマンって、どうなの。
「うるさい。コーヒーも飲めないお子ちゃまな口してるくせに」
冗談ぽく笑って、高志は私の手を取った。
すると、高志はいきなり変態チックな発言をする。
「そういえばさ、ナギっていつもジーパンはいてるけど、綺麗な脚してるんだからスカートとかはいた方がいいよ」
スカート履かないと女らしくないって言いたいの?
「恥ずかしいから嫌だ」
私は普段も制服のスカートを膝下辺りにしてるから、あんまり脚を露出することはない。
というか、脚を見せた覚えがない。
「勿体無いなあ」
残念そうに肩をすくめる高志。
高志が言うなら、今度はいてみてもいいかも。
そのうち、はこう。
――歩き続けると、少し疲れてきた。
「もうだめだあ」
ふらふらした足取りで人の波から離れ、道端に腰掛ける。
「大丈夫か?」
心配そうに高志は私の頭を撫でる。
「うん、ちょっと休憩したら大丈夫だよ」
涼しくて気持ちの良い風が、私の頬をくすぐる。
腰掛けたまま、お互いに無言で手を繋いでいる私達。
会話なんて無くたって、寂しくなんかない。
隣に、確かに高志がいるから。
そう思っていた時、突如高志が口を開く。
「あのさ、ナギ」
「ん?」
何も考えないで、お祭りの風景を見ながら私は答える。
「今日、誘ったの。言わなきゃいけない事があるからなんだ」
それを聞いた途端、胸がざわつく。
「どういうこと……?」
言葉が震える。
頭の中には押し殺したはずの不安が再び膨れ上がっていた。
「本当は、もっと早く言うべきだったんだろうけどさ」
高志は、この前までと同じ哀しげな顔を私に向けた。
嫌だ。嫌だ嫌だ。
聞きたく、無い……
「俺、留学する事になった。だから、もうナギとは会えない」
『もう会えない』
残酷な言葉が私の胸を深くえぐった。
「な……んで……」
唇が震えて上手く声が出せない。
認めたくない。そんな現実。
私は認めない。
「前から決まってた。留学は俺がずっとやりたかった事なんだ。親父もお母さんも、金の事なら心配するな。お前の好きなようにやれって。今まで厳しかった親父が快く送ってくれるんだ。だから……」
高志の言葉は私の耳には入ってこなかった。
聞きたくなかった。
ただ、目の前はぼんやりとした屋台の明かりで広がっていった。
「いつまで……?」
私は震える声で必死に搾り出した。
「三年」
高志は呆気なくそれを口にする。
三年。
ちっぽけなはずの『三』が、途方もなく大きくて、重く感じる。
「なんで……なんで…………」
訳もわからず、頭の中がぐちゃぐちゃに掻き回されてる気分だ。
そして私はとうとう、抑えきれない感情をそのまま高志にぶつけてしまった。
「なんでもっと早く言ってくれなかったの! いきなり過ぎるよ!」
高志は私の事を想って留学の事を伝える事ができなかったんだろう。
それなのに。
それなのに私は、わがままで、自分勝手に激昂して、高志に怒鳴りつける。
涙が溢れ出てくる。
目の前が見えなくなる。
私達が、見えなくなる。
「ごめん……」
高志は涙を流しながらただ謝る。
高志は悪くないのに。
高志が離れる事を拒絶するわがままな私が一番悪いのに。
それでも私は怒りをそのままぶつける。
「なんで……なんで留学なんてするのよ……! ずっと一緒に居たかったのに……!」
涙で顔がぐしゃぐしゃになる。
体が熱い……
「だから、別れよう。俺達」
瞬間、時が止まったかのように感じた。
混乱する頭でもはっきりと理解できる。
高志には言われたくなかった言葉。
世界一、言われたくなかった言葉。
今高志は、私に別れを告げている。
目の前の視界がぐるぐる回る。景色がぐにゃりと曲がる。
「……やだ……!」
感情で動くなんて、本当に子供みたいだ。
「…………」
悲壮な表情で歪んでいる高志を置いて、私はその場から走り去った。
止まらない涙を必死で隠しながら、私は家に帰った。
下駄を乱暴に脱ぎ捨て、お母さんの言葉を無視して階段に駆け上る。
がしゃんと大きく音を立てながらドアを開け、その勢いのままベッドに飛び込んだ。
嗚咽を漏らし、枕を涙で濡らす。
お母さんに着付けしてもらった浴衣は、ひどく着崩れている。
私の心はズタボロになっていた。
「もうやだ……」
なんでこんな事になったんだろう。
こんな現実が待ってるなら、高志を好きになるんじゃなかった。
出会うんじゃなかった。
――なんで、私達は出会ってしまったんだろう。