第七夜 揺れる影
第七夜 揺れる影
「揺れてる……揺れてる……」
その高校生は、ずっと同じ台詞を繰り返していたという。
目は虚で、誰とも目が合わない。
海斗は、そんな話を聞いた——
学校の昼休み。
「海斗。仕事や」
窓の外は、やけに白く霞んでいた。空は高いが、どこか色が抜けている。海斗は弁当を食べ終え、机に頬杖をついていた。
そこに、小林亮太が声を落とす。
「ちょっと嫌な依頼、入ってきたんやけど」
亮太は海斗達の仕事の広報だ。彼の仕事ぶりは優秀だ。
「普通の仕事とちゃうんやで。大体、嫌な依頼やろ?」
「それもそうや」
亮太は笑いながら、スマホで依頼をチェックする。
「郊外の田んぼ道で、高校生が一人おかしくなったみたいや」
「どうな風に?」
「目が合わん。会話にならん。んでな、ずっと同じこと言ってる」
亮太は真似をする。
「揺れてる、揺れてる……ってな」
「聞いたことない話やな」
海斗の目が細くなる。
「確かに、嫌な予感がすんで……」
「田んぼに何かあるんかな?」
今の時点では、何も分からない。
「場所はどこや?」
亮太が地図アプリを見せる。
「この辺の田んぼやな……」
二人は数秒、無言で画面を見つめた。
「……失踪者が多い地域、ってことしか思いつかん」
「亮太、前に言っとったな」
「関係あらへんと思うけどな」
その時、他のクラスの高梨恵が、顔を見せた。
「海斗ーー。帰ろ」
毎日のように海斗のクラスに顔を出し、帰りは一緒に帰ろうとする。亮太いわく、海斗との仲が結構噂になっているらしい。しかし、海斗は気にしない。
「今日は仕事や」
「え、そうなん? じゃあ、私も手伝うわ」
恵はすっかり海斗の助手気取りだが、意外と気が利くのでありがたい。海斗は立ち上がった。
「とりあえず現場に行くで」
夕方の田んぼ道は、音が遠い。風はあるが、それも薄い。
問題の高校生は、あぜ道に立っていたらしい。
目を見開き、前を向いていた。だが、どこも見ていない。そして「……揺れてる」と繰り返すだけ。
「こんな田んぼに何があるんや」
「さあな」
海斗の呟きに、陸が答える。陸にも特に感じる気配はないようだ。
ふと——澪が、海斗たちから見て前方の田んぼの真ん中に立つ。
「……ん?」
海斗と陸だけが反応し、立ち止まる。亮太たちは気づかずに、そのまま歩き続けていた。
「どうしたんや、澪?」
いつも通り反応なし。ただ、澪が動く時は何かしらのメッセージがある。
今回は——右腕を挙げた。そして、手のひらを向ける。
来るな……それがメッセージ。
「なんや、ヤバいな……」
「あぁ、これは初めてだ」
二人はその場から動けない。いつもと違う状況に足が止まる。
「亮太、恵——止まれ!」
「……え?」
海斗に声を掛けられて、亮太たちは振り向いた。距離はそれほど離れていないのに、手を伸ばしても届かない。説明できないことが多くて、上手く言葉が出てこない。
「くっ……とにかく、戻ってこい!」
「どうしたん? 海斗」
ポカンとした顔をしながらも、二人は海斗の言葉に耳を傾ける。
澪をもう一度見ると、すでに腕は下ろされている。しかし、体の向きを変えていた。
澪の視線の先は、遠くの田んぼの中央に向いていた。
そして、それは——そこで揺れていた。
白く細いものが、そこにあった。風が止んでも、揺れている。決して生き物でもない。でも、動いている。
海斗が視ようとすると、音が消える。吐き気とめまいもする。
(あ、あかん……)
海斗は目線の向きを変えた。
「海斗……視えるか?」
「あぁ、せやけど遠過ぎて分からんわ」
陸が視線を海斗に向けた。まるで揺れているものから、目を逸らすように。
「それでいい」
「なんでや?」
「あれは——」
視線はそのままで、陸は言う。見ようとしない。おそらく澪も、警告をしてくれた。
「くねくね、だ」
「まったく厄介な依頼を持ってきたな……」
陸は、胸の奥が重くなるような感覚を覚えていた。
「それって、有名な都市伝説だよね?」
夜の美作医院、診察室。一人で病院を切り盛りしている美作が、興味津々の様子で尋ねる。
「先生、オカルトには興味がないのでは?」
「都市伝説は好きで、よく動画を見てるよ」
「意外と、センセもミーハーやな」
海斗は明るく笑っているが、陸は今後のことを考えると気分が晴れない。
「センセ、ところで……くねくねってなんや?」
「インターネットが発祥の怪談だよ」
田舎に遊びに来た、幼い兄弟が出会った怪異。兄が田んぼの真ん中で揺れるくねくねを見て、精神的に壊れてしまう。兄はその後、狂ったとか、同じようにくねくねと揺れ続けたとかの結末だったはず。
救いのない話だったのは覚えている。なにより、対処法が分からないのが厄介だ。
「視えてまうと壊れるのか……確かに厄介やな」
海斗にも、危険が伝わったと思いたい。
「陸、どうするんや?」
「分からない。とりあえず、もう一度現場に行ってみよう」
「ふ、二人とも、気をつけてね……」
美作が硬い表情で言った。
翌日の放課後。
今日は海斗と二人で、昨日の場所に立つ。いや、澪もいるが。亮太と恵も来たがったらしいが、海斗が説得してくれたようだ。
「今日は、なるべく深く視るつもりだ」
「ほんまに大丈夫か?」
海斗の心配通り危険はある。だが打つ手がない。当てにしているわけではないが、澪の動きを気にしてしまう。そんな自分の思考が嫌で、昨日よりも更に気分は重い。
思考の海に沈んでいると、ふいに後ろから声が掛かった。
「よう、久しぶりだな」
軽い口調と見た目。だが、不思議な圧がある男が後ろに立っていた。
八十藏——
陸の知る限り、一番危険な男だ。そして、いつも唐突に現れる。空気のように足音は無かった。
「八十藏、なんでここにおるんや!」
「んー、散歩?」
適当な返事で八十藏は、はぐらかす。
「また、それか。お前のことやから、何か企んでるんやろ」
「まぁまぁ、落ち着けよ……追ってたんだよ、あれを」
「あれ、だと」
八十藏は田んぼに視線を向ける。
「やっぱり出たか」
声が落ちる。ふざけた雰囲気が削られた。
「あれは、ただの怪異じゃないぞ」
「ほな、何や」
「歪みだよ」
八十藏は笑う。癪だが、彼が知っている情報を引き出したい。
「どういうことだ?」
「霊、とも言えなくはない」
八十藏は視線を海斗に向ける。
「また別物だな」
「誰のや」
「人の、だよ」
それ以上は言わない。
「今回の歪みは浅いけどな。まだ可愛い方だ」
「祓えないのか?」
「散るだけだ。別の場所で出る」
「じゃあ——」
どうすればいい、と口にする寸前で止めた。八十藏と話していても要領を得ない。だが、簡単に正解を求めようとするのは違う。顔と耳が熱くなった。
「整えるんだ」
八十藏は田んぼの端を指す。
「ここに何かあるはずだ」
陸は記憶を辿るが、特に何も思い出せない。
「俺が知る限りでは、何もない」
「お前の知っていることが、全てじゃないぜ……陸」
反論したかったが、先が気になるので止めた。八十藏は続ける。
「弔われなかったもの。記録されなかったもの。処理されたもの。そういうのが溜まると、世界が歪んでくる」
「忘れられたものたち……か」
「そう。見られなかった死の塊だ」
八十藏が口にした言葉が、妙に引っかかる。この土地の曰くを調べる必要があるかもしれない。
「せやけど、なんでここなんや?」
海斗の問いに八十藏は笑う。いつもの、ふざけた笑みではない。
「それは、お前たちが調べることだ」
そう答えると背を向けた。
「この世は深い、お前たちの視えている世界が全てじゃない」
彼の表情は見えない。感情が掴めない。
「全てスッキリと解決、とはいかないさ」
教師のように優しく諭す口調だった。
「俺はもう行く。あとは任せたぞ」
「ちょ、待てや!」
海斗は声を上げるが、八十藏は最後まで振り向かない。そのまま歩き去っていく。やはり足音はしなかった。
「……なんやねん、あいつ」
海斗は舌打ちをした。陸は、ただ見送るだけだった。
「相変らず、わけが分からん」
陸は八十藏の言葉を整理する。
歪み、人の死、弔われなかったもの。記憶されなかったもの……
そして、整えるという意味——そうか。
「海斗……供養塔を立てるぞ」
「は? なんでや」
「八十藏の言葉通りだ。ここには、弔われなかったものがある」
陸はあたりを見回す。だが、やはり何も感じるものはない。今日は、澪も海斗の後ろから動かない。
それでも——
「この辺りのどこかに、何かが埋められているはずだ」
「マジか……」
海斗は顔をしかめた。とまどいは理解できる。だが、今できることは、それ以外に思いつかなかった。
「掘るんか?」
「いや、掘り返すのでなく、弔いの形を整える」
僅かな思考のあと、陸は口を開く。
「石を立てよう」
「石?」
「供養の墓石だ。ここにある忘れられた何か。それを弔う」
石を立てる。派手な祓いはない。名もなき者へ向ける手向け。
海斗も浮かない顔をしているが、頷いた。納得していないのは陸も同じだったが、その言葉は飲み込んだ。
「分かったで。やってみるしかあらへんな」
翌日——再び、陸と海斗はこの地域まで足を運んだ。
昨日と違い、陸は視界の端にくねくねを捉えていた。まともに見たりはしない。だが、意識はそちらに向いている。
二人は、小さな石を持っている。何も書いてない、ただの丸い石。
「こんなんで、ええのか?」
「あぁ、形よりも心だ」
陸は田んぼの脇、目立たない所に石を組み上げた。
そして、忘れられた魂を弔う。そのためだけに陸は祈った。
「ここに眠る、名もなき者たちよ」
陸は静かに呟く。風が髪を揺らした。
「俺は、お前たちを忘れない」
風が止んだ。世界が静かになる。
そして、陸は目を開いた。
その瞬間——揺れが止まる。
やがて、白く細いものが静かに消えていく。
静かに……静かに、陸の意識からも消えていった。
まるで、安らぐように——
「マジか……消えたで」
海斗が目を見開いて言った。
「あぁ、これでいい」
海斗は緩んだ表情をみせる。陸も少しは心が緩んだ。しかし、陸の胸の奥には、まだ何か引っかかっている。
「この土地、失踪者が多いらしいな」
「それ、亮太も言うとったで」
「……偶然だといいが」
この土地に何が眠っているのかは分からない。だが、いずれ暴かれる時が来るだろう。そんな予感がする。
その時、澪の気配が震えた。
「お前ら、面白いやり方で整えたな」
「また、お前か。八十藏……」
今日も、気づかずに接近を許してしまった。
(暗殺者か、お前は……)
「お前は結局、何がしたいんや?」
「見届けにきただけだ」
八十藏は涼しい顔で言った。
「お前たちは、この世界について知らないことが多すぎる」
「……否定はできないな」
海斗が舌打ちする。陸は眉を顰めるが、素直に認めた。
「だが、いずれ全てを知る時がくる。お前たちには、その資格があると思っている」
「資格って、何様やねん」
「ははっ。海斗、陸、その時まで——」
八十藏は真剣な目で、こちらを見つめた。
「折れるなよ」
それだけ言うと、澪にウインクをして、八十藏は去っていった。会うたびに謎が増えていく、厄介な男。
だが、結果として今回も助けられた。それは海斗も理解しているだろう。だからといって、信頼はできないが。
「今回は俺、何もできんかったわ」
「それは俺も同じだ」
まだまだ、あの男には届かない。だが、近づいてはいると陸は感じている。
歪みは消えない。移るだけだ。
それでも——弔うことに意味はある。
「この世界は……奥が深いで」
「そうだな。俺たちは、その深みを覗きに行こう」
数日後。
放課後の帰り道。陸は一人で歩いていた。
夕方の斜光が、街を照らしている。人通りは多い。
ふと陸は立ち止まり、自分の影を見た。
その縁が、わずかに——揺れた気がする。
だが、瞬きをした瞬間には消えていた。
陸は空を見上げた。白く霞んだ空。
きっと、今も世界のどこかで、揺れる影が現れている。




