第五夜 祓うことの意味
第五夜 祓うことの意味
朝の神社は、静かだった。
境内に差し込む光は柔らかく、数日前の夜の濃さが嘘のようだ。
陸は少し離れた位置から、海斗の背中を見ている。先日の事件で海斗の可能性を確信した。この場所は少し嫌な思い出があるが、海斗を鍛えるのにちょうどよい広さと静寂がある。
海斗は拳を握り、突き出すと——空気が揺れた。
「……見えたか」
海斗が振り返らずに言う。
「見えた。だが、安定していない」
海斗の拳を覆っていた黒い影は、すぐに霧散した……
海斗自身は気づいていなかったが、あの時彼の拳は異質なものを纏っていた。
(澪が、海斗の霊力を引き出してくれたのではないか……)
陸は、その可能性に賭けることにした。しかし指導者がいるわけではないので、二人で試行錯誤している状態だ。
「澪がいないと、続かへんな……」
海斗の背後に澪が近づく。その瞬間、海斗の拳は再び力を帯び、影は消えずに留まった。
「……やっぱ、そうか」
陸は確信する。澪は制御装置であり増幅装置だ。海斗の力は一人では扱えない。しかし、その力が強大過ぎるのか、単純に海斗の力量が足りていないのかは分からないが。
「無理に出力をあげるな。今は出せるだけでいい」
「へいへい……」
その会話を切るように、携帯のアラームが時間切れを告げた。
昼の教室。小林亮太が、ノートパソコンを抱えて走ってきた。
「なぁ、海斗。ついに『RKR調査事務所』の初仕事やで!」
「なんやその、けったいな事務所?」
「もう忘れたんか! 俺を仲間に入れてくれる話を!」
「いや、忘れてへんけど……まさか」
おそらく陸、海斗、亮太でRKRなのだろうと、海斗は予想する。もう依頼をとってくるとは仕事が早いと感心した。
「そう、亮太、海斗、陸でRKRや!」
「お前が先頭なんかい!」
海斗は思わずツッコミを入れてしまった。亮太はパソコンを開きながら、ニヤニヤと笑っている。情報収集が得意な亮太らしい。
「ま、まぁええわ……ほんで?」
「あぁ、ちょっと変な話なんやけど——」
亮太は、少し声を落として話す。どうやら依頼者は、亮太の昔からの知り合いらしい。
依頼者は同じ学年で他クラスの女の子。可愛らしい見た目で、男子に人気がある子。しかし、最近、周りの男が次々おかしくなる。ストーカーや暴力。そして、意味が分からないのが——
「朝、目覚めると部屋がぐちゃぐちゃになってるらしい」
海斗は眉をひそめた。
「……確かに、それは変やな……」
「せやろ? これは霊現象やとピンときたんや」
「その子に会えるんか?」
「もちろんやで。いつでも繋ぐわ」
一度本人に会ってみた方が早い。海斗はそう思い、早速今日の放課後に会えるように取り次いでもらった。
「そんで、どんな子なんや?」
「とにかくモテる! めっちゃ美人とかではないけど、愛嬌のあるタイプやな」
「彼氏とかおるんか?」
「常におる。過去半年で三人は確認済みや」
海斗は驚く。亮太の情報収集能力は本物だ。しかし話を聞く限りだと、かなり遊んでそうな印象を受ける。
「せやけど……亮太リサーチでは、男関係で苦労しているって噂やな」
「……本人は何て言ってるんや?」
「男を見る目がないだけ、って笑ってた」
それが一番、嫌な予感だった。海斗は彼女に会うのが、少し面倒になった。
高梨恵は、距離が近い女だった。
亮太の紹介で、海斗たちの教室で初対面を果たすことになったが、恵に対する印象はあまり良くない。
「へぇー、ほんまに同い年で霊媒師してるんや」
「だから言ったやん」なぜか亮太が誇らしげに言う。
恵は、いきなり海斗の隣に座った。肩が触れる距離。海斗は思わず引く。初対面だというのに、平気で普通より半歩踏み込んでくる。
「すごいやん! 私も視えるようになりたいわ」
恵は笑いながら、海斗の腕に触れる。甘え方が自然で、悪意がない。
(……苦手なタイプや)
海斗は内心で呟いた。
そして、その背後——
うっすらと影を背負っている。海斗にはよく見えないが、何かに憑かれているのは間違いなさそうだ。
「お前、誰かに恨まれてへんか?」
「うーん、どうやろ? 元カレは、まだ会いたいって言ってくるけど」
「恋愛関係か……お前の周りで誰か死んだりしてへんか?」
「えっ、おらへんよ」
恵があまりにもあっけらかんとしているので、海斗は戸惑う。彼女が困っているようには見えない。なんだか肩透かしを食らった気分だ。
「お前……ホンマに悩んでるんか?」思わず言ってしまった。
「もちろんやで! 毎朝、部屋片付けんの大変なんやから」
「そら、そうやろうけど……」
「それに、いつも見られてる感じするんよ……それが、怖い」
そう言いながら恵が海斗の腕に、自分の腕を巻き付けてくる。無意識での行為だろうが、海斗は更に引いてしまった。
自然なボディタッチを喜ぶ男は沢山いる。可愛い子相手ならなおさらだ。こういうところが、恵のモテる原因だろうと思った。
だが、その時——
恵の背後で影が脈打った。
海斗の視界が揺れる。さっきまで薄かった影も、濃く、黒く、広がっていく。
空気が重い——
そして、それははっきりと人の形をしていた——
海斗は恵を美作病院まで連れてきた。彼女を陸に会わせるには、治療中のこの場所が都合がいい。周りに影響が出ることを避けるため、亮太は連れてきていない。こういう案件は陸の方が上手く対処してくれるだろうと思った。
海斗は到着すると、勝手に診察室に入っていく。
「おっす! センセ。陸の怪我どうや?」
「大丈夫だよ。最初は、海斗ではなくて陸だったから驚いたけど」
「どういう意味やねん」
海斗にとって、慣れ親しんだ病院と先生。まったく遠慮はない。
「この部屋使いたんでしょ? 僕は事務所の方にいるから、ご自由に」
「ありがとうございます、先生。しばらくお借りします」
陸は丁寧にお礼を言った。
先生が出ていくと、三人で向かい合って座る。年上のイケメンを目の前にして、恵は少し緊張しているようだ。チラチラと陸を観察している。微妙な雰囲気の中、最初に口を開いたのは陸だった。
「海斗……彼女は?」
「亮太経由で回ってきた依頼者や」
「そうか——君、憑かれているな」
「えっ!」
陸は即座に判断したようだった。
「……多いな。しかも、全部彼女に対する執着だ」
「え? なにそれ」
恵は笑う。本当に、何も知らない顔で。
「——生霊や」
「え……生霊?」
「男の、な。何体も憑いとる」
「ええーー」
恵の肩、腰、背中にべったりと憑いているのは、男の生霊だった。海斗は影が人の形を成したときに気が付いた。陸は恵を視たとき、すぐ分かったようだ。
「ええか、よく聞けよ。生霊を祓うのは簡単や」
「ほんま?」
「けど——」
海斗は恵を見据える。
「根本的な解決をせんと、また憑かれるで」
海斗は思い出す。教室で対面したとき、一度祓ってみた。しかし、すぐに元通りになった。
「本人は無意識で生霊を飛ばしている。だから意識を変えるしかない」
「そんなこと言われたかて、私はどうすればいいん?」
「まずは君の意識を変えろ。そして男たちの執着を絶て」陸が断言した。
想像ではあるが、彼女の恋愛体質、男への依存、そういうものが男たちをとらえて離さないのではないか。考えてみると、生霊を飛ばしている男たちの方も、ある意味被害者だ。お互いの為に、今の状態は変えるべきだ。
「……私は依存してるんと違う……好きな人と一緒にいたい。一人になりたくないだけやもん」
「それが依存だと言っている」
陸は容赦がない。
「なぁ、俺の想像やけど……す、好きとか愛してるとか、男に言ってるんやないか?」
「……え? 確かに私、よく好きって言ってるかも……」
「そんなセリフ、お前に言われたら、大体の男は好きになるで」
「そうなんかな……海斗もそうなる?」
「……お前な、そういうとこやで!」
恵は心底理解していないようで、首をかしげている。悪意はないのだろうが、余計にたちが悪い。
その瞬間、室内の空気が変わった。
診療室の照明が激しく明滅する。耳の奥が詰まったような感覚がした。海斗は思わず耳を押さえた。
恵を見ると肩をすくめている。彼女もこの空気の変化を感じているようだった。
「海斗、来てるぞ」
「あぁ、そやな……」
陸の声が低い。
「え……なに、何なん?」
恵の声が上ずる。
海斗は、自分の声が少し遅れて聞こえた気がした。視線を上げて陸を見る。
「話をさせたくない……のか?」
「だから、さっきから何やの?」
全く動じない陸と、焦りまくっている恵の温度差が激しい。照明もますます激しく明滅し始めた。
恵が更に口を開こうとしたその時——
「っ……!」
喉を押さえて、後ずさった。声が出ていない。
恵に、はっきりと黒い手が絡みついている。しかし、海斗は手を出さない。その影が、背後から肩へと滑るように蠢いている。
「……やだ……」囁くような声が、恵から少しだけ漏れた。
ようやく影が形を持ち始める。その影は、人の形を思い出すように、ゆっくりと輪郭を整えた。そして、まるで庇うかのように、恵の前に立つように現れる。同時に海斗の方へ、じっとりとした視線が向けられた。
「……彼女を、護っているつもりだな」
陸が静かに言う。
「だが、これは彼女を護っているんじゃない——縛っているだけだ」
「な、なに……これ……」
ようやく恵の声は形になってきたが、全身震えている。そして背中を引かれる。足がもつれ、倒れそうになる。
「やだ……! 離して!」
影がさらに濃くなる。重なり合い、絡みつく。
海斗は一歩踏み出しかけて——止まった。
「陸……今、祓っても意味あらへんよな?」
「そうだな」
「な、なんで!? 早く取ってや! こんなん無理やって……」
海斗は、それでも拳を握らない。ただ恵をまっすぐに見た。
「なぁ……」
声は低く落ち着いている。
「誰かに好きって言われへんと、立ってられへんのは——」
海斗は恵を見つめて告げる。
「恋やなくて——依存や」
「……っ!」
恵の目が揺れる。海斗は恵から目を逸らさず、まっすぐに見つめる。
「好きって言葉、軽く使いすぎや」
怒ってない、責めてもいない。ただ思ったことを事実として置く。海斗のまっすぐな視線を受け、恵は目を逸らしてしまった。
「私、悪くないやん……ただ、一人が嫌なだけや……」
影がざわりと動いた。そして、再び庇うように恵の前に立つ。
「だからや。その想いが——縛ってるんや!」
恵の呼吸が乱れる。
陸が一歩前に出た。
「終わりにするぞ」
「そうやな……おまえらを救ったる」
海斗がようやく拳を握る。ただ、海斗の顔は曇っている。
(こいつら、悪意はないんや……)
一体ずつ、静かに祓う。影は抵抗しなかった。恵の方を見ていた。
二体目、三体目。海斗の拳が重い。
最後の一体を海斗が捉えた時、陸が言葉を放つ。
「このままだと……また生まれるぞ」
海斗は、何も言わず——拳を叩き込んだ。
空気がふっと軽くなる。
「夜に還りな——」
そして静寂が訪れる——
恵はその場に座り込んだ。いつもの笑顔はなく、疲れ切っている顔をしている。しかし、泣いてはいない。
「私……ダメやね……」
声が震えている。初めてまともに自分と向き合ってくれているようだ。
しばらくの沈黙。海斗も一緒に黙る。そして——また口を開いた。
「……ねぇ……私、変われるかな?」
「知らん」
海斗は無情にも即答した。
「けど、変わる気がないなら、俺はもう関わらへん」
海斗は突き放すような言い方をする。しかし、言葉の裏で見放さないと言っている。冷たくて優しい。
恵はしばらく黙って——顔を上げた。
「……初めて」
視線が海斗に向く。
「私のこと、ちゃんと見てくれるん……だよね?」
海斗は答えを与えなかった。その代わりに恵から視線を外さない。
「……ありがと。私……少し、頑張ってみる」
「そうか」
「うん……だから——」
「……なんや?」
海斗は恵からの言葉を待つ。
「ううん! やっぱええわ」
恵が何を思い、何を考えているかは分からない。しかし、考えるきっかけにはなったはずだ。人の想いは様々な形をしている。海斗は彼女がどのように変わるのかを、見届けようと思った。
病院を出ると、もう辺りは薄暗い。陸は、海斗に恵を送るように頼む。
「あぁ、かまへんで」
「いいの? ありがとー」
二人が並んで歩いていく。海斗が恵に、少し怒りながら何か言っている。どうやら恵が海斗にちょっかいをかけているようだ。
陸は外に出た瞬間に、澪の気配に気づいた。おそらく、海斗も気づいているだろう。
しかし……なんだか、いつもより重い。そして澪の気配が前に出た。
海斗の左腕にぴったりと寄り添っている。海斗の歩くスピードに合わせて、澪も同じように進む。海斗は何故か、恵の方ばかりを見ている。左側——澪のいる方を見ない。
陸は小さく笑った。海斗と澪の姿はまるで——
「……やきもち、か」
澪は何も答えない。ただ、離れない。
二人はずっと話しながら歩いている。恵は海斗とのおしゃべりに夢中なようだ。
祓いは終わった。だが夜は、きっとまだ——彼女を見ている。しかし彼女が変わろうとすれば、縛るものは何もない。本当の自由と強さを手に入れることができる。
陸は、ぽつりと言った。
「……これが、祓うことの意味だ」




