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名もなき怪異の夜  作者: 早谷 蒼葉


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第四夜 眠りの大地 後編

第四夜 眠りの大地 後編


 神社の周りは、思ったより暗かった。木々が夜を抱え込んでいる。空は黒くない。星も見える。なのに地面だけが濃い。影の密度が違う。


「……遅い」


 海斗は石段に腰を下ろし、靴裏の土を軽く払った。

 

 待つのが苦手だ。考えるのも苦手だ。じっとしていると余計なことを考えてしまう。


 頭を振り注意を他へと移す。背後の気配——澪は、じっとしている。


 海斗は振り返らずに言った。


「お前、ここ嫌いやろ」


 返事はない。だが、空気がわずかに重くなった気がする。


「……やっぱ嫌か」


 神様の鎮座する場所だけに、人外である澪が苦手なのは当然だ。それでも海斗に憑いてくる。変なヤツだ。


 ここで待っているのにも飽きてきた。電波の届いていない携帯を確認する意味もない。


「とりあえず、入るか……」と海斗は動き出そうとした。


——その瞬間だった。


 山の奥から、濃い気配が寄ってきた。呼吸が一段浅くなる。耳の奥が詰まる。そして——叫び声。


「……ッ!」


 海斗は立ち上がった。考える前に足が動く。木々の間へ踏み込むと、夜が急に濃くなる。人がいないのに、気配だけが多い。視線が絡みつき、肌を舐めるように撫でてくる。


「気持ち悪ぃ……」海斗は呟いた。


 叫び声が近い。木の根に躓きかけながら走ると……女がいた。


 年は海斗より少し年上のように見える。だが顔色がない。息が荒い。目だけが泳いでいる。


「動くな!」


 海斗は迷わず近づき、拳を握った。女の肩にまとわりついている黒い膜に拳を叩き込む。


 一発で影は剥がれる。


 女の体から力が抜け、膝が落ちる。


「……う、あ……」

「大丈夫や。息しろ」


 海斗は辺りを見渡す。女は一人のようだ。


「何で、こんなとこに一人でおるんや?」

「……お、置いて……いかれた」

「マジか……」


 ひとまず女の様子をみる。少し汚れているが、特に怪我はしていないようだ。このままでは仕事の邪魔だ。せめて歩けることを願う。


「歩けるか? 神社まで連れてったるわ」

「もう……一人」

「……は?」

「もう一人……いる」

「なんやて」


 突然——澪が動いた。ずっと背後にいたはずなのに、海斗の前に滑るように移動する。海斗の視線が自然と澪を追いかける。すると、追いかけた視線の方向から、黒く闇が、鞭のようにしなって飛んできた。


 海斗は無理やり体を捻り、それを間一髪避けた。顔の横ギリギリを闇は通過する。寒気がする速さだった。


「何や! 今のは」


 海斗が言葉を吐いた、その瞬間。背後に澪ではない気配を感じた。そう感じた瞬間に体が素早く反応する——


 しゃがんだ海斗の上を、再び闇が通過した。さっき、澪がいた方向の森に闇が戻っていく。森が静寂に包まれ、静けさの奥から人影が現れた。その姿をみて、女が声を上げた。


「ま、真由美……」

「なんや、知り合いかいな?」

「置いていかれた……もう一人」

「探す手間が省けたな」


 もう一人の女の気配が跳ねた。森の闇から出てきた女の顔は異様だった。表情がない。そして、目の奥が空洞だ。憑き方の深度が深い。


「みゆきー、ここにいたのーーかえろーー」

「ひっ!」


 女——みゆきは腰が抜けて動けないようだ。真由美と呼ばれた女は、ゆっくり近づく。


「おい。みゆき……は、もう家に帰るとこやで」


 真由美は歩みを止めたが、顔だけ海斗へ向ける。


「おまえは——どうする?」


 理解しているのかは分からない。反応がない。だが、返事の代わりに歯をむき出して、海斗へ突っ込んでくる。


「チッ! それが答えかいな」


 憑いているモノを殴る。だが重い。拳が入らない。それでも構わず叩き込む。真由美の身体から、黒いものが剥がれきらない。闇が粘る、絡む、噛みつく。


「うっざ……!」

 

 今度は力を溜めて——もう一発。海斗は渾身の力を込めた。


 空気が裂ける音。それでも——残る。


「なんやと! 俺の本気を……」


 海斗は少し焦る。本気の一撃でも剥がせない。その事実が信じられない。


「なら、何回でも……」

「ちゃんと腰を入れろ」


 覚悟を決めた海斗に、唐突に後ろから声がかかる。


「陸!」

「いつも言ってるだろ。腕の力だけでなく、腰を使え。脇をしめろ、そして力むな」

「……あぁ、思い出したで!」

「信じろ——お前は強い」


 海斗は腰を溜める、脇をしめて全身を脱力する。そして、腰を起点にして全身を使い——ぶん殴る。


「なっ——!」海斗は思わず声が出た。


 拳に抵抗を感じることなく、憑き物が霧散し、真由美は地面に倒れる。海斗は驚いた。


 自分の拳を見つめる。しかし何も変わらない。


「俺……強いかも」

「知っている。そして、それも——」

「それも?」

「いつも言っている」


 陸の言葉に気持ちが救われた。海斗は少し微笑んだ。


「それにしても、いっつもオイシイところで来るやん」

「別に美味しくはない」


 やはり陸の隣は居心地が良いと海斗は再確認する。張り詰めていた気持ちがほぐれる。そして心強くもある。


「海斗、油断するな。次が来るぞ」

「なんやて!」


 警戒を促す陸の声。それに反応した時、辺り一面から影が立った。


 海斗は素早く真由美をみゆきの隣へ運ぶ。そして、二人を護るように立つ。


「やりにくいわ」

「だが——仕方ない」

 

 次の瞬間、二人は同時に動いた。なるべく女たちから離れないように。


 海斗の拳が影を貫き、霧散する。また殴り、また消える。一方、陸は手をかざし、影を闇に送り返す。静かに、確実に。


 二人は無言で動く。海斗が前、陸が後ろ。影が消えていく。


「……何や、その祓い方は」

「ついさっき、できる様になった……」


 海斗は笑った。余裕はない。だが陸らしい、と思った。


 海斗が踏み込む。陸は引いて構える。息があっている。


(いける!)と海斗は感じた。


 二人なら何でもできるという自信がある。これまで、ずっとそうだった。きっとこれからも。


——しかし。


 海斗は気付いた。影はそれぞれ消しているが、全体の総数はほぼ変わっていない。どんどん新しい影が出てきているようだ。これでは終わりがない。


「……くそっ、キリがあらへんで」

「落ち着け、海斗!」

「わかっとる! けど、これじゃ……」


 海斗の考えがまとまる前に、また森の中から闇の鞭が、うなりを上げ飛んできた。標的は——陸だ。


「陸!」

「——ぐっ」


 それは陸の肩に命中した。陸は肩を押さえながら、膝を落とす。助けようとした海斗にも、次の闇が飛来する。何とか避けたが、うかつに動けなくなった。


「クソが……」


 陸も女たちも動けない。影は増える一方。海斗の思考はまとまらない。焦りの気持ちがおおきくなる。


「陸、大丈夫か?」

「……平気だ……俺は彼女たちを護る、下がるぞ」


 陸の右腕は垂れ下がり、血がつたっている。平気とは言っているが、ダメージは大きそうだ。だからこそ、後ろに下がったのだろう。


「海斗……強い気配が、来る」

「何?」

「前から……重なった気配」

「——まかせな」

「頼む。重なっているが、中心を——祓え」


 海斗はその言葉を聞いて即行動する。森の中を目指し突進する。邪魔するものは排除しながら。


 いた——


 他の影の三倍ほどの大きさ。気配も濃い。腕の部分が影の鞭になっている。こいつだ。


「テメェか!」


 海斗は走ってきた勢いのまま、拳を振るう。


 一撃が深く入る。だが、まただ。影はよろめいたように見えたが、消えない。


「あかんか! なら——」


 言葉の途中——突然背後に澪の気配を感じた。これまでの距離感とは違う。すぐ後ろ、背中だ。首に巻きつく澪の腕が視える。


「な、なんや——」


 海斗は混乱した。攻撃、邪魔、暴走。一瞬の間にさまざまな思考が過ぎていく。ただ、恐怖は感じなかった。


 刹那の戸惑いの中、澪の腕が上がり、海斗の目を覆った。まるで子供の目隠しのように。


 言葉にならない意思を感じる。信じてと——


「わかったわ……好きにせぇ」

 

 海斗は静かに目を閉じた。そして——


「これは!」


 海斗が今、見ている世界……それは、暗闇ではなかった。


 森や木が透けて視える。代わりに影はハッキリと視える。輪郭が、色が、動きが。


 実体は消え、霊だけが視える世界。生者が消え、死者が視える——これは澪の世界だと直感が告げた。


 そして、重なり合った影の中心が視えた。核——弱点が。


「澪——おまえの目、借りるで!」


 海斗は前に出る。影の鞭が飛んでくるが、視えている。最小限の動きで難なくかわす。体は常に脱力している。無駄のない動きで、影を射程距離に捉えると……


——インパクトの間際、刹那の瞬間だけ最大の力を込めた。


 凄まじい衝撃を受け、影が一瞬で消える。中心を撃ち抜かれた影は、爆発したかのように飛び散り消滅した。何の余韻もなく。

 

「夜に還りな——」


 重なる影は完全に消えたが、まだ周りは敵だらけだ。すぐに意識を切り替えようとする。


「……ん、なんや、力が……」


 海斗の視線が揺れた。急激に力が抜けていく。


 膝が笑い、力が入らない。汗が吹き出し、心臓の音がうるさい。耐えきれず、片膝をついた。


 そして、澪の気配がそっと離れるのを感じた。そのせいか、不安な気持ちに襲われる。


「やべぇ……陸」


 無数の影が、海斗にも陸たちにも迫るのが視えた。だが力が入らない。汗が冷たいものに変わる。


「くそっ、まだや……」

 

 海斗は立ちあがろうとする。だが——動かない。体が自由にならない。


 その時、視界の外から声がした——


「あらまぁ、ピンチじゃん」


 この場にそぐわない呑気な声だった。


「や、八十藏やそくら

「おう、また会ったな」


 八十藏は昨日と同じ格好で、悠然と立っていた。


「また……散歩かいな……」

「正解! 本当に奇遇だな」

「ふざけやがって……危険や、消えろ」

「危険……これが?」


 そう言いながら、海斗に近づいてくる。


 バカにしたように話す八十藏に、心底腹が立つ。こいつの余裕な態度がいけすかない。


 ふいに八十藏の近くにいた影が、襲いかかった。だが、腕を少し動かしただけで、簡単に消された。速すぎて海斗には見えなかった。


「な? こんなのは平和な散歩と変わらねぇんだよ」


 言葉に圧が乗っている。静かな迫力を感じ、海斗は口を開けない。


 八十藏は本当に散歩のように歩を進める。そして凄い勢いで影を消す。陸たちも無事だ。強さを認めざるを得ない。


「何者や……お前は」


 海斗が吐いた言葉は、山に吸われた。


 海斗は八十藏の動きを目で追っていた。無駄のない動き、ブレないバランス。そのどれも今の自分には届かないと感じた。もし、こいつが敵なら、と考えてしまう。今の時点でこの男を止める力はない。


 八十藏は止まらない。ヘラヘラ笑いながら自分のステージを歩む。この男のためのステージを、海斗は……見ているしかなかった。


 だが——まだ心は折れていない。


「俺はまだ、負けてへんぞ」

「ははっ、そうか」

「俺は、誰にも負けたらアカンのや!」


 八十藏は歪んだ笑いを引っ込めた。


「それが理由か……その程度、なら——」


 嫌な想像を止められない海斗に、八十藏はとどめを刺すように言う。表情は無い。笑みが消えた。


「お前たちに、この山の真実をみせてやるよ」


 突如、地面が脈打つ。土の下から、黒いものが押し上がってくる。


 間欠泉のように噴き出す。液体ではない。煙でもない。闇そのものが噴き上がる。

 

 視界が歪む。森が揺れる。空気が肺に入ってこない。


「なんや……これ……」

 

 海斗は息を呑む。


「おまえたちは、まだまだ弱い……俺にも勝てねえよ」


 声に何かが混じっている。怒りか、失望か、それとも——ただ、闇だけが覗いている。海斗は拳を握る。


「そんなこと……やってみんとわからん」

「いや……二人がかりでも無理だ」いつの間にか傍に来ていた陸が言った。


 周りの輪郭が歪む。夜が一段と深くなり、足元の感覚も曖昧になる。地面に沈んでいくような感覚すらある。


「八十藏……この土地、禁足地とは何だ?」

「ここは留まる場所だ。人が置いていったもののな」

「そうか、だからこんなに多くの気配を……」


 なんとなく陸の言いたいことが分かった。個ではない。倒してどうこうなるものではない。この山そのものが、溜め込んでいた。


 吹きあがる気配は止まらない。むしろ、場を満たすように広がっていく。


「この禁足地を祓うには、どうしたらいいんや?」


 海斗の問いに、八十藏は嘲るように口角を上げた。


「この禁足地を祓う? それは無理だ」

「なっ……」

「ならば、鎮めることは、できるのだろう?」

 

 陸の問いに、八十藏は答えない。答えないことで、答えより重いものを残す。


 黒い噴き上がりが、さらに高くなる。木々の影が濃くなり、夜が落ちてくる。状況はますます悪くなる。圧倒的な気配で息苦しい、体も動かない。


 それでも——海斗は笑った。諦めでも、やけくそでもない。そして絶望でもない笑み。


「なぜ、笑っているんだ?」八十藏が問う。

「俺は負けへん……お前がどれほどのもんでも——俺の心は折れてへんからや!」


 八十藏が目を見張った。どんな感情があるのかは分からない。そして、歪んだ闇を背景に邪悪な笑みを浮かべた。その瞬間八十藏から発せられる圧が跳ね上がる。海斗は今、指一本動かせない。


「諦めない目か……嫌いじゃない」


 八十藏は小さく笑った。


「今回は助けてやるよ」

 

 そう言いながら、八十藏は手を伸ばした。手が何かを掴むわけではない。空気の重さの流れを、力づくで曲げる。

 

 噴き上がりが、一瞬だけ鈍る。完全には止まらない。だが、空気が少しずつ浄化されていくように柔らかくなる。息もできるようになってきた。八十藏はまだ手を伸ばしたままだ。


 海斗は睨む。


「……なんで助けるんや?」

「死なれたら、面白くないからな」

 

 言い方が冷たい。だが、その冷たさが逆に現実的だった。

 

「もう少し強くなったら、遊んでやるよ」

「……お前は、俺らの敵なんか?」

「どっちでもないさ、今はな」

 

 海斗が唇を噛む。殴りたい。だが殴れない。今は、目の前の夜を抜けることが先だ。ずいぶんと闇が晴れてきている。あれだけの闇を、こんな短時間で鎮めるこの男の底は計り知れない。 


「……動けるか、海斗」

「なんとか……」


 海斗と陸はそれぞれ、倒れた女たちを分担して支える。澪が音もなくついてくる。


 八十藏は山を見たまま、ぽつりと言った。


「……いいものを、背負ってるな」


 それは最初と同じような言葉なのに、意味が違って聞こえた。聞きたいことは山ほどある。しかし、今ではないと思った。


 


 神社に戻るまで、陸は痛む肩を庇いながら女性を支えて歩いた。海斗ももう一人の女性を支え、ふらつきながらも歩いてくれた。なんとか山を抜け神社まで戻ると、空気が濃くなる。同じ夜のはずなのに、肺が空気を吸える。

 

 耳が聞こえる。世界が戻ってくる。ようやく生きているという実感が湧いてきた。


 女性たちは、まだまともに動けなかった。だが、呼吸は落ち着き、目はちゃんと人間の色をしている。今は肉体と精神が消耗しているだけだろう。


 陸は山の方を見る。まだ噴き上がりは止まっていない。ただ、山の奥へ押し戻された。眠っているだけだ。


 禁足地——そう呼ばれる理由を、陸は理解していた。八十藏ですら、鎮めることしか出来ない。この世の理に足を踏み入れた。そして救われた。それは事実だった。


「俺たちは……弱いな」

「……そうやな。世界は広いわ」

 

 陸は思う。海斗の心は折れていない。それが海斗の強さの根源だと。


「せやけど、陸と一緒なら、俺はもっと上にいけるで」

「あぁ、そうだな」

「俺は、もっと強うなる。そんで——もう誰にも負けん」


 今回の件で得たものは大きい。海斗と澪の可能性、そして陸自身も大きく変化した。なにより、今回生きて帰れた。何一つとして失っていない。


 一つ気になるのは八十藏の存在だ。今回は助けられたが、敵にも見える。言葉も態度も危うい。しかし今夜、彼がいなければ、確実に終わっていた。


 だが陸はそれを口にしなかった。言葉にすると形が変わる。今はまだ何も分からない。

 

 夜風が吹く。木々がざわめく。山の奥で、黒いものがもう一度だけ脈打った。


 陸は小さく息を吐いた。


「海斗……前だけ見ていろ。立ち止まるなよ」

「そのつもりや」

「俺は……お前を護る」


 澪の気配が、海斗の背後でわずかに揺れた。


 眠りの大地は眠らない。ただそこに悠然と存在し、自らの役割を果たしている。


 それなら——俺も自分の役割を果たすまでだ。



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