95話 帰る場所
翌朝――
セレネア王国の家々が、霧の衣を纏い始める。
「お母さま、くれぐれもお体をお大事にしてください」
「ええ。ありがとう」
「それから、これ……」
「結界石と、通信機です。
情勢が、かなり不穏で……。
この結界石を、家の中心に置けば色々な災いから守ってくれます。
実は、ストス様が私が作ったものを改良してくださり、出来た物なんです。
それから、通信機は耳につけてもらえれば、私たちといつでも連絡が取れます」
「まぁ……ストス様が……こんな素敵な物を……。
ありがとう、使わせてもらうわ。
これは、ハルマ様達にお渡しして」
エレニは、大きな包みを渡された。
「これは……?」
「この、セレネア王国で作られた布に私が刺繍を施した、ベッドカバーよ。
ここまで、立派に育ててくださった方たちに、何もまだお礼できてなくて……」
「きっと、喜んでくれると思います」
「お二人に、よろしく伝えてね」
「はい」
レダに見送られ、転移魔法の光がふっと収まると――
そこは、エレニが育った丘の上の小さな家。
懐かしい庭の香りが風に乗って流れてくる。
「……帰ってきたんだ」
エレニが胸に息を溜めると、家の扉が勢いよく開いた。
「エレニ! おかえり!」
真っ先に駆け寄ってきたのは、ハルマだった。逞しい腕でエレニを抱きしめる。
「無事で何よりだ……。お前の帰りを、ずっと待ってたんだぞ」
「パパ……ただいま」
台所から、柔らかい笑顔のフィーロが現れた。
「エレニ、ほら、そんなに泣きそうな顔して。おかえりなさい。
お腹、空いてない? すぐに温かいスープ作るからね」
「ママ……。ありがとう」
その会話の後ろで、レイがきょろきょろと家の中を見回していた。
「ねぇエレニ……この家、なんか……落ち着く……」
「そうでしょ? 私が育った家だもの」
「ふーむ……なるほど……」
レイは家中を“くんくん”と感じ取るように目を細めた。
と、その時。
ハルマとフィーロが、レイの姿に気づいて動きを止めた。
二人の表情に、驚きと、懐かしさが、同時に灯る。
「……まさか……」
フィーロの声が震えた。
「この気配……ずっとエレニの傍で眠っていた、妖精の子か?」
レイはぱちぱち、とまばたきをしてから微笑んだ。
「はじめまして。レイです」
「まぁ……!」
フィーロは胸に手を当て、涙を浮かべた。
「でもね、目覚めたのは最近なの……。
エレニが、世界樹の花蜜を飲ませてくれたから、やっと起きられた」
ハルマも、深く息を吐いた。
「そうか……お前か。
小さく眠ったままの姿しか見たことがなかったが……
こうして言葉を交わせるとは、なんだか不思議な気分だな」
「パパ、ママ。レイをよろしくね」
「もちろんだとも。家族みたいなもんだろう」
「ええ。今日から正式に“うちの子”よ」
レイはぽかんとした後、嬉しそうに笑ってハルマの手に飛びついた。
「うち……の子……? やった!」
リオが呆れた顔でため息をつく。
「レイ、すぐ影響されるのはどうかと思いますよ」
「いいじゃんいいじゃん! 家族が増えるのは大歓迎~!」
フィーロはそんな二人を見て目を細めた。
「……にぎやかになったわね」
エレニは、レダからの贈り物と、結界石・通信機を取り出した。
「そうだ、パパとママ。
レダ様から、二人に……これを預かってきました」
エレニは、大切に抱えていた包みを差し出す。
ハルマがそっと開くと、中には月光のように淡く輝く刺繍入りのベッドカバーが収められていた。
「こ、これは……」
「なんて綺麗なの……!
それに、なんて優しい滑らかな肌触り……」
フィーロは目を潤ませ、布の端をそっと撫でた。
「レダ様が、エレニをここまで育ててくれたお礼に……と。
心を込めて刺繍してくださったそうです」
二人はしばらく言葉を失い――
やがて、ハルマが深く頭を下げた。
「……もったいないほどの贈り物だ。
本当に……あの方には感謝してもしきれないな」
「大切に使わせてもらうわ」
エレニは頷き、次に小さな箱を取り出す。
「それから、こちらは結界石です。
家の中心部に置くと、災厄から守ってくれます。
私とストス先生で作りました」
「結界石……? エレニが、前に置いて行った物とは違うのか?」
ハルマが思わず声を潜める。
「前の結界石を、ストス先生が改良してくれたんです。
それと、この通信機を身に着けていただければ、私たちといつでも連絡が取れます」
フィーロは驚いたように目を丸くした。
「こんなに心強いものを……エレニ、ありがとう。
あなたが無事帰ってきてくれることが、何より嬉しいのに……」
「きっと、噂で神々の戦いが始まることは聞いてるかと思います」
「あぁ……。ヘラ様が幽閉され、アレス様がそれに反していることや
クロノスが復活した事もな」
「それで、被害を最小限にしたくて、結界石を作ったんです……。
以前と同じように、家の真ん中に置くようにしてください」
静かに言うエレニの声を聞きながら――
ハルマとフィーロは、まるで我が子を見るような誇らしげな眼差しを向けた。
「……強くなったな、エレニ」
「ええ。本当に立派になったわ」
(……ここが、私の“帰る場所”なんだ)
エレニは胸がじんわりと温まるのを感じた。
「パパ、ママ。私……レイと契約を交わしたことで、完全に女神としての力を覚醒しました。
神々の事で、パパやママを巻き込みたくない……」
「エレニ、おまえの気持ちは良くわかる。
我々人間からみて、神々の力は大いなるものだ。
当然、その責任も重いだろう」
「私たちは、確かに立場は弱いわ。でも、心配しないで。
私たちは、あなたを信じてる。
あなたの、なすべきことをしなさい」
「そして、いつでも、ここに帰ってくればいい。
ここが、お前達の家だ」
「うん……うん……。
私、本当にパパとママに育ててもらって良かった。
この家で育って良かった」
喉の奥が締め付けられるような声で、涙を堪えた。
「立派に育ったけど、まだまだ泣き虫だな」
「さっ、冷めないうちに朝食を食べましょ」
「待ってました~!」
「レイは、相変わらず食いしん坊ですね」
「育ち盛りなんです~」
丘の上の小さな家からは、みんなの笑い声が響いた。




