94話 胸の重みがほどける場所
オレンジ色の地平線に、
群青色の夜がそっと降り始める頃――
エレニたちがレダのもとへ転移しようとした瞬間、背後から呼ぶ声がした。
「エレニ、待ちなさい」
「ストス先生……?」
ストスから差し出された小箱を受け取り、そっと開ける。
中には、昨日二人で改良案をまとめた結界石が並んでいた。
「結界石……! 完成したんですか?」
「あぁ。徹夜で量産した。
今は魔法郵便で世界中に飛ばしているところだ」
「先生、忙しいのに……無理させてしまって……」
「何を言っているんだ。むしろ感謝してる。
俺が世界を救うために、自分の得意分野で役立てる――こんな機会、そうないからな」
「ありがとうございます……」
「これから帰省だろ? レダ様と、人間のご両親にもよろしく伝えてくれ」
「はい。先生も、どうか無理なさらずに」
「おぅ。俺はこれからひと眠りする。さすがに眠気が限界だ」
大きくあくびをしながら、ストスは研究室へ戻っていった。
(私は……一人じゃない)
エレニは深く息を吸い、レイとリオとともに転移魔法を発動させる。
* * *
霧が薄く漂う、月光の森。
「エレニ、本当にここで合ってるの? 霧しかないんだけど……」
「大丈夫。ここは、いつもこういう場所なの」
「リオ、本当?」
「はい。間違いありません」
「え? 疑ってる?」
「だって……エレニ、前世から方向音痴だし……」
「うっ……。あっ……見て、霧が開けてきた!」
夕日が沈み、空に一つ、また一つと星が灯り始める。
その瞬間、霧のカーテンがゆっくりと引かれ、銀色の光をまとったセレネア王国が姿を現した。
青白い光を放つ花々。
宙を舞う妖精の光粒。
月光を反射する白銀の塔。
幻想そのものの光景が広がる。
「わぁ……」
「ね? 言ったでしょ?」
「本当に……おとぎの国みたい……」
「いつ来ても、本当に素敵……。
三人で来られて、本当に良かった」
コンコン、と扉を叩くと、フィロラが明るい笑顔で現れた。
「リオ様、エレニ様、お待ちしておりました! あら……そちらは……ドリュアス様!?」
「こちらはレイよ。ずっと私のそばで眠っていた妖精なの」
「はじめまして、レイです!」
「まぁ……! エレニ様とご契約なさったんですね!」
「はい!」
「おめでとうございます。どうぞ、中へお入りください」
暖炉の前では、レダが淡い光に包まれながら刺繍をしていた。
「エレニ! よく来てくれたわね。楽しみに待っていたのよ」
「お母さま、お元気そうで良かった……」
「見て見て、この服。かわいいでしょう?」
「これは……ベビー服……?」
「そうよ。実はね……」
レダはそっと自分の腹部に手を添えた。
「お母さま……もしかして赤ちゃんが?」
「そうなの。また、ゼウス様との子が授かったの」
「……おめでとうございます。お母さま」
レダの表情は光のように穏やかで、深い幸福が滲んでいた。
「あら? 可愛らしい子が一緒なのね」
「お母さまが私の魂と一緒に救ってくれた……レイです」
「レダ様、はじめまして」
「そう……あの時の。
やっと三つの魂がここに揃ったのね」
レダは三人に視線を巡らせ、柔らかな光を湛えるように微笑む。
「エレニ、リオ、レイ。
三つの魂がこうして揃ったのは、奇跡ではなく“必然”なの。
あなたたちは決して偶然に出会ったわけではない。
長い旅路の果てでようやく戻ってきた――私の大切な家族。
あなたたちの未来が、どうか光に満ちていますように。
どれだけ離れていても……私の祈りは、いつもあなたたちの傍にあるわ。
これから、待ちゆく困難も……あなたたちが力を合わせれば、必ず乗り越えられる。
エレニ――あなたの大いなる力……。
人として育ったあなたには、不安も葛藤もあるでしょう。
でも、自分を信じて。
あなたの歩む道に、周りのみんなが
必ず、ついていくわ」
その言葉を聞いた瞬間、
張りつめていたものが一気にほどけた。
未熟なまま、大きな力を持ってしまったこと。
それを使う覚悟が、まだ揺れていること――
すべてを、見透かされた気がした。
エレニは耐えきれず、レダの膝に崩れ落ち、
声をあげて泣いた。
「……ごめんなさいね。母親のくせに、心配ばかりで」
リオとレイも、エレニがどれほどの重荷を
背負ってきたのかを、改めて痛感するのだった。
* * *
泣き終わる頃、フィロラは温かな湯気を立てる料理を食卓に並べていた。
「さぁ、皆でいただきましょう」
「わーい!」
「そういえば……セレネアの食事って初めて食べる」
「セレネアでしか採れない食材もありますから、ぜひ味わっていってください」
・ 月光鹿のロースト ハーブ蜜添え
月光鹿の肉を薄く焼き、甘いルナハーブの蜜を絡めた上品な一皿。
・銀霧茸のクリームスープ
ルナフォレストで採れる発光する茸のスープ
・妖精果のサラダ
妖精たちが好む小粒の果実をふんだんに使った
爽やかなサラダ。
・月花パンと星砂バター
セレネア名物。
ほのかに青く輝く花粉で焼き上げたパンに、
塩味の星砂バターを添えて。
・ルナティー(温)
飲むと身体がふわりと軽くなるような、
鎮静効果の高い月光茶。
フィロラが料理を並べ終えると、
食卓は月光のような淡い輝きに満たされた。
エレニは落ち着きを取り戻し、
そっと椅子に座る。
その横で――レイの瞳は、
完全に“きらきらモード”に入っていた。
「エレニ! 見て! スープのキノコが光って星が浮いてるみたい!」
「レイ、落ち着いて。はしゃぎすぎるとフォーク落とすよ」
「だって……こんなの初めてなんだもん!」
その横で、リオは静かにパンを手に取り、香りを確かめていた。
「……フィロラの料理は素晴らしいですね。
この香り、懐かしい……」
「懐かしいの? リオ、昔ここで暮らしてたの?」
レイがパンを抱えたまま尋ねる。
「はい。エレニ様と出会うより前……
私はしばらくセレネアで滞在していたのです」
リオは穏やかに微笑んだ。
フィロラが嬉しそうに補足する。
「リオ様は昔から食が細く……この星砂バターだけはよく召し上がってたようなんです」
「フィロラ、昔のことを言わないでください……」
珍しく照れるリオに、レイはくすくす笑いながら言った。
「じゃあリオ、いっぱい食べよ? ほら、はい」
差し出されたパンを受け取り、リオは苦笑しながら礼を述べる。
「……ありがとうございます。レイこそ、食べ過ぎないように」
「え? もう一種類パンあるのに? 食べるよ?」
「……その身体の、どこにそんなに入るんですか……」
エレニはそのやり取りを見つめながら、胸の奥がじんわり温まるのを感じていた。
(この光景……なんだか懐かしい……
“家族”みたいで……なんだか安心する)
レダが優しく声をかける。
「エレニ、あなたも食べて。涙を流した後は、甘いものが効くのよ」
「はい、お母さま……」
月光の国らしい柔らかい空気に包まれながら、三人はゆっくりと食卓を囲んだ。




