92話 小さな家族を見守る目
扉を閉め、そっと寄宿舎の廊下へ出る。
窓の外では小雨が降り続き、吐く息は白く揺れた。
(……なんで、あんな顔を見に行ったんだ)
歩きながら、自分に問いかける。
理由は――本当に単純だ。
(あの子を抱いて笑うエレニを、見ていたかっただけだ)
それなのに、言葉にするのはどうしようもなく苦手だった。
聖騎士として鍛えた心が、たった一人と一匹の妖精に揺さぶられている。
「……はぁ」
漏れた息は、白く消える。
(あの子は妖精……人より脆い。
エレニは“覚醒”した女神……必ず狙われる。
あの部屋が、戦場になる日も……無いとは言えない)
思えば思うほど、胸の奥に黒い塊が重く沈む。
(守れない未来が――いちばん、怖い)
無意識につよく握った拳が、わずかに震えた。
そんな些細な音すら、雨の夜には耳につく。
(アレスの動きが加速したら……エレニとレイは――)
その先を想像するのが、どうしても怖い。
だから代わりに。
「……俺が守る。何があっても」
ひとりごとのような誓いを、静かな廊下へ落とし、
アイアスは寄宿舎の出口へ向かって歩き出した。
その背中は、戦場へ向かう兵よりも――
よほど優しく、不器用だった。
* * *
一方、扉が閉まった瞬間。
メリノエとマカリアは、そ〜っと顔を寄せ合う。
「……ねぇメリノエ。今のってさ」
「うん。どう見ても……保護者の“それ以上”よね」
「だよね!? なんか空気が……甘かった!? 甘い!? いやほろ苦い!?」
「落ち着きなさい、マカリア。語彙が飛んでる」
メリノエは苦笑しつつ、ちらりとエレニの背中を見る。
「でも……悩んでる顔だったわね」
「エレニが?」
「違う。アイアスのほう」
「え〜、あの人が? 眉間にシワ寄ってるの普通じゃない?」
「そういうんじゃなくて……もっと複雑だったの」
「エレニの前世がママでレイが娘だなんて、そりゃ驚くよねぇ」
メリノエは両手を組みながら小さく唸る。
「アイアス、たぶん……エレニもレイも、両方守りたいんだと思う」
「うわ〜……それ、考えすぎなんじゃ?」
「もっと単純だと思うんだけどなぁ」
「じゃあ、見守るしかない感じ?」
「……そうね。エレニ、変に鈍いし」
「だよねーーー!!」
二人は“こっそり”のつもりで盛り上がるが、
その声はしっかりエレニに届いていた。
(……聞こえてるよ、二人とも)
エレニは背を向けたまま苦笑し、
眠るレイへそっと毛布をかけ直す。
(でも……ありがとう。心配してくれて)
暖炉の火は、ぱちぱちと優しく踊っていた。
* * *
翌朝。
薄い光がカーテンの隙間から差し込み、部屋のガラスに揺らめく。
(う……寒い……)
エレニは軽く肩をすくめ、暖炉へ魔法で火を灯した。
ほわりと温かい光が広がる。
レイの部屋を覗くと――
レイはベッドから転がり落ち、毛布にくるまったまま眠っていた。
(寝相……相変わらずだな。花蜜の副作用まで疑っちゃうよ)
くすりと笑いながら身支度を整え、そっと声をかける。
「レイ、朝だよ。起きられる?」
「……おき……る……けど……ん~……もうちょっと……」
「もう、仕方ないなあ。じゃあ、三秒だけ」
「……さんびょー……」
レイの頭をそっと撫でる。
柔らかい髪が指の間をさらりとほどける。
一、二、三――。
「はい、おしまい。起きよ?」
「……はぁい……」
レイは寝ぼけながらむくりと起き上がる。
ぴょこんと跳ねた寝癖に、エレニは思わず吹き出した。
「な~に~? 笑った……?」
「髪、跳ねてる」
「え~」
頭を押さえながら、レイはようやく布団から這い出した。
私は……母として、女神として――
この穏やかな世界とこの子を、私が守る――!




