83話 神と人のあいだで
エレニは、魔法訓練の休憩を終えると、静かに魔道具工房へ足を踏み入れた。
「おぅ、エレニか」
「ストス先生、昨日はお疲れ様でした」
「俺は、椅子を運んだだけだ。……むしろ、お前のほうが辛かったんじゃないか?」
「でも、ストス先生にとっては“血の繋がった母親”になるじゃないですか」
「そうだな。だが、前にも言っただろ。
赤ん坊の俺を捨てて、酷い仕打ちをされ続けた。
母親としての情なんて、欠片もねぇさ。
そんな相手に、何かを求めたりしない。
……そもそも、もしそう思ってたら、あの椅子を作ったりしねぇよ」
「……確かに、そうですね」
「だから、お前が気に病む必要はない。
そんなことを気にしてるお前のほうが、俺は心配だ」
「すみません……」
「で? 今回はアレスやクロノスに対抗する何を作るつもりだ?」
「あ……」
「言わなくてもわかるさ。……お前の性格だしな」
「できれば、攻撃じゃなくて……制御とか、防御ができるものにしたいんです」
「やれやれ……この状況になっても、まだ“相手を傷つけたくない”と思うのか」
「私……よくわからないんです」
「ん?」
「ゼウス様の子として生まれて、魔力を持って、強くなっても……
私は、神として生きるのか、人として生きるのか……
その力をどう扱えばいいのか……。
この力で、誰かを傷つけたりして良いのか……わからないんです」
「そうか。迷ってるんだな」
「はい。私は人の手で育てられて、人間だと思って生きてきました。
でも、お父様に会って、アカデミーで試練を越えていくうちに……
“私は人間じゃないんだ”って気づいてしまって……。
心が、追いついていないんです」
「なるほどな」
ストスは作業台にある工具をつまみ、指先で軽く転がす。
彼が考えを整える時の、いつもの癖だった。
「エレニ。お前が迷うのは当たり前だ」
「……当たり前、ですか?」
「当たり前だ。
ゼウスの娘でありながら、人間に育てられたんだ。
神と人、ふたつの価値観の狭間に立ってりゃあ、どれが正しいなんて簡単に決められるはずがない」
エレニは胸の前で手をぎゅっと握りしめた。
「私は……ゼウス様に会えて嬉しかった。
アテナ様も、レダ様も、大切な人です。
でも、人間の家族も……忘れたくないんです。
――それって、いけないことでしょうか」
「いけねぇわけないだろ」
ストスは即答した。
その声があまりにも迷いなく、エレニはぱっと顔を上げる。
「俺はな、
神だから人を愛しちゃいけないとか、
神だから覚悟しろとか……
そういう理屈ほど、くだらねぇものはないと思ってる」
「くだらない……」
「ああ。
お前が“どうありたいか”を決めるのは、お前自身だ。
神の血が混じってようが、人として育とうが関係ねぇさ。
人を大事にしたいって思うなら、それが“エレニ”だ」
その言葉に、エレニの胸のつかえがふっとほどける。
ストスは続けた。
「それにな。
俺だって母親の血は受け継いでるが、それがなんだってんだ。
俺を育てたのはまた、別の神々だ。
血なんかより、自分で選んだ“縁”のほうがよっぽど強い」
「……ストス先生」
「お前はもう気づいてるはずだ。
神か人かなんて関係ない。
“誰のためにその力を使うか”――大事なのはそれだけだ」
エレニは目を閉じ、静かに息を吸い込んだ。
「……守りたいんです。
大切な人も、アカデミーのみんなも……
どちらも、失いたくない」
「なら、それで十分だ。
お前の魔道具が攻撃じゃなく制御や防御を担うのも、
そういう願いが形になってるんだろう」
ストスの表情は変わらない。
だが、目の奥がかすかにやわらいでいた。
「さて――今回はどんなものを作るんだ?」
エレニは、木馬の中に仕込んだ“くまのぬいぐるみ”をそっと抱きしめる。
「……これを。
戦うためじゃなくて……誰も傷つけないために、使えるものを」
ストスは腕を組み、ふっと鼻を鳴らした。
「らしいな、お前らしい。
よし、一緒に作ってやるさ。
世界にひとつだけの《守るための兵器》をな」
エレニの顔に、ようやく、小さな笑みが浮かんだ。
「はい……お願いします、ストス先生」




