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69話 母と娘、紡ぐ光

 セレナの光が、完全に空へ溶けた。

 その瞬間、屋敷の天井を越えて、夜空に淡い波紋が広がる。

 風が静かに逆流し、花々が一斉に開いた。


 ――それは、失われた魂が“還る道”を見つけた証だった。


 レダはまだ腕を伸ばしていた。

 抱いていた温もりが消えたのに、まるでまだそこにセレナがいるように――。


「……あの子の涙が、こんなに温かかったなんて……」

 囁きは、祈りのように空気へ溶けた。


 エレニがそっと寄り添い、母の手を取る。

「お母さま。セレナは……やっと光の中に行けました」


 レダは微笑みながら、エレニの頬を撫でた。

「ええ……二人とも、よく頑張ったわね」


 その声を聞きながら、アイアスは静かに窓の外を見た。

 世界樹の光がゆっくりと色を変え、

 翠から金へ――、そして柔らかな白に包まれていく。


「……感じるか?」

 リオが呟く。

「世界樹が……呼吸してるみたいだ」


 レモンが小さく頷く。

「魂が還ったんですな。これでまた、根の流れが整います」


 その時、空の彼方――。

 世界樹の上層、天界の雲の間で、女神アテナがその変化に気づいた。


「光が、戻りましたね……」

 隣にいたハデスが、目を細めて笑う。

「やはり、あの子は“選ばれし者”だ」


 そして、オリンポス。

 玉座の間で、ゼウスは立ち上がる。

「これが……“赦し”の力か。

 神々ではなく、人の子がここまで世界を癒すとは……」


 風が吹き抜ける。

 まるでセレナの残した光が、神々の領域にまで届いたようだった。


 その夜、レダの屋敷の庭では小さな光が舞っていた。

 まるで蛍のように、無数の魂の欠片が漂う。


 エレニはひとり、月を仰ぐ。

 胸の奥から、かすかな声が聞こえた。


 ――“ありがとう。あなたがいてくれて、よかった”


 その声はもう、悲しみではなく、

 やさしい子守唄のように響いていた。


 アイアスがそっと近づき、エレニの隣に立つ。

「……辛くはないか?」

「ううん。むしろ、不思議と穏やか。

 ずっと探してた“もうひとりの私”が、ようやく眠れた気がするの」


「セレナも……やっと家に帰れたんだな」

 アイアスの低い声が、夜風に混ざる。


 エレニは小さく笑った。

「帰る場所があるって、幸せね」

「そうだな。……それは、生きてる俺たちも同じだ」


 少しの沈黙のあと、

 エレニが月を見上げたまま、静かに言う。


「ねぇ、アイアス。

 “生まれなかった命”にも、意味はあると思う?」


「……あるさ。

 生まれなかったことが、誰かの生を導くことだってある。

 セレナは、そうやってお前を生かした」


 エレニの瞳に、涙が滲んだ。

 だがそれは、悲しい涙ではなかった。


「ありがとう、アイアス。あなたの言葉……届いた気がする」

「今ごろセラナの魂は、新しい命になるために準備で忙しくしてるはずさ」


 夜空に一筋の流星が走る。

 まるでセレナが微笑んで去っていくように、白い尾を引いて――。


 こうして、“二つの魂”は一つになった。

 母は愛を取り戻し、娘は光に還る。

 そして、世界樹は再び鼓動を始める。


「さぁ、世界樹の浄化機能が回復したから

 お母さまの解毒を、試してみないと」


 エレニがそっと両手を掲げた。

 掌の間に、金と白の光がゆっくりと螺旋を描く。

 世界樹から流れ出た新しい“命の気”が、風のように彼女の周囲を巡る。


「……まるで、セレナが手伝ってくれてるみたいだな」

 アイアスの声に、エレニは静かに微笑んだ。

「うん。たぶん、そう。これは私ひとりの力じゃない」


 光がレダを包む。

 彼女の肌に浮かんでいた黒い痕が、ゆっくりと薄れていく。

 まるで冬の氷が春の陽に溶けるように――。


 レダは一瞬、まぶしさに目を閉じた。

 次に開いた時、瞳の奥の翳りはすでになかった。

「……ああ、息が軽い……。

 こんなに澄んだ空気を吸うのは、いつ以来かしら」


 エレニが涙を浮かべて頷く。

「もう、大丈夫。

 フヴェルの泉と世界樹が繋がったから、これで毒は完全に消えます」


 レモンが、満足げに笑った。

「まったく、神々の因果も人の愛には敵わんようですな」

 リオがからかうように肩をすくめる。

「レモン殿、また名言帳に書き加えるので?」

「やめてくださいよリオさん。アカデミーで引用されるじゃないですか!」

 和やかな笑いが、久々に屋敷の空気を満たした。


 アイアスは一歩下がって、静かにその光景を見守っていた。

 彼の表情には微かな安堵と――それ以上に、深い敬意があった。

「……終わったな。

 だがこれは“終わり”じゃなくて、“始まり”なんだろうな」


「そうね」エレニが微笑む。

「セレナがいなくなったわけじゃない。

 世界樹の中で、これからも私たちを見てくれる。

 ――そう思えるの」


 その日、エレニは知った。

 赦しとは、神のものではない。

 ――人の心が与える、最も深い奇跡なのだと。

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