59話 アカデミー試飲会
翌日、アカデミーの中庭に特設の円卓が設けられた。
空には朝の陽光が差し、噴水の水音が穏やかに響く。
集まったのは、学園長メティスを含む教師たちと、エレニたち研究班。
中央のテーブルには、淡い金光を放つ瓶が並べられている。
瓶のラベルには――“ゼウスビール”。
「……ほう、これがあなたの作ったお酒ですか」
メティスが興味深げに覗き込み、
アテナが冷静な眼差しで観察する。
「発酵の工程に雷属性の魔力を加えるとは……理論的には不安定だが、見事な制御ね」
「香りは甘やかで、後に刺激。実に神々しい」
ストスが一口飲み、目を丸くした。
「おおっ、舌がビリビリする! まるで雷雲を飲んでおるようだ!」
隣でアルテミスがくすくす笑う。
「先生、それは“ゼウスの祝福”の効果ですよ。飲みすぎると髪が立ちますよ」
その言葉に、一同が爆笑した。
アテナは慎重にグラスを傾け、微かに眉を上げる。
「……知性を刺激するわね。脳内魔力が一時的に活性化する」
「それって……勉強の前に飲むと効率上がるってこと?」
リオが身を乗り出すと、
アテナは冷ややかに微笑んだ。
「ええ。ただし一時間後に強烈な眠気が来るわ」
「飲みすぎ注意、っと」ジーノが苦笑する。
メティスがグラスを掲げ、静かに言った。
「――神々の調和を願って、乾杯だ。
雷の酒に、平和の意志を込めて」
全員が杯を掲げた。
黄金の液体が朝の光を受け、天上の雷のように煌めいた。
試飲会が終わり、神々と教授陣が円卓を離れたあと――
中庭の木陰から、そっと顔を出す影がいくつもあった。
「なあ、今の見た? 先生たち、金色のお酒飲んでたぞ!」
「ずるいよなぁ! あれ、“神々の酒”ってやつだろ?」
「飲んでみたい……けど、学生はダメなんだって」
口々に不満を漏らす生徒たち。
リオとジーノもその中に混ざっていた。
「リオ~、なんとかならないの? 俺らも頑張ったじゃん」
「そりゃあ……でも、あれアルコール入ってるし」
「えー、じゃあ“ノン雷バージョン”とか作れないの?」
その声に、後ろから聞き慣れた笑い声がした。
「――ふふ、聞こえてるわよ、ジーノ」
振り向けば、トレーを抱えたエレニが立っていた。
銀のカップが並び、泡立つ果実の香りが風に乗って漂う。
「というわけで、特製“果実ソーダ”です」
「うおおっ! マジで!? 飲んでいいの!?」
「もちろん。学園指定の“学生向け”ですから」
歓声とともにカップが配られ、あっという間に中庭は賑やかになる。
太陽の下で黄金色の泡が弾け、笑い声が響いた。
「……うまっ! 舌がピリリとして、甘い!」
「これ、雷の味がするような気がする!」
「それは気のせい」エレニが笑う。
そこへ、さっきの試飲会帰りのアイアスが通りかかる。
「おや? 学生たちも宴か」
リオが胸を張る。
「先生たちが雷なら、俺たちは光の祝杯です!」
「ははっ、いい心意気だ!」
アイアスはその勢いに満足そうに頷き、
自分のグラスの残りをそっと掲げた。
「ならば、共に祝おう。――知を求める若き戦士たちに、乾杯だ!」
果実ソーダの泡と雷の酒の泡が、陽光の中で交じり合う。
それはまるで、神々と学徒が同じ空の下で杯を交わす瞬間だった。
その夜。
実験棟の隅、ひとつの扉がこっそり開く音がした。
「なあリオ、今日のアレ……少し残ってたよな?」
「まさか……“ゼウスビール”の残り?」
「うん、ちょっとだけ。研究の続き、ってことでさ」
ジーノがにやりと笑い、小瓶を掲げる。
金の光が月明かりを反射して、妙に神々しい。
「香りはいいな。……いただきます」
二人同時にぐい、と飲み干した。
――次の瞬間。
「ビリッ……!」
「うわああッ!?」
青白い閃光が走り、実験室の照明が一瞬で明滅した。
髪の毛が逆立ち、ジーノのマントがパリパリに帯電する。
「お、おいっ!? 舌がしびれるっ!」
「私も、今、雷の味がわかる気がするッ!!」
リオが転がりながら、無駄に哲学的なことを叫ぶ。
「……これ、絶対人間が飲んじゃダメなやつだろ!」
「でも、うまい……くそ、くせになる……ッ!」
数秒後、二人は完全に床に転がっていた。
静電気で髪は爆発、頬にはうっすらと雷紋のような模様。
そこへ、ドアを開ける音。
白衣姿のエレニが現れた。
「……なにしてるの、二人とも」
「ちょっと……味見……」
「感電……した……」
エレニはため息をつき、二人の間にしゃがむ。
瓶を拾い上げ、残りを光に透かして一言。
「……ゼウス様、どうかこの二人には“理性の祝福”を……」
外では、遠雷が一度だけ低く鳴った。
まるで答えるように。




