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57話 冥界からの帰還報告とアカデミー議会

 朝靄が晴れ、冥界の空にわずかな光が射し込んでいた。

 それは地上の太陽ではない。

 けれど、確かに“希望”の色をしていた。


 ネクロマンディオの門前。

 エレニ、リオ、ジーノ――そしてメリノエとマカリアが並んで立っていた。

 彼らの顔には、それぞれに別れの余韻が滲んでいる。


「お父様、お母様……ありがとうございました」

 メリノエが深く頭を下げる。

 マカリアもその隣で、少し潤んだ瞳を隠すように笑った。


「また帰ってくるね。お土産持って」

「ええ、いつでも待ってる。冥界はおまえたちを歓迎するわ」

 ペルセポネの声は、風のようにやわらかかった。


 ハデスは黙したまま、エレニたちを見つめる。

 その瞳の奥に、冷たさではなく――静かな炎が宿っていた。


「エレニ・ゼウスの娘よ。

 冥界の王として約束しよう。

 お前たちの歩む道を、決して闇には沈ませぬ」


「……ありがとうございます、ハデス様」

 エレニは深く頭を垂れる。

 その手には白い花が一輪。

 アスフォデロスの花だった。 


「行こう、エレニ」

「うん」


 エレニが杖を頭上で円を描くと転移魔法が光を増し、空気が震える。

 冥界の風が静かに流れ、五人の姿を包み込んだ。


 光が弾け、音もなく消える。


 残されたのは、黒曜の床に落ちた一枚の花弁だけ。

 それを見つめながら、ペルセポネがそっと微笑んだ。


「……あの子たちが、世界を繋いでいくのね」

「ああ」

 ハデスが応える声は低く、それでいて確かな温もりを帯びていた。


 そして、彼らの視線の先――

 地上の空が、ほんのわずかに金色を帯びていった。 


* * *


 転移の光が静かに収束すると、そこに広がっていたのは――

 懐かしいアカデミーの中庭だった。


 朝露のきらめく石畳、澄み切った空気、遠くで鳴く小鳥の声。

 冥界の静寂とは異なる、生の世界の息吹がそこにあった。


「……帰ってきましたね」

 リオが小さく息をつく。

 隣でジーノが腕を伸ばし、深呼吸した。


「太陽が眩しい~!

 やっぱり冥界の温泉より、こっちの空気の方が落ち着くな」


「ふふ……でも、少し名残惜しいわ」

 マカリアが微笑み、メリノエも静かに頷く。

「お父様も、お母様も……今も見てくださってる気がします」


 エレニは振り返り、冥界の彼方へと目を向けた。

 朝の光がその瞳に宿る。

「うん。――だから、ちゃんと報告しよう。みんなで」


 ――学院長室。


 メティス学園長、アテナ、そしてアイアスが待っていた。

 重厚な書架と静かな光の中、部屋にはわずかな緊張が漂う。


「無事に戻ったようね」

 メティスの声は穏やかだが、その瞳には安堵が滲んでいた。


「はい。冥界での調査を終えました」

 エレニが一歩進み、深く頭を下げる。


「冥界の王・ハデス様の協力を得て、

 フヴェルの泉の封印の原因、そしてクロノス脱獄の経緯を確認しました」


「……話して」

 アテナの声は静かで、しかし鋭い光を帯びていた。


 エレニは一息つき、順を追って語り始めた。

 冥界神殿での対話、ハデスの告白、ヘラの関与、そして王の贖いの決意――。


 言葉が重なるごとに、室内の空気は張り詰めていく。


「つまり――ヘラがクロノスを解放した裏には、

 ハデスとの“取引”があった、ということね」

 アテナが低く呟く。


「はい。しかし、ハデス様はすでに悔い、封印を解かれました」

「……それならば、まだ救いはある」

 メティスが小さく頷く。


「問題はヘラか」

 アイアスが腕を組み、険しい表情を浮かべた。

「ゼウスの妃でありながら、秩序を壊す行動を取るとは……。

 この件、我らも軽々しく動けぬな」


「それでも、放置はできません」

 エレニが強く言う。

「世界樹の異変が進めば、冥界も地上も滅びます。

 その前に、何とかしなければ」


「……いい顔をしているな、エレニ」

 アイアスが口の端を上げる。

「冥界で王と渡り合った者の眼だ」


「いえ……まだ学生ですから」

 エレニは照れくさく笑った。


「学生であっても、真理を求める者は皆、神々の(とも)よ」

 メティスが微笑む。

「あなたたちの報告はアカデミー議会に伝えましょう。

 ――それが、新たな時代の幕開けになります」


 窓の外では、朝の光が塔を包んでいた。

 世界樹を象った校章が、淡く輝いている。


「……さぁ、報告は終わり。今日も授業があるわよ」

 アテナが軽く微笑んだ。


「えっ!? 休ませてくれないんですか!?」

 ジーノの叫びに、場の空気がふっと和む。

 メティスとアテナが目を合わせ、柔らかく笑った。


 ――冥界の闇を越え、再び学び舎の光へ。

 エレニたちの旅は、まだ続いていく。


 * * *


 アカデミー本塔・最上階。

 大理石の床に、淡い幾何学の紋様が淡く光る。

 そこは〈円環の間〉――知の神々と学徒が集い、

 世界の理を議する聖域だった。


 中央の円卓に七つの座が並ぶ。

 学園長メティスを筆頭に、アテナ、アイアス、ディアーナ、ストス、アルテミス――

 そして各学部の長たちが列席している。


 扉が静かに開く。

 エレニたちが歩み入り、その足音が石に反響した。


「冥界調査班、報告のため参りました」

 エレニが深く一礼する。


「よく戻りました。――では、始めましょう」

 メティスの声に、空気が一段と張りつめる。


 エレニは一歩前に出て、冥界での出来事を報告した。

 ハデスとの対話、ヘラの企て、封印された泉、そして王の贖罪。


「つまり、世界樹の枯死は――ヘラの手によるものだと?」

 低く響くディアーナの声。

「はい。ハデス様は彼女との取引で封印を行いましたが、

 今はその過ちを正そうとされています」


「……ハデスが、贖うか」

 アルテミスが瞳を細める。

「冥界が動くということは、地上と天界の均衡も揺らぐ。

 ――ヘラの狙いはそこね」


「放置すれば世界樹は完全に枯れ、魂の循環が断たれる」

 ストスが低く言った。

「技術では補えぬ領域だ。神々の意思が関わっている」


「ゼウス様には報告を?」

 アイアスが問うと、アテナが首を振った。


「まだ。軽々にオリュンポスを動かすわけにはいかない。

 だが――放置もできない。だからこそ、今決めねばならない」


「アカデミーとしての立場を、ですね」

 メティスが頷く。

 円卓の上に浮かぶ光紋が、静かに脈動する。


「第一に――我々は“知の中立”を保つ。

 しかし、世界の理が崩れる今、

 観測者のままではいられぬ。

 アカデミーは、調停者として動く」


 その宣言に呼応するように、光紋が強く輝く。


「アテナはゼウス様へ報告を。

 アイアスは聖騎士団へ連絡を。

 ディアーナ、アルテミスは神殿を通じて信徒を監視。

 ストスは時計塔を封鎖し、魔道具経路を制限して」


 そして、静かに名が呼ばれた。

「――エレニ」


「はい、学園長」


「あなたたちは、再びフヴェルの泉へ行ってもらうわ」


 エレニは深く息を吸い、頷く。

「……承知しました」


「冥界で掴んだ絆を、絶やしてはいけない」

 アテナが優しく微笑む。

「あなたの思いが、この世界を繋ぐから」


 その言葉と同時に、円卓の上空に光が揺らめいた。

 それは、世界樹ユグドラシル。

 かつて翠だった枝葉は、今や白く枯れ始めていた。


 議場に沈黙が満ちる。

 光は、まるで息絶えかけた命のように、かすかに瞬いた。

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