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54話 冥界の王ハデス

 冥界の深層、漆黒の岩盤の上にそびえる――ハデスの神殿ネクロマンディオ

 幾重にも連なる柱は、一枚岩を削り出して造られており、

 その全てが“死の沈黙”を体現していた。

 見る者の心にまで、重く圧し掛かる威厳がある。


「で、でけぇ……」

「地下冥界に、これほどの建造物があるとは」

「メリノエとマカリアは、ここに住んでいるのね」

「うちの近くには、温泉もあるんだよ」

「青く透き通った、温泉なんだ~」

「それはいいな!」

「さぁ、中に入りましょ」


 メリノエとマカリアに促され、エレニたちは荘厳な階段を昇る。

 通路の両脇には、黒い鎧に身を包んだ冥府の騎士たちが整列していた。

 姉妹が通るたびに、彼らは無言のまま胸に手を当て、敬礼する。

 二人の足取りは迷いなく、影の王家に相応しい静けさを纏っていた。


 真紅の絨毯を踏みしめ、最奥の大扉の前へと辿り着く。

 メリノエが扉脇の騎士に告げる。


「お父様にお会いしたいのだけど、大丈夫かしら?」

「ペルセポネ様もご同席の上で、お嬢様方をお待ちしております」

「わかったわ」


 重い扉が開いた瞬間、熱を奪う風が吹き抜けた。

 漆黒の広間。

 中央には、銀の蔦が這う黒曜の玉座が静かに鎮座している。

 その光は冷たく、闇の中で星々のように淡く瞬いていた。


 ――そこに、冥界の王が座していた。


 ハデス。

 長く艶やかな黒髪、端正な面立ち。

 しかしその瞳には、底知れぬ威光と冷厳が宿っており、

 見上げた者の魂を凍らせる。


「ハデス様って……すごいイケメンだけど、なんかめっちゃ怖いな」

「シーッ!聞こえてますよ!」


 ハデスがジロリと一瞥(いちべつ)する。

 その一瞬で、場の空気が凍りついた。


「よく来たな、娘たちよ」

「お父様、お会いできてうれしいです」

「いかがお過ごしでしたか?」

「まぁ、色々忙しくてな。そなたらを構えずにいたことを詫びねばならぬと思っていたところだ」


 隣の座より、ペルセポネが優しく微笑む。

「あなたたちに会えて、本当にうれしいわ」

「お父様、お母様。今日はアカデミーの友達を連れてまいりました」

「まぁ……この前、果実ソーダを作ってくれた子ね?」


「そうよ! この子がエレニ。ゼウス様とレダ様の娘よ」

「お初にお目にかかります」

「まぁ、あなたが……娘たちと仲良くしてくださってありがとう」


「そして、こちらがリオとジーノです」

「お初にお目にかかります」二人は一歩下がり一礼する。



「なるほど、レダが慌てて持ってきた“魂の子”か……」

(お母さまは、冥界(ここまで)に来て奔走(ほんそう)してくださっていたのね……)


「実は、本日はハデス様に折り入って伺いたいことがありまして」

「私たちも、お父様に聞きたいことがあるの」


 ハデスの表情が、わずかに険しくなる。

「申してみよ」


「お父様、クロノスが脱獄した件はご存じですよね?」

「私たち、世界樹の根――タルタロスを調査していたの」

「そこで、時の鎖が破れ、牢が壊されていたのを見たわ」

「けれど、そこには……」


 メリノエとマカリアは息を呑み、父の顔を見上げる。


「何が言いたいのだ。はっきり申せ」

「お父様の魔力が残っていたのです」

「お父様が……クロノスを牢から出されたのですか?」


 ペルセポネの表情にも驚きが走る。

「ハデス、それは本当なの?」

「――あぁ。そうだ」

「なぜ、そのようなことを……?」

「ヘラに頼まれたのだ」


 空気が張り詰めた。

 誰も息をすることさえ忘れる。


「もうひとつ伺いたいのですが……」

「世界樹のフヴェルの泉に施された封印も、ハデス様によるものですよね?」

「その通りだ」

「まさか、それも……?」

「そうだ。お前たちの思う通り、ヘラの依頼によるものだ」


「常に法と正義を重んじるお父様が、なぜ!?」

「ハデス。あなたを責めたりはしません。だから、本当のことを教えてください!」

 ペルセポネが悲し気な目をしながら説得する。


 ハデスはゆっくりと玉座から立ち上がった。

 その影が、玉座の間を覆う。


「……ヘラに弱みを握られたのだ。

 ペルセポネ、そなたをこの冥界へ連れてくるために――

 私は、彼女の手を借りた」


「わたしのせいで……?」

「本来なら、そなたは上層に住む身。

 ゼウスに知られれば、私は冥界の王である資格を失い、タルタロスに繋がれていたであろう」

「そんな……」


「ですが、今やフヴェルの泉は封印により機能を失い、世界樹は枯れかけています。

 このままでは、世界そのものが滅びてしまいます……」

「しかも、クロノスの脱獄……」

「わかっている。だが、私には何もできぬ。

 全てを失うのが、恐ろしかったのだ……!」


「ハデス、どうか嘆かないでください。

 私は、あなたにここへ連れて来られたことを一度も後悔したことはありません。

 だからこそ、正しいことをなさってください。

 このことは私からゼウス様に嘆願いたします」


「ペルセポネ……すまない。私を許してくれ……」


 その姿は、威厳に満ちていた冥界の王とは思えないほど、弱く見えた。


「お父様、まずはフヴェルの泉の封印を解いてください。

 あとは、私たちにまかせて!」

「ゼウス様には、私からもお願いしておきます!」


「お父様、その代わり……お願いがあります」

「申してみよ」


「エレニとレダ様は、ヘラ様に命を狙われています。

 もしものときは――どうか、お力添えを」

「勿論だ。

 彼女は狡猾だ。決して油断するな」

「はい」


 その瞬間、神殿に吹く冷風が止み、

 ハデスの背後の影が、わずかに光を帯びたように見えた。

 ――冥界の王もまた、静かに戦う覚悟を決めたのだ。

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