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シングルマザーが転生した冒険者は女神様でした!  作者: 珠々菜
冥界編

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53話 取り戻す記憶

 静寂の中、光が泉の中心から立ち上がる。

 それは最初、ただの霧のようだった。

 だが、やがてその中に輪郭が生まれる。長い髪が揺れ、淡い金の光をまとった女性の姿が現れた。


 彼女の髪は夜明けのように白く輝き、瞳は深い湖のような青。

 その微笑みはどこまでも穏やかで、しかし目を合わせた瞬間、誰もが息を呑むほどの“存在感”があった。


「――ムネモシュネ様」

 メリノエが膝をつき、頭を下げた。

 マカリアも続いて跪く。


「おや、メリノエにマカリア。お父上の頼みごとかしら?」

 声は水の音のように柔らかく、響くたびに泉の波紋がゆるやかに広がる。


「あの……この青年が……レテの川の水を誤って飲んでしまいまして」

「まあ、なんてこと。レテの精霊はすぐ飲ませたがるから困るのよねぇ。あの子たち、営業熱心なのよ」

「えっ、レテの精霊が営業……」

 リオが小さくつぶやくと、女神はくすりと笑った。


「ええ。昔からおしゃべりでね。『忘却こそ救いです!』なんて言いながら、誰彼構わず飲ませようとするの」

「……なんか、宗教勧誘みたい……」

 エレニが呟くと、ムネモシュネは目を細めた。

「そう。だから、こうして“思い出す者”の手助けをするのが私の仕事。

 さて――あなたが“記憶を取り戻す者”ね?」


 ジーノは息をのみ、静かにうなずいた。

 彼女の前では、不思議と緊張よりも懐かしさが胸に広がる。

 まるで、遠い昔に会ったことがあるような――そんな感覚。


「名前は?」

「……ジーノ、です」

「ふむ。良い響きね。覚えているだけでも、半分は成功よ」


 ムネモシュネがゆっくりと泉の水に手をかざす。

 その指先から光がこぼれ、泉が静かに波打つ。

 透明な水の中に、淡い星屑が舞いはじめた。


「あなたの記憶は、まだここに眠っている。

 心の奥の奥、光が届かない場所に閉じ込められてね。

 でも――呼べば、応えるわ」


 女神が手を差し出す。

「もう一度、あの言葉を」


 ジーノは深く息を吸い、震える声で唱えた。

「……私は大地と星空の子です。喉が渇いたので、ムネモシュネの泉から、何か飲むものを私にください」


 その瞬間、泉が強く光を放った。

 風が渦を巻き、白いイトスギの葉が舞い上がる。

 ジーノの足元から、暖かい何かが胸の中に流れ込んでくる。


 ――光。

 ――風。

 ――そして、笑い声。


(……これは……)


 世界が反転する。

 視界が白く染まり、彼の目の前に浮かぶのは――学院の中庭だった。

 青空、友の声、パンの香り。

 笑いながら喧嘩して、誰かの悪戯に怒鳴って。

 その中心には、幼なじみたちの笑顔。

 エレニ。リオ。

 そして――風のように軽やかに笑う母の姿。


「……母さん……!」


 記憶が一気に流れ込み、胸を貫くような痛みが走る。

 風が彼の髪を撫で、母の声が微かに届いた。

 ――『大丈夫。あなたはちゃんと“ここ”に帰ってくるって、信じてる』


 ジーノの頬を一筋の涙が伝う。

 泉の光が彼の身体を包み、記憶の断片がすべて一つに繋がっていく。

 過去、現在、そして今ここにある自分が、ひとつの線になって結ばれた。


「……思い出したかしら?」

 ムネモシュネが優しく問いかける。


「はい……全部、思い出しました」

 両手で顔を覆うジーノは、震える声で答えた。


「よかった。記憶を失うのは痛み。でもね、思い出すのもまた痛みなの。

 それでも思い出せるあなたは、きっと強いわ」


 ムネモシュネは、微笑みながらその額に触れる。

 淡い光が、彼の頭を包みこんだ。


「これで、あなたの記憶は完全に戻った。

 ただし――うっかり“恥ずかしい顔を思い出したくない”とか言っても、それも全部思い出すからね」

「……そ、それは遠慮したかったです」

 女神は楽しげに笑い、泉の水面に波紋が広がった。


「では、行きなさい。あなたを待っている者たちがいる」


 その声とともに、光が少しずつ薄れていく。

 風が止み、泉は再び静寂に戻った。


 ジーノは静かに立ち上がり、胸の前で手を握る。

 胸の奥には、確かに“すべて”が戻っていた。

 彼はエレニたちを振り返り、微笑んだ。


「――ただいま」


 その言葉に、エレニが涙をこぼし、リオが大きく頷いた。

 メリノエとマカリアは目を見合わせ、涙ぐみながら優しく笑う。


「おかえり、ジーノ。冥界へようこそ――って言うのも変だけど」

「ほんとね。次は、忘れないでよ?」

「うん、絶対に」


 冥界の空に風が流れ、白いイトスギの葉がさらさらと鳴った。

 それはまるで、ムネモシュネの柔らかな笑い声が、まだそこに残っているかのようだった。

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