51話 3人の審判
三判官の庁舎――。
冥界の中心にそびえるその建物は、まるで夜そのものが形を持ったように黒々と輝いていた。
入り口には、今日も長い列ができている。列に並ぶのは、裁きを待つ無数の亡者たち。
彼らは静かに、まるで祈るように頭を垂れていた。
五人はその列の脇を抜け、真っ直ぐに庁舎の扉をくぐる。
中は薄明るく、光源の見えない淡い白光が天井を照らしている。
高い天井に灰色の柱が並び、どこからともなく紙の擦れる音や羽根ペンの筆音が響いていた。
受付には、黒い衣をまとった女性が座っていた。
顔立ちは冷たく整っており、瞳は深い群青に沈んでいる。
「こんにちは。彼らをお父様に会わせたいのと……
彼が誤ってレテの川の水を飲んでしまって……。
だから、ムネモシュネ様の泉を飲ませたいんです」
メリノエの言葉に、受付官は軽くため息を漏らした。
「こんにちは、メリノエ様、マカリア様。……ハデス様への謁見と、ムネモシュネ様の泉ですか」
「できれば、先に泉を飲ませてあげたい」
「ご一緒の方々は、生者のようですね」
「アカデミーの仲間なの。お願い、特例を出してもらえない?」
受付官は困ったように眉を下げた。
「これは私の一存では決められません。三判官の許可をお取りください」
「でも、死者の行列を待っていたら、時間がかかりすぎるわ!」
「……少しお待ちください。確認いたします」
そう言うと、机の上の紙と羽根ペンがふわりと浮かび上がり、自動で文字を綴り始めた。
淡い光の線が紙の上を走り、署名と共に紋章が押される。
その瞬間、紙は光となって消えた。
ほどなくして、一羽のコウモリが天井から舞い降りる。
受付官がそれを受け取り、口に咥えられた手紙を開いた。
「お待たせいたしました。三判官がお会いになるそうです。
この先の待合所でお待ちください。係の者がご案内します」
「ありがとうございます」
五人は礼を述べ、庁舎の奥へと進む。
大扉の前では、黒銀の鎧を纏った警備官たちが直立していた。
「お嬢様方、お待ちしておりました。前の裁決が終わったところです。どうぞお入りください」
重厚な扉が、静かに開かれる。
中は広く、荘厳な静けさに満ちていた。
壇上には三つの玉座が並び、それぞれに異なる威厳を持つ人物が座している。
「メリノエ様、マカリア様。お久しぶりですな」
左端の老人が、温かな声で微笑んだ。
「お変わりありませんか?」
「急な申し出を受けてくださって、ありがとうございます」
メリノエとマカリアは揃って一礼する。
「珍しい来客をお連れのようですな」
中央の男――最高裁判長官ミノスが低い声で言う。
「まずは自己紹介をしておこう。
左がラダマンテュス。地位や身分に関わらず善悪を裁く者。
中央が私、ミノス。そして右が門番兼書記官のアイアコスだ」
「彼女はエレニ、ゼウス様の娘。それからリオとジーノ。アカデミーの仲間です」
「よろしくお願いします」
三人が頭を下げると、三判官は静かにうなずいた。
「……なんとも不思議なものですな」
ラダマンテュスが目を細めた。
「こうして再び顔を合わせることになるとは思わなかった」
「再び?」
エレニが問い返す。
アイアコスが顎髭を撫で、懐かしむように言葉を続けた。
「エレニ、リオ、そしてレイ。
お前たち三人の魂を、レダ様が慌てて持ってきたのが
ついこの間のことのように思い出せる」
「レダ様が……ここに?」
「そうだ。冥界では終着点ではなく、
魂を浄化し新たな始まりを迎える場所として機能しているのだ。
それにしても、あれは珍しいことだった……」
ミノスの声には、わずかな驚きが混じっていた。
「――レイの魂は、今どうしているのですか?」
リオの声は少し震えていた。
「今は“ドリュアス”として存在している。樹木の妖精だ」
アイアコスが静かに言う。
「世界樹による異変が、かなり影響しているようだな」
「……樹木の妖精……」
エレニが小さく息を呑む。
「せっかく生を繋いだのに、まだ完全には目覚めておらん」
ラダマンテュスが首を振る。
沈黙が落ちた。
エレニは唇を噛みしめ、リオは俯く。
メリノエが一歩前に進み、声を上げた。
「審判の皆さん、お願いです。
そのためにも、ゼウス様への謁見と、彼がムネモシュネの泉を飲む許可をください!」
「私たちからも、お願いします!」
エレニとリオが頭を下げる。
三判官たちは互いに視線を交わし、静かにうなずいた。
ミノスが口を開く。
「生ある者が誤ってレテの川の水を飲んだ……。確かに、これは軽い問題ではない」
「だが、冥界の理を乱す行いではない。むしろ、秩序を保つためにも対処が必要だろう」
アイアコスが頷き、手元の書板に印を刻む。
「――許可いたしましょう」
ラダマンテュスが補足するように言った。
「ムネモシュネ様にも、すでに知らせを送っておこう。泉は準備されるはずだ」
「ありがとうございます!」
メリノエが深く頭を下げ、マカリアもほっと息を吐いた。
エレニが静かにジーノの肩に手を置く。
その瞳には、ほんのわずかに安堵と決意が混じっていた。
冥界の審判の間に、白い光が差し込む。
それは、希望という名の、ささやかな赦しの光だった。




