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シングルマザーが転生した冒険者は女神様でした!  作者: 珠々菜
冥界編

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48話 アケローンの川

 暗い洞窟の奥は、想像していたよりも広かった。

 空気は冷たく、岩壁に染みこんだ湿気と苔の匂いが鼻を掠める。

 息を吸うたびに胸の奥がひんやりと冷え、吐く息は白く溶けた。


 メリノエが静かに息を整え、杖を掲げる。


「――〈冥路を照らす灯よ、我に道を示せ〉」


 その声に応じて、足元の岩床に青白い光の紋章が浮かび上がった。

 まるで心臓の鼓動のように光が脈動し、先へ続く細い道を照らし出す。


「この先に川があるわ。そこを渡るの」

 メリノエが小声で言い、青い光を先導させるように歩き出す。


(川……。死者の国の川ってことは――三途の川みたいなもの?)

 エレニは心の中でつぶやいた。


 暗闇を抜けると、かすかな水音が耳に届いた。

 そして、眼前に広がる光景に思わず息を呑む。


 闇の中を、青白く光る川が静かに流れていた。

 その流れはまるで空の星を閉じ込めたようで、時折、淡い魂のような光が水面を漂っている。

 美しく、そして不気味だった。


 その岸辺に、一人の老人が立っていた。

 白い髪と長い髭をたくわえ、無表情のままこちらを見つめている。


「これはこれは……。お嬢様方、珍しいところへお越しで」


 低く響く声。

 アケローン川の渡し守――“カロン”だ。


「カロン。お久しぶりね。相変わらずね」

 メリノエが微笑む。


「えぇ、まぁ。最近はクロノスが脱獄したとかで……死人どもがざわついておりましてな」

「……そう」

 マカリアが眉をひそめる。

「今日は、父のもとへ案内したいの。彼らを」

「かしこまりました。ですが、この川を渡る者には代価が必要でしてな」

 カロンは静かに杖の先を地に突く。

 石畳が鈍い音を立て、波が足元に打ち寄せる。


「お一人――1オボロス」


「お金取るの!?」

 ジーノが思わず声を上げた。

 エレニは苦笑をこらえながらリュックを探り、銀貨を取り出す。


(1オボロス……たぶん千円くらい? 三途の川は“三文”だったのに。

 冥界はインフレ気味と……メモメモ)

 そんなくだらない計算をして、心の中でつぶやく。


 隣でリオが小さく口を開いた。

「エレニ様、また計算してましたね」

「え!? なんでわかるの!?」

「前の世界でもそうでした。節約家は変わらないようで」

「ちょ、やめて! 今それ言う!?」


 二人のやり取りに、ジーノが首を傾げる。

「ん? “前の世界”ってなんだ?」

「な、なんでもない!」

 エレニは慌ててごまかし、リオは静かに目を伏せた。


 二人だけが共有する記憶――それを他に説明する言葉はまだなかった。

 きっとこの感覚は、自分だけが持つ“前世”の名残なのだろう。


「足元、気を付けて乗ってね」

 エレニは仲間に声をかける。


 小さな木製の船が、静かに岸に寄せられていた。

 闇に包まれた水面からは、かすかな光が立ちのぼり、まるで船が宙に浮いているように見えた。


 全員が乗り込むと、カロンは無言でオールを握った。

 ゆっくりと漕ぎ出すと、船体が微かにきしみ、青白い波紋が幾重にも広がっていく。


 不思議な静けさ。

 ただ、オールが水を切る音だけが響いていた。


「……綺麗、だけど怖いね」

 エレニがぽつりと呟く。


「この川は、魂を運ぶ流れ。覗き込むと、心を引き寄せられるの」

 メリノエの声は静かだった。

 だが、その忠告を聞きながらも、ジーノはふと目を奪われていた。


「……あれ?」

 水の中に、ぼんやりとした人影が見えた気がした。

 それはゆらりと動き、やがて――顔を上げた。


 懐かしい、優しい顔。

 幼いころに失った父の笑顔だった。


「父さん……?」

 その一言が、静寂を破った。


「ジーノ、ダメ!」

 リオが声を上げるより早く、ジーノの体が前へ傾いた。

 次の瞬間、水面がざわめき、無数の手が一斉に伸び上がる。

 白く細い腕が船をつかみ、ジーノの腕を引っ張った。


「ジーノ!!」

 マカリアとリオが同時に掴み、必死に引き戻す。

 船が大きく揺れ、冷たい水しぶきが顔を打った。


「エレニ、光を!」

 メリノエの声が響く。


 メリノエの声に、エレニが反射的に杖を掲げた。

 エレニの杖の先に強い光が宿り、瞬間、船全体を白光が包み込んだ。

 その光を浴びた“手”たちは、苦しむように形を崩し、霧のように消えていく。


 再び、川に静寂が訪れた。

 青白い水面が、何事もなかったように穏やかに揺れていた。


「はぁ……あぶなかった……」

「ご、ごめん……。水の中に、父さんが見えた気がしたんだ……」

「幻よ」

 マカリアが静かに言う。

「この川は、生ある者の心を試す。想いの残滓を映して、冥界へ誘うの」

「生きたまま来る者を、“死者として迎える”仕掛けか……」

 リオが低く呟く。

 メリノエは小さく頷いた。


「そう。冥界は“選ばれた魂”しか入れない。だからこうして、迷いを(ふるい)にかけるの」


 ジーノは俯いたまま拳を握った。

 エレニはそっと彼の肩に手を置く。

「ジーノ……あれは、きっと父さんじゃない。

 でも――会いたい気持ちは、わかるよ」


 ジーノは小さく頷き、深呼吸をした。


 船は、再び静かに進み始めた。

 青い光が水面を照らし、遠くの岸が少しずつ近づいていく。


 やがて、黒い大門が霧の向こうに姿を現した。

 巨大な石の扉には、複雑な紋章と呪文が刻まれ、表面には炎のような魔力が揺らめいている。

 その前には三つの影――冥界の門番、ケルベロスの幻影が横たわっていた。


「……あれが、冥界の門」

 リオが低く呟く。

「でか……」

 ジーノが小さく口を開ける。


「ここから先は、神々の領域。

 人間の理が通じる場所じゃない」

 メリノエが振り返り、エレニと目を合わせる。

 その瞳は、冥界の闇よりも深い色をしていた。


「覚悟は、できてる?」

「もちろん」

 エレニは小さく頷いた。

 胸の奥に、微かな鼓動が響く。

 この先に待つのは――冥王ハデス。


 そのとき、遠くで何かが軋む音がした。

 黒い扉の表面に走る亀裂が、青白く光り始める。


「開く……!」


 重々しい音を立て、扉がゆっくりと動き出した。

 その奥から吹き出した冷たい風が、一行の頬を撫でる。


 暗く、深く――

 それはまるで、死の底へ誘うような呼吸の音だった。


 冥界の門が、静かに口を開く。

 エレニたちは息を合わせ、足を踏み出した。


 光と闇の境界を越えて――

 新たな試練が、彼らを待っていた。

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