47話 ハーデスの門
夜明け前のアカデミーは、まだ薄い霧に包まれていた。
世界樹の巨大な影が遠くに霞み、空の端から淡い光がゆっくりと差し込み始める。
中庭の中央では、転移陣が青黒く脈動し、魔力の風が草を静かに揺らしていた。
冷えた空気の中、吐く息が白く浮かんでは消える。
「早いな、もう全員そろってるのか」
低い声が響き、アイアスが歩み寄ってきた。
彼は冥界へ向かう一行の準備を手伝うために来ており、
鎧の金具が朝の光を受けてかすかに光っていた。
「おはよー! パン屋の朝飯、ちょっと多めに貰ってきた!」
ジーノが駆けてくる。両手には、今にも破裂しそうなリュック。
「ジーノ、それ……食べ物ばっかりじゃない?」
エレニが呆れたように笑い、荷物を覗き込む。
「しかもすごい量。アイテムバッグに入れなかったの?」
「パン屋行くとき、アイテムバッグ忘れたんだよ。
今から詰め替えるとこ!」
ジーノは悪びれもせず、リュックを地面に置いてパンを詰め替え始めた。
「腹が減っては戦はできぬ、って言うだろ?」
「冥界に殴り込みに行くわけじゃないんだけど……」
エレニが肩をすくめ、リオが吹き出す。
「まぁ、食料があるのは悪くないですけどね」
「それにしても、朝の冥界行きって……胃に悪そうだな」
ディオが苦笑しながら肩を回すと、マカリアが柔らかく微笑んだ。
「確かに。でも、朝のうちに出れば“魂の潮”が静かな時間帯に着けるわ」
「へぇ、そんなのあるんだ?」
「冥界は夜が一番活動的なの。だから今がちょうどいいのよ」
メリノエが説明すると、ジーノが真顔でうなずいた。
「なるほど……つまり夜は寝てる方がいいんだな」
「それはどこでも一緒でしょ」
マカリアが小さく笑い、場が少し和んだ。
「さて……。そろそろ出発の時間だな」
アイアスが時計塔の針を見上げる。
「くれぐれも無理はしないように。何かあったら通信機で連絡すること」
「兄貴も来ればいいのに」
「そうしたいところだが、パラディン候補生の訓練を放り出すわけにもいかん。
すまないな、後は頼んだ……気を付けて行ってこい」
「了解!!」
「それじゃ、みんな集まって」
エレニは杖を構え、黒い魔法陣の中心に立った。
光がゆっくりと強まり、足元の紋章が脈打つ。
朝霧の中で、五人の影が重なる。
緊張の中に、確かな信頼があった。
「準備はいい?」
「いつでも!」
「問題なし」
「行こう、冥界へ」
エレニが杖を振り下ろす。
魔法陣が輝き、青い光が輪となって広がった。
「離れないで!」
「わかってる!」
アイアスとディオが見送る中、
光が弾け、五人の姿が霧の中に消えた。
* * *
転移魔法の光が消えたとき、
彼らを包んでいた空気は一変していた。
「うっ……この匂い!」
「硫黄……ですね」
「他にも、同じような匂いの場所があるの?」
「フヴェルの泉がそうだったの。でも、ここは温泉っぽくないね」
周囲は灰色の砂地が広がる荒野で、乾いた風が吹くたびサラサラと砂が舞う。
あちこちに、鳥や獣の骨が白く転がっていた。
砂の丘の先に、ぽつんと黒い神殿が立っている。
その奥には、地下へ続く大きな扉――冥界への門が口を開けていた。
神殿の入口には、女性の形をした銅像が並び、
それぞれが松明を掲げていた。
「ここに来るのは……何年ぶりかしら」
「私たちは転移魔法で冥界に行けちゃうから、滅多に通らないもんね」
マカリアが静かに頷く。
「ここが、ハーデスの門――冥界の入口よ」
メリノエが一歩前へ出る。
「“ランパデス”が持つ松明に、火を灯してみて」
エレニは頷き、杖の先に小さな炎を生み出した。
ひとつ、またひとつと火を灯していく。
最後の松明に火がともった瞬間、
銅像たちが一斉に頭を垂れ、低く声を発した。
「――メリノエ様、マカリア様。お久しゅうございます」
「お勤めご苦労様」
「本日は、いかがなさいましたか?」
「お父様のところへ向かうの。……アカデミーの仲間を案内してね」
「ですが、冥界は死者の領域。生者の立ち入りは危険です」
「わかっているわ。だから私たちが案内するの」
「……かしこまりました。では、扉を開きましょう」
石の扉がゆっくりと、軋むような音を立てて開いていく。
冷たい風が吹き抜け、どこか遠くから鐘のような音が響いた。
「さぁ、行きましょう」
メリノエが先頭に立ち、暗い洞窟の中へと歩みを進めた。
その背を追い、エレニたちも一歩、また一歩と足を踏み入れていく。
光の届かぬ冥界の門――
静寂の奥で、何かがゆっくりと目を覚まそうとしていた。




