46話 それぞれの夜
夕食を終え、夜のアカデミーはすっかり静まり返っていた。
中庭には霧のような月光が流れ、白い石畳の上を風が撫でていく。
遠くから聞こえるのは、噴水の水音と、どこかの部屋で灯りを落とす気配だけ。
エレニは、自室の窓を少し開けた。
カーテンの隙間から、満月が丸くのぞいている。
机の上には、小さな籠の中で妖精がすやすやと眠っている。
(……ハデス様の封印。
なぜ、あの場所に……)
風がカーテンの裾を揺らすたびに、ろうそくの火がかすかに揺れる。
それを見つめながら、エレニはそっと手を胸に当てた。
(私……怖いのかな。
でも、逃げたくはない。次は、ちゃんと確かめたい。
妖精を目覚めさせる為にも、お母さまの毒を治す為にも……)
小さく息を吐き、灯りを消した。
闇の中でも、胸の奥に灯る決意だけは消えなかった。
一方、リオは宿舎の中庭にいた。
夜風に当たりながら、手のひらで光の地図を展開する。
淡い線が空中に浮かび、世界樹の根から冥界へと続く経路が輝いた。
「世界樹の異変……。
ただの魔力の乱れじゃない」
ひとりごとのように呟き、リオは地図を閉じた。
冷たい空気の中で、その瞳は静かに燃えていた。
(ベルダンディ様の言葉通り、知識は“答え”じゃなく“道”だ。
なら、俺が見つけるべきは――)
風が吹き抜け、リオはしっぽを揺らす。
彼はそのまま夜空を見上げ、ゆっくり目を閉じた。
ジーノはと言えば、ベッドの上で仰向けになり、手足を投げ出していた。
「ふぅ~……食った。あー、幸せ」
腹をさすりながら、うとうととまぶたを落とす。
その口元には、子どものような笑みが浮かんでいた。
(リオが難しいこと言ってても、エレニが笑ってると安心するし……
それでいいじゃん。俺は俺のやり方で守る)
窓の外から虫の音が聞こえた。
その音に包まれるように、ジーノはあっという間に眠りに落ちた。
アイアスの執務室では、アイアスとディオが夜の警備日誌をまとめていた。
「ハーピーの出現……報告に加えておこう」
「頼む。俺は地図を確認する」
ディオは羽ペンを走らせながらふと手を止める。
「教官」
「なんだ?」
「もし世界樹が完全に枯れたら……俺たちの“空”も、消えるんだろうか?」
しばらく沈黙が落ちる。
やがて、アイアスが静かに首を振った。
「空も地も冥界も消させはしない。俺たちがいる限り、な」
その言葉に、ディオはわずかに笑い、筆を再び動かした。
冥界組の部屋では、メリノエがベッドの端に座り、
マカリアが隣で髪をとかしていた。
「……お父様の封印。きっと、何か理由があるわ」
「うん。私もそう思う」
マカリアが柔らかく笑う。
「でも、あなたが震えてるのは、寒いから?」
「……違う。怖いんだと思う。
父を信じたいのに、疑わなくちゃいけないのが」
メリノエの声がかすかに揺れた。
マカリアは櫛を置き、彼女の手を取った。
「大丈夫。私たちは一緒に行く。
真実がどんな形でも、見届けるのは一人じゃないわ」
その言葉に、メリノエの肩から力が抜ける。
二人の間に、月光が静かに流れ込んだ。
その夜、アカデミーは深い静寂に包まれた。
誰もがそれぞれの想いを胸に、眠りへと落ちていく。
窓の外では、満月が世界樹の影を淡く照らしていた。
――新たな夜明けが来る前の、束の間の静かな夢の時間。




