44話 フヴェルの泉に施された封印
「ありがとうございました!」
エレニたちは、荷馬車に乗せてくれた商人に深々と頭を下げた。
「気をつけて行けよ~! あそこは、おっかない所だからなぁ!」
商人の声が、砂煙の向こうに遠くかすれて消えていく。
「ミーミルの泉からそんなに離れてないのに……ここ、やけに暑くない?」
エレニは額の汗をハンカチでぬぐった。
「あちらは寒かったのに、全然空気が違いますね」
「俺なんて、もう上着脱いだぜ」
リオは手のひらに光の欠片を浮かべ、目を細める。
「光の地図によると、フヴェルの泉はこの先をまっすぐ進んだところみたいです」
「ハデス様の結界が張られてるって言ってたけど……一度、どんな場所か見てみないとな」
「スクルド様に、会えるといいけど……」
川沿いの道を進むにつれて、水の匂いが少しずつ変わっていった。
やがて、鼻をつくような硫黄の香りが漂い始める。
(もしかして……フヴェルの泉って、温泉?)
「なあ、なんか川から湯気が出てないか?」
「ジーノ、温泉って知ってる?」
「おんせん? なにそれ?」
「温かい水が自然に湧き出るんですよ」
「え? 火で沸かさなくても?」
「そう。場所によってはかなり熱いこともあります」
「へぇ~。じゃあ、この川に入ったら温かいのか?」
「そうかもね」
「いいな! 今から入りたい!」
「ダメダメ! 先を急がないと!」
リオが苦笑し、エレニがジーノの腕を引っ張る。
湯気の向こう、陽炎のように揺らめく光が――泉の方向を照らしていた。
しばらく歩くと、道は岩だらけになり、砂利を踏みしめながら進む。
岩と岩の隙間からは白い蒸気が噴き出し、熱気がさらに強まっていった。
「喉が渇いた……しかも、蒸気で前が見えないな」
「もうすぐ着くと思うのですが……」
ジーノは大きな岩に腰を下ろし、リオから水の瓶を受け取ってごくごくと飲んだ。
すると、エレニが指を差して声を上げる。
「ねぇ、あそこじゃない?」
蒸気の隙間から見える先には、岩を積み上げたような灰色の門があった。
三人は駆け寄る。
門の中央には、黒い文様――ハデスの紋章が刻まれた封印があった。
「……ここで封印されてるのか」
「これじゃ、試練も受けられないし、ウルズ様にも会えないわね」
「……あれを見てください」
リオが指差す先。封印の向こう、白い蒸気の奥に――巨大な影が蠢いていた。
その体は黒鉄のような鱗に覆われ、わずかに呼吸するたび地面が震える。
「ドラゴン……?」
「ここに棲むと言われている、ニーズヘッグですね」
「試練って、まさか……」
「その“まさか”でしょうね」
「……あいつと、戦うのか」
熱気よりも濃い緊張が三人の間を包む。
「通信機で、一度報告しましょう」
「うん」
《リオです、アテナ先生聞こえますか?》
《お疲れさま! 聞こえてるわよ》
《今、フヴェルの泉に着いたのですが……門にハデス様の封印がされていて、先に進めません》
《わかったわ。上層チームと冥界チームもアカデミーに向かってるところだから、あなた達も一度戻ってくれる?》
《承知しました》
「みんな、アカデミーに向かっているそうです。一度戻るように指示がありました」
「わかったわ。それじゃ、転移できるところに印をつけて戻ろう」
エレニは休憩していた岩に印を付け、杖をかざす。
転移魔法の光が三人の体を包み、熱気の世界が静かに歪んでいった。
☆ ☆ ☆
アカデミーに到着した頃には、夕日が沈み、満月が明るい夜空に昇っていた。
校舎の白壁を月光が照らし、静かな風が中庭を渡る。
三人は息を整える間もなく、学園長室へと駆け上がった。
「失礼します」
エレニが軽くノックして扉を開ける。
室内では、すでに上層チームと冥界チームが集まっていた。
「おつかれさま」
互いにねぎらいの言葉を交わし、アテナ先生の声で部屋が静まる。
「みなさん、着席してください」
メティス学園長が前に立ち、穏やかに口を開いた。
「世界樹の調査、遠いところ本当にお疲れさまでした。各チームから報告をお願いします。まずは上層チームから」
アイアスが立ち上がる。
「上層では、ビフレストの橋を渡った時にハーピーの襲撃に遭いました。そして――枝先の葉は色を失い、幹は所々ひび割れ、枝先は乾きかけていました」
「下層チームは、いかがでしたか?」
アイアスが座り、エレニが席を立つ。
「私たちは、三つの泉を訪れました。最初に訪れたのがウルズの泉で、女神ウルズ様にお会いしました。
その際、ミーミルとフヴェルの泉で試練を越えるように命じられました。
ミーミルの“知識の試練”は無事に終えましたが、フヴェルの泉は門がハデス様の封印で閉ざされており、進むことができませんでした。
門の先には、ニーズヘッグと思われるドラゴンが眠っていました」
「ハデスの封印だと……?」
「はい。ハデス様の紋があったので、間違いないかと」
「ふむ……。では、冥界チームはどうでしたか?」
エレニが座り、メリノエが立つ。
「はい。冥界の最深部――タルタロスに行ってきました。世界樹の根は途中から腐敗し、末端まで朽ちていました……」
「世界樹の異変が、こんなにも深刻とは……」
「それと……実は、タルタロスに到着した時、冥界全体が“脱獄”の警戒態勢に入っていました」
「脱獄? 一体、誰が逃げたのです?」
「――タルタロス、です」
その名が告げられた瞬間、部屋の空気が凍りついた。
誰もが驚きの表情で顔を見合わせる。
沈黙を破ったのはアテナだった。
「先日の“時間のいたずら”と、タルタロスが無関係とは思えませんね」
「アテナの言う通りです」
「先生……それに、もうひとつ。タルタロスの牢の封印を解いた痕跡に――父の魔力がありました」
「フヴェルの泉の封印、そしてタルタロスの脱獄……どちらにもハデスが関係しているのね」
「先生、私たち冥界へ行って、ハデス様に直接確認したいです」
「それなら、私たちも行かせてください! 父がなぜそんなことをしたのか、確かめたいです!」
メティス学園長はしばらく目を閉じ、静かに息を吐く。
そして、意を決したように口を開いた。
「……わかりました。エレニ、リオ、ジーノの三人。そして、メリノエ、マカリア。
この五人で冥界へ向かい、ハデス様に真実を確かめてきてください」
「はい!」
五人の声が重なり、学園長室の空気が静かに引き締まる。
「今日はもう遅い。食事をして、まずは、ゆっくり休みなさい」
夜の窓の外、満月が高く昇り――新たな使命の幕開けを照らしていた。
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