41話 ウルズの泉
転移の光が収まると、そこに広がっていたのは――一面の牧場だった。
「……牧場?」
リオが目を瞬かせる。
「学園長、転移先間違えてないか~?」
ジーノが苦笑混じりに言うと、エレニが肩をすくめた。
「そんな訳ないでしょ。たぶん、泉の近くに直接転移できない理由があるのよ。
だから周囲に飛ばされたんだと思う」
見渡す限り、緑の草原が風に揺れている。
のびのびと放牧された牛たちがのどかに鳴き、遠くには木造の厩舎と高いサイロ。
その周囲には色とりどりの花畑が広がり、風が吹くたびに甘い香りが漂ってきた。
「……ここ、本当に世界樹の近くなのかな?」
ジーノが呟く。
その時、リオが指を差した。
「あそこに建物がある! 誰かいるかもしれません」
三人が厩舎へ向かおうとしたとき、背後から声がかかった。
「君たち、どこから来たんだ?」
振り向くと、背の高い青年が立っていた。
日焼けした肌に、しっかりした体つき――牧場の管理者のようだ。
エレニが一歩前に出る。
「私たち、ビフレスト・アカデミーから来ました」
青年は少し警戒するように彼女たちを見回す。
「ここに、何の用?」
リオがはっきり答えた。
「世界樹の近くにある三つの泉を探しているんです」
「……あぁ、ウルズの泉のことか」
青年が少し驚いたように眉を上げる。
「そうです」
「なら、この道をまっすぐ進んで、右に折れた先だ。
古い神殿があって、その奥に泉がある」
「ありがとうございます」
青年は小さく頷くと、牛の群れの方へ戻っていった。
夕風が吹き抜け、花畑の香りが再び三人を包む。
「……行こう」
エレニは視線を上げ、遠くの空を見た。
薄く霞む雲の向こうに、巨大な枝の影――世界樹の一部らしき輪郭が確かに見える。
牧場を抜け、丘を越えた先。
古びた石造りの神殿が、静かに朝の光を受けていた。
崩れかけた柱には蔦が絡み、風が吹くたびに鈴のような音を立てる。
しかし、そこに漂う空気はどこか神聖で__ひと呼吸すれば、心が洗われるようだった。
「ここが……ウルズの泉……」
リオが小さく呟く。
神殿の奥には、透き通るような泉が湛えられていた。
その水面には淡い光が幾重にも反射し、過去の記憶がそこに映っているかのようだった。
「綺麗……でも、ただの水じゃない」
ノアがそっと指を伸ばすと、泉の表面がかすかに揺れ、波紋が広がる。
同時に、空気の密度が変わった。
まるで、時そのものが呼吸を止めたかのように。
次の瞬間、泉の中心から光の粒が舞い上がった。
その光はやがて人の形を取り、美しい声が響く。
「……久しいわね、人の子たち」
姿を現したのは、白銀の髪を持つ女性。
衣は水のように揺れ、瞳は深く透き通る蒼。
彼女の足元に咲く花が、触れられることなく自然と開いた。
「あなたが……ウルズ様?」
エレニが息をのむ。
「そう、わたしはウルズ。世界樹の“流れ”を司る者」
女神の声は、水の流れのように澄んでいた。
「……あなたたちは、学園長メティスの遣いね?」
三人は驚いて顔を見合わせる。
「ご存知なんですか?」
ウルズは穏やかに微笑んだ。
「メティスとは、かつて幾度も時の理を語り合った。
……だが、今の世界樹は静かに枯れつつある。
あなたたちは、それを確かめに来たのでしょう?」
(世界樹が……枯れてきてる?)
エレニの胸に不安が広がる。
「はい。この泉による浄化の作用がされていないのではと思い、調べに来ました」
ウルズは静かに頷く。
「世界樹は三つの泉、そして三人の女神により守られている。
このウルズの泉、ミーミルの泉を司るベルダンディ、フヴェルの泉のスクルド。
けれど最近、特にフヴェルの泉の様子がおかしいのです」
リオが眉をひそめる。
「泉を……元に戻すには、どうすればいいのですか?」
「三つの試練を越え、三人の女神の力を再び結び合わせる必要があります。
まずは、ミーミルとフヴェルの試練を越えるのです。
それらを乗り越えた時、あなたたちは再びここに来なさい」
ジーノが一歩前に出る。フヴェルの試練を
「……俺たちが、それを成し遂げれば……世界樹を救える?」
ウルズは穏やかに微笑む。
「希望は、いつも人の手の中にある。
わたしにはもう干渉できないけれど……あなたたちの意志が、未来を選ぶのです。
さぁ、それを持って進むのです」
知らぬ間に、リオの手の中に宝石のように光り輝く石を持っていた。
「この先の道は、その石が教えてくれるでしょう……」
その言葉とともに、ウルズの姿は光の粒となって泉へと溶けていった。
「……やるしかありません」
リオの声に、エレニとジーノが頷く。
泉の光が三人を照らし、風が再び静かに吹き抜けた。
その光は、これから訪れる数多の試練を静かに予告しているようだった。




