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シングルマザーが転生した冒険者は女神様でした!  作者: 珠々菜
アカデミー編

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36話 時間の歪み

 夜のアカデミーは、不自然な静寂に包まれていた。

 風が止み、時間の流れそのものが呼吸を忘れたようだった。


 塔の上層、自室の窓辺で、アイアスは書類を閉じる。

 “世界樹の調査”に関する書類を読み返していた。


「こんな夜に、一人でいるのね」


 その声に、アイアスの指先が止まった。

 振り返ると、そこには“エレニ”が立っていた。

 彼女はドアを閉めながら、歩み寄る。


「……どうしてここに? 君は今、調査隊の準備で寄宿舎にいるはずだ」


「ええ。でも、あなたにどうしても会いたくなって」


 近づいてくる足音。

 月の光に照らされた横顔は、確かにエレニ。

 けれどその瞳の奥には、いつもの純粋な光ではなく――冷たい夜ような影があった。


「どうやら、君も眠れぬ夜のようだな」

「……そうね。夢を見たの。あなたが、誰かに抱かれている夢」


 エレニは囁くように言い、指先で机の上の羽根ペンを撫でた。

 アイアスの視線が、その白い指を追う。


「あなたって、いつも冷静ね。誰かに愛されても、動じなさそう」


「愛、だと?」

「ふふ。そんな顔するの、珍しい」


 エレニが一歩踏み出し、距離を詰める。

 彼女の手が、アイアスの胸元の鎧にそっと触れた。

 冷たい指先――その感触に、彼の心がざわつく。


「でも、今夜はここまでにしておくわ。

 焦らないで。時間は――まだ、たっぷりあるもの」


 そう囁くと、“彼女”の姿は月光に溶けるように消えていった。

 残されたのは、かすかな花の香りと、空気のざらつきだけ。


(本当に彼女なのか……?)


 寮の灯りはすでに落ち、残るのは魔法の燭台が照らす淡い光だけ。

 ジーノは一人、石造りの廊下を歩いていた。

 手には開きかけのノート。

 “世界樹の毒と停滞した循環魔力”――その関連を整理するために、散歩をしていた。


 角を曲がったその時、ふと、空気が変わる。

 風が止まり、炎が一瞬、青く揺れた。


「……こんな時間に出歩くなんて、先生に見つかったら怒られるよ?」


 振り返ると、そこにはエレニが立っていた。

 白い衣が月光を吸い込むように輝き、足音さえもしない。

 だが、その微笑みには、いつものあたたかさがなかった。


「君こそ。寮はもう消灯時間だろ」


「眠れなくて……少し、外の空気を吸いたくなったの」


 彼女は静かに歩み寄り、ジーノの持つノートを覗き込んだ。

「ジーノにしては、難しそうなノートね。リオと一緒に研究してるの?」


「まぁな。……世界樹の流れを探ってる」


「ねぇ。……世界が止まるのって、どんな気持ちかしら」


 ジーノは少し眉をひそめた。

 言葉の温度が、妙に冷たい。

 そしてその眼差し――まるで、何かを確かめるようだった。


「どうした? エレニらしくないな」


「ねぇ、ジーノ」

 “エレニ”が顔を近づける。

 囁くような声が、耳をくすぐった。

「もし、全部の時間が止まったら……私たちも、永遠に一緒にいられるのよ?」


 息が詰まった。

 それは一瞬、恋人のような響きで――けれど同時に、ぞっとするほど冷たい。

 その瞳の奥に、何かが“揺れて”いた。

 哀しみでも、優しさでもない。

 “虚無”だ。


「さぁて、私も戻って休もうかな……。またね、ジーノ」


 風が吹き抜け――彼女の姿は霧に溶けた。


「なんだ、今の……」


 翌朝――

 ビフレスト・アカデミーの鐘が、いつもより少し遅れて鳴った。

 低く響く鐘の音が霧に包まれた中庭にこだまする。

 夜の冷気はまだ残り、吐く息が白い。


 リオは目を覚ますと、違和感に眉をひそめた。

 部屋の時計が、何度見ても同じ時刻を指している。

 針が動かない。

 魔力で動く時計のはずが、魔力の流れが止まっているようだった。


「……昨日、点検したばかりなのに」


 彼は窓を開け、外の空気を吸い込む。

 淡い朝日が差し込むはずの空は、どこか濁った灰色をしていた。


 その瞬間、扉がノックされる。


「リオ、起きてる?」


 聞き慣れた声。エレニだ。

 リオは胸の奥が少しだけ安堵で緩む。


「おはようございます。朝から珍しいですね、エレニ様の方から来るとは」


「うん、なんか変な夢を見て……そのせいかしら、落ち着かなくて」


 エレニは静かに部屋へ入る。

 髪はまだ少し濡れており、朝の光を反射してやわらかく輝いていた。

 だが――リオはほんの一瞬、胸の奥に違和感を覚える。

 彼女の声のトーンが、いつもよりわずかに低い。


「夢、か。どんな夢でした?」


「……覚えていないの。ただ、冷たい風の中で、誰かが私の名前を呼んでた」


「ふむ……」


 リオは小さく息をつく。

 昨夜、ジーノがエレニから“妙な気配を感じた”と言っていた。

 そして――アイアスも、“エレニに会った”と報告している。


 だが、エレニはその時間、ずっと寄宿舎にいたと記録されていた。


(……どういう事だ?)


 思考の霧を振り払うように、リオは軽く頬を叩いた。


「夢……?いや、疲れてるのかな……朝食を取ろう。今日は調査の準備もある」


「うん。……あ、そういえばね、マカリアたちが冥界からお土産を持ってきてくれたの」


 エレニが微笑む。

 その笑顔はいつも通り――けれど、どこか影が差して見えた。


 ★ ★ ★


 食堂では、すでに生徒たちが集まり始めていた。

 香ばしいパンの匂いと、根菜のスープの湯気が漂う。

 長い木製のテーブルの中央には、朝の光を反射する魔法灯が灯されていた。


 マカリアとメリノエが並んで座り、みんなの前に小さな包みを置いている。


「じゃーん! 冥界土産!」


「今回はね、“コキュートス氷結キャンディ”と“アスフォデロスの花クッキー”!」


 メリノエが嬉しそうに箱を開けると、淡く光るキャンディが現れる。

 空気に触れるたび、うっすらと冷気が立ちのぼり、表面が青く光った。


「すごい……綺麗」

 エレニが息をのむ。


「口に入れるとね、氷の川の音がするんだよ!」

 マカリアが胸を張る。


「音が……? つまり味覚だけじゃなくて聴覚にも魔力が作用するってことか」

 ジーノが興味深そうに覗き込む。


「そうそう! “氷結の記憶”って呼ばれてて、冥界では幸運を呼ぶお菓子なんだって!」


 テーブルの上に笑い声が広がる。

 蜜漬けの果実、白いパン、ハーブ焼きの魚、根菜のスープ――

 温かい匂いと、心の緊張をほぐすような談笑。


 だが、ほんの一瞬、誰もが感じた。


(なんだ、このやり取り……違和感がある。デジャヴなのか?)


 ――時計の針が、また止まった。


 壁に掛けられた大時計。

 音を立てて動いていた秒針が、不自然に静止する。

 だが、誰もそれを口にしなかった。

 話し続けている間に、針は“何事もなかったように”再び動き出す。


「……今、止まらなかったか?」

 ディオが小さく呟いた。


「え?」とマカリアが首を傾げる。


「いや……気のせい、かな。」


 その時、窓の外でカラスが一羽、逆向きに飛んでいった。

 羽ばたきの動きが、まるで映像を巻き戻したように。


 リオの視線が、無意識にエレニへ向かう。

 彼女は気づかずに笑っている――けれど、その笑みの端に、一瞬だけ見えた。


 ――冷たい、無表情な線。


(……まさか)


 リオの背筋に、ぞくりと冷たいものが走った。


 朝の光が差し込むはずの窓辺で、

 まるで“何か”が、現実をなぞり直しているような感覚。


 世界は、確かに動き始めていた。

 けれどその“動き”は、前ではなく――後ろへ。


 ★ ★ ★


 冷たい闇が、世界の奥深くを包んでいた。

 気配も音もない空間に、ただ微かな光が揺れる。

 その中心で、エレニは眠っていた。


(ここは……?どこ……?また、転生した???)


 意識の奥で、微かな違和感が波紋のように広がる。

 自分の体が重く、時間に囚われていることに、まだ気づかない。

 空気の一粒一粒が凍りつき、呼吸をするたびに光の粒が散る。


「なんと、迷子か!?」


 声が耳元で囁かれる。

 それも、遠くから響くような声。


(誰……?)


 すると、時の狭間から薄明かりが現れエレニの身体を取り囲む。

 光は柔らかくもあるが、熱を持たず、冷たく脈打つ。

 気がつくと、足元の地面が存在しない。

 浮かんでいるような、宙に吊るされたような感覚――

 それは、時間そのものが彼女を抱えているような感覚だった。


「ワシの名はカイロス。どうやら、誰かが時間をいたずらしているようだな」


 昨夜、仲間たちが笑い、食堂で賑わっていた光景。

 ジーノの無邪気な笑顔。

 リオの真剣な視線。

 アイアスの落ち着いた言葉。

 そのすべてが、今は遠い夢のように揺れていた。


(どうなっているの……?)


「ここは、お前さんが来るところじゃない。これを持って帰りなさい。

 そして、時間は巻き戻る……」


 エレニの指には、金色に光る細い指輪が巻き付いていた。


「あ、ありがとう!」


 微かに笑う声が響き、時間の檻の鎖がひとつ、またひとつと解かれていく。

 凍りついた世界が、軌道を取り戻す。


(外の世界に、戻らなければ……!)


 エレニの手が、ゆっくりと霧を押し分ける。

 時間の檻を打ち破るように、光が集まり空間が震えた。


 ――そして、世界の時は、動き始めた。

 巻き戻るのではなく、前へと。


 冷たい闇は消え去り、微かに残った光は温もりを帯びる。

 目覚めた世界に、エレニは小さく息をつき、拳を握った。


(急いで、みんなの所に戻らないと……)


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