22話 世界樹の秘密と三つの泉
外は、灰色の雲に覆われ陽射しが現れる気配がない。
アカデミーの最上階にある、巨大なガラスドーム。
透明な天井を無数の雨粒が叩き、細い筋を描いては流れ落ちていく。
「うう……校内地図が…にじんで見えない…」
「だから言っただろ、紙じゃなくて魔法コンパス使えって」
「だってあれ、喋るんだもん!『進行方向が逆です』とか言ってムカつく!」
「コンパスとケンカしてどうすんだよ…ていうか、コンパス信用しないっておかしいだろ」
(確かにエレニ様、前世でナビとケンカしてた…)リオが心の中で呟く。
教室に入ると、全員のローブの裾がしっとり濡れていた。
雨は止む気配もなく、窓の外は雲のグレー一色だ。
ディアーナ先生が教室に入ってきた。
薄い翡翠色のローブに栗色の長い髪をゆるくまとめ、瞳は深い森のような色をしている。
「みんな席について。講義を始めるわよ」
教室の中央には巨大な水晶樹の模型が淡く光り、世界樹のマナ循環を模した装置であることが説明される。
「世界樹は、この世界のすべての生命エネルギーを循環させています。
幹の部分は魔力の通路、枝葉はマナの分配機構、根は――」
「根は、えっと……魔力の排水管?」
前列のジーノが小声でつぶやいた。
後ろでリオが噴き出す。
「ジーノ、それ言い方! 排水管て!」
ディアーナ先生はくすっと笑ったが、すぐに真面目な表情に戻る。
「まぁ、あながち間違いではありません。ですが“循環管”と呼びましょうか」
ディアーナが手を掲げると、光の粒が空中に浮かび、やがて巨大な樹の幻が出現した。
幹がゆっくりと回転し、枝葉には星が瞬く。
「世界樹は命の大循環の軸です。
天界、地上、冥界──それぞれを繋ぐ、宇宙最大の生命維持装置といっても過言ではありません」
マカリアが真剣にメモを取り、メリノエは目を輝かせた。
ジーノは……途中で舟を漕いでいた。
「そこの生徒、夢の世界に旅立たないように」
「っ!? いや、あの、その……世界樹をよじ登ってました!!」
「どんな夢だ……」
教室がくすくすと笑いに包まれる。
ディアーナは苦笑しつつ、話しをつづける。
「では眠そうな人もいるので、次は図書館での調査を課題にするわ。世界樹の循環や、マナの三層構造について、各自で資料を確認してきてください」
メリノエが手を挙げる。
「先生、雨のせいで行内地図が使えない場合、どうすれば迷子にならずに図書館まで行けますか?」
ディアーナは軽く微笑んだ。
「地図が使えなくても大丈夫。図書館への道は標識と光の魔法灯で案内されるわ。迷ったら、生徒同士で声を掛け合いなさい」
エレニはうつむきながらも頷く。
「ふふ、声を掛け合えば……まあ、方向音痴の私でも何とかなるかもしれない」
ジーノは小さく笑い、肩を叩く。
「ほら、コンパスと喧嘩しなくてもいいんだよ」
授業が終わると、生徒たちはガラスドームを抜けて廊下へ移動する。雨はまだ降り続け、滴る雫が大理石の床に小さな水音を立てる。
三人は、互いに目配せをしながらゆっくり歩く。雨の匂いと静かな足音だけが、最上階の空間に響いた。
「よし、まずは図書館で資料を確認しよう」
「はい、エレニ様!」
「任せろ!」
しかし廊下の角を曲がった瞬間、エレニは案の定、方向感覚を失った。
「えっと……左……いや、右? どっちだっけ?」
ジーノが顔をしかめる。
「やっぱりか……」
リオは肩をすくめ、心の中で苦笑する。
(エレニ様……)
廊下の壁にある光の魔法灯に頼りながら、三人は慎重に進む。途中で濡れた床に足を滑らせそうになり、エレニは慌てて手すりにつかまる。
「危ない! 何してるんだ、エレニ様!」
「だって……向こうの扉に図書館って書いてある気がするけど、読めないの!」
ジーノはため息混じりにエレニの腕を掴む。
「もう、俺が先導するからついてこい!」
「うぅぅ…ごめん…」
ようやくたどり着いた図書館の入口は、雨に濡れた窓から柔らかい光が差し込む静かな空間だった。扉を押すと、木の香りと紙の匂いが漂い、雨の外の世界とは全く違う空気が流れた。
「わぁ……落ち着く……」
「すごい本の量だなぁ」
「さすが、アカデミーの図書館ですね」
図書館の奥、埃っぽい木の棚が並ぶ一角で、エレニは背伸びして高い棚に手を伸ばした。
指先に触れたのは、革表紙に金色の文字で「世界樹の神域と女神の泉」と書かれた古びた書物だった。
「おお……これかも」
エレニは慎重に棚から取り出し、机に広げる。
リオが机の上で首を傾げる。
「エレニ様、それすごく古そうですけど……読めます?」
「大丈夫! 解読魔法があるのよ」
そう言ってエレニは手のひらに小さな光を浮かべ、文字を浮き上がらせる。
ページをめくるたび、色あせた文字と挿絵が現れた。三つの泉、ウルズ、ミーミル、フヴェル。過去の女神ウルズ、現在の女神ベルダンディ、未来の女神スクルドの3人が書かれていた。
ページの隅には、三つの泉と女神の組み合わせを示す簡単な図解も描かれている。ウルズの泉は信頼と守護の試練、ミーミルは知恵の試練、フヴェルは戦の試練を意味しているらしい。
「ふむ……これで、世界樹浄化の手順と女神たちの場所が大まかに分かったわ」
ジーノは小さく頷き、リオは溜め息混じりに言った。
「なるほど……でも、ここからが本番ってことですね」
エレニはページを閉じ、次の行動の計画を静かに胸に描いた。雨音はまだ止まず、灰色の雲がアカデミー
を覆っている。だがエレニの胸には、新たな希望と計画が見えてきた。




