20話 ヘラの陰謀
食事の後、デザートが運ばれてきた。
チョコケーキに、ベリーのタルト、魔法で冷やされているアイスケーキなどがずらりと並ぶ。
「わぁ……どれも美味しそう!」
エレニが目を輝かせると、マカリアも楽しげに笑った。
「俺はチョコケーキだな!」
「私はこれ、食べてみたい……」
「はい、どうぞ。メリノエはプリンが好きなの?」とディオがスマートに取り分ける。
「ありがとう。冥界では、こういう“ぷるぷる”したの食べたことなくて……」
「へぇ~、そっちの世界にはお菓子ないんだ?」
「あるけど、焼き菓子が多いのよね」
くすくすと笑い声が上がる。
食堂の灯りが柔らかく、テーブルの上のガラス皿がほのかに光を反射している。
甘い香りが漂い、誰もがほっとした表情を浮かべていた。
エレニはその光景を眺め、胸の奥が少し温かくなる。
ゼウスの娘としての運命を背負っても――この時間だけは、ただの少女でいられた。
「あ、そうだ……」
エレニは懐から小さな箱を取り出す。
「ジーノ、リオ、これ渡しておくね」
「ん? これは……」
「通信機。さっきストス先生と一緒に作ったの!」
「もう出来たのか? 早いな。」
「うん、魔道具の先生って本当にすごいよ。ほら、このボタン押して、自分の名前を言ってね」
ジーノが首を傾げながら装着し、リオも真剣な顔で観察している。
「もしもし、聞こえるか?」
「聞こえてますよー」
「私も大丈夫!」
「おお、ちゃんと通じるじゃないか。これなら訓練場でも廊下でもすぐ呼び出せるな」
「改良した方がいいところあったら教えてね」
「了解」
そんなやり取りに、自然と笑いが広がる。
「これで、どこにいても繋がってるね」
エレニが言うと、リオが頷いた。
「……離れてても、支え合える。そういうの、悪くないな」
エレニはふっと微笑む。
「うん。私たち、“仲間”だから」
その言葉に、みんなが自然に手を伸ばし、グラスを軽く合わせた。
チョコとベリーの甘さが溶け合い、学院の夜は穏やかな笑いに包まれていく。
――その頃。
赤い月の光が神殿の大理石を照らしていた。
上層階、女神ヘラの玉座の間。
天幕は夜風に揺れ、広間には金と白の冷たい輝きが満ちている。
女神は深く腰を下ろし、白い指で髪を弄んでいた。
「ヘラ様、ご報告がございます……」
闇に包まれた翼の影が現れる。漆黒の妖精――アルプだった。
「アルプか。報告とはなんだ」
低く澄んだ声が広間を震わせる。
「一人の娘がゼウスに謁見しました。名はエレニ。レダの娘です」
「レダ……?」
ヘラの瞳が冷たく光った。
「ゼウスがまた私を裏切ったとでも?」
声は静かだが、空気が凍りつく。
「その娘は、雷を受け止め“刻印”を授かりました」
「……雷を、受け止めた?」
ヘラは立ち上がり、長い衣が床を滑る。
「あの男、まだ自分の血を地上にばら撒く気か」
玉座の影が伸び、女神の瞳が月光を映す。
怒りは、静寂の奥に潜む炎のようだった。
「レダがゼウスから力を与えられ、その間に生まれた子供……」
ヘラは唇を噛みしめる。
「忌々しい…。でも、あの子がどれほどの力を持とうと、私には到底及ばない」
「確認いたしますか?」
「いいえ。先に“母”を探しなさい」
ヘラの指先が軽く動く。
「雷の娘は母を失えば、絶望する。――母親ごと、静かに消してしまいなさい」
「承知しました、我が女神様」
アルプは恭しく一礼し、聖騎士に扮すると部屋を後にする。
ヘラはその背を見送り、ゆっくりと玉座に戻る。
「神々は、私の手の中で統べられるべきなのよ……」
その呟きは、まるで夜風そのもののように冷ややかだった。
回廊にある柱の黒い影から、白銀の鎧を纏う一人の聖騎士が現れる。
黒髪に赤い瞳、先日エレニたちが謁見した時の騎士…それはアルプだった。
回廊を歩くアルプの前かに、アイアスが現れる。
「……おや、見慣れない顔だな」
「新任巡回任務です。雷神殿の防衛交替に」
「そうか……しかし、変だな。気配が人でも神々でもない気がする」
アイアスの眉がわずかに動く。
“聖騎士の匂い”がしない――どこか冷たい魔の気配。
だがアルプは無表情のまま頭を下げた。
「異動が多いもので…」
すれ違う瞬間、アルプの瞳が一瞬、赤く光る。
「……妙だ」
アイアスは立ち止まり、廊下の奥を見つめる。
だが、そこにはもう何の影もなかった。
アルプは闇に溶けるように姿を消し、夜の神殿に再び静寂が訪れた。
まるで、これから訪れる嵐の前触れのように――。
その夜の、月は血のように赤く染まり、
アルプの影がゆっくりと地上へと落ちていった。




