109話 二つの戦い
世界樹の根元は、静かだった。
転移の光が消え、一行が姿を現した瞬間、
巨大な根が――まるで呼吸するように、低く脈打つ。
その振動は、足元から、確かに伝わってきた。
「お父様、大丈夫ですか?」
エレニが、そっと声をかける。
「あぁ、もう大丈夫だ」
ゼウスは、ゆっくりと息を吐いた。
「お前たち二人のおかげで、かなり回復した」
「……良かった……」
「ゼウス様! ご無事でしたか!」
駆け寄ってきたのは、ヘルメスだった。
「ヘルメスか。今回は、随分と活躍してくれたようだな。礼を言うぞ」
「い、いえ! 当然のことをしたまでです!」
「リオ、メリノエ、マカリア……みんな無事で良かった」
「エレニたちも、無事で安心したよ」
「あれ? レイ! 起きたのね!」
「うん。起きたら真っ暗な洞窟で、びっくりしちゃった」
「レイとエレニのおかげで、ワシも助かった。感謝するぞ」
「えへへ」
レイは、照れたように笑った。
「……世界樹も、力を貸してくれたんだね……」
エレニは、天高くそびえる、太い幹に触れる。
すると、それに応えるかのように――
葉が、はらはらと舞い落ちた。
《アテナ様、世界樹の根本へ全員避難しました。全員無事です》
《良かったわ。テュポーンは、まだガイアにいる。ゼウスの間に集合しましょう》
《了解》
* * *
「ゼウス様――――!!!」
最初に駆け込んできたのは、レモンだった。
「ゼウス様、ご無事で……! 本当に、本当に良かったです……!」
「なんだ、レモン。泣いとるのか」
「もう……どれほど心配したか……!」
「ならば、もっと鍛錬せい」
「はっ!!!
このレモン、ゼウス様の行くところなら一生かけて、
どこへでもお供いたします!!!!」
「……いつものレモンさんに戻りましたね」
「父上、ご無事でなによりです」
「おう、アテナ……心配をかけたな」
アテナは、すぐに表情を引き締める。
「戻られて早々で申し訳ありませんが、クロノスが不穏な動きを見せています。
また、テュポーンが戻ってくるのも時間の問題かと」
「うむ……わかっておる」
ゼウスは、しばし天井を見据えた。
「今度こそ……終わらせんとな……」
その低い声に、場の空気が一瞬、張り詰める。
「恐らく、デルピュネーから知らせを受け、テュポーンは再び現れる。
ならば――ワシが出向いたほうが、世界樹への被害は抑えられるだろう」
「しかし、それは危険すぎます!!」
「まぁ、待て。話は最後まで聞くのだ」
ゼウスは、静かに続ける。
「前回の戦いで、ワシも傷を負ったが……それは相手も同じ。
しかもワシは、ほぼ全快に近い。
だが、あいつらには癒しの力はない。
せいぜい、温泉に浸かるくらいが関の山だ」
「では……やはりガイアの地へ?」
「いや。あいつは次の戦いに備え、モイラたちを脅し――
どんな願いも叶うという“勝利の果実”を手に入れに行くだろうな」
「勝利の果実……?」
「“冥界菓子店アンダーヴェイル”を知っておるか?」
「もちろんです! メリノエとマカリアからお土産をいただきました」
「私たち、そこの常連です!」
「ふむ。あそこを営むのは、ノーナ、デキナ、モルタ――
運命の三女神、モイラだ。
彼女たちが、その果実を管理している」
「まさか……冥界にテュポーンが?」
「いや。果実は下階層にある。
収穫の時を見計らって、動くだろう」
「では、そこを狙う、と」
「そうなるな。
だが――問題は、クロノスだ」
ゼウスの視線が、エレニを捉える。
「あいつが動く以上、この戦いは終わらん。
ワシがテュポーンを引き受ける間、必ずクロノスは別に動く。
そして……エレニ。
奴は必ず、お前を狙う」
エレニの喉が、ひくりと鳴った。
「俺とお前を、同時に叩くつもりだ。
だから、よく聞け」
ゼウスの声が、低く重く響く。
「クロノスを相手にできるのも、倒せるのも――
エレニ。お前しかおらん」
「……っ」
「酷なことを言うが、俺もテュポーンで手一杯だ」
エレニの心臓が、早鐘を打つ。
(私が……クロノスを……)
「……わかりました」
「エレニ! 本気か!?」
「考えてる余裕なんてない……」
エレニは、はっきりと言った。
「世界が滅びるかもしれない。
それを止められるのが、私しかいないなら――やるしかない」
声は、震えていた。
それでも、目は逸らさない。
「怖いよ。倒せるかなんて、分からない。
でも……この世界も、みんなも、守りたい」
「……エレニ……」
「エレニ様、私はついて行きます」
「私だって、行くよ!!」
「リオ……レイ……」
「俺もだ。お前と行く」
「アイアス……」
「決まってるだろ。俺たちも行くさ」
「……みんな……」
「私たちは先にアンダーヴェイルへ向かうわ。
果実が狙われていることを伝えてくる」
それぞれの役割が、静かに定まっていく。
戦いは、避けられない。
だが――今度は、ただの絶望ではなかった。
それぞれが、背負う覚悟を決めたのだから。




