108話 神王の生還
最後の封印が解かれたのは――
ゼウスの、足だった。
獣皮がほどけ、岩肌に縫い留められていた拘束具が外れる。
エレニは膝をついたまま、深く息を吐いた。
「……これで……」
繋がった。
断たれていた腱は、完全ではないにせよ、確かに“戻っている”。
その証拠に――
ゼウスの足先が、わずかに動いた。
その瞬間だった。
「ふわぁあああ~!」
――気の抜けるような、大きな声。
「……レイ?」
籠の中から、少女がゆっくりと身を起こし、ぐーっと背伸びをする。
「よく寝た~!!」
大きなあくび。
「……暗い……? ここって……洞窟……?」
「レイ! 無理しちゃだめ!」
慌てて駆け寄るエレニに、レイはきょとんとした顔で首を傾げた。
「あれ? エレニ、めっちゃ元気じゃん……」
そして、次の瞬間。
「え?? じーじ、どうしたの!?」
その一言で、張り詰めていた空気が一気に緩む。
「ゼウス様は、大けがをされている」
「レイ、起きて大丈夫なのか?」
「へーきへーき! よっこらしょ!」
返事の代わりに、レイはひょいっと籠の外へ飛び出した。
「それで、エレニがじーじを治してたのね」
「うん。でも……」
エレニは少し困ったように笑う。
「まだ魔力が、戻りきってないみたい」
「私の力だけじゃ、ここまでが限界かな……」
「なに……後は戻れば……」
ゼウスが立ち上がろうとし、ふらついた。
「ゼウス様! 無理なさらず!」
「ねぇ、エレニ」
レイがにっと笑う。
「私の力と合わせたらさ、じーじ、もっと元気になるかも」
「本当?」
「ちょっとー! これでも世界樹と繋がってるドリュアスだよ?」
ぷくっと頬を膨らませる。
「前とは違うんです~」
「はいはい、わかったわかった」
「じーじ、じっとしててね」
「やれやれ……ちびっ子には敵わんな」
ゼウスが、苦笑混じりに身を委ねる。
「エレニの手を、じーじの胸に置いて」
「こう?」
「うん、そのまま!」
レイは、重ねられたエレニの手の上に、ふっと息を吹きかけた。
「レイ、無理しないで」
「全然、平気!」
エレニの光は、命を繋ぐ力。
レイの力は、命を巡らせる力。
二つが重なった瞬間――
洞窟の空気が、静かに震えた。
雷ではない。
風でもない。
ただ――循環。
止まっていた神の流れが、ゼウスの体内で、ゆっくりと回り始める。
「……ほう……」
ゼウスが、低く息を吐いた。
「……これは……効くな……」
足先に、確かな感覚が宿る。
もはや彼は、“封じられた神”ではなかった。
――その時。
《エレニ! 聞こえるか!》
通信機が鋭く鳴る。
ディオの声だ。
《デルピュネーが戻ってきた! 想定より早い!》
空気が、一変する。
《各自、世界樹の根本へ集合!》
《繰り返す! 集合だ!》
アイアスが即座に告げた。
「……撤退だ」
ゼウスの口元に、微かな笑みが浮かぶ。
「……王は……生き延びねばならん……」
アイアスとジーノが、ゼウスを支える。
エレニは、レイとシルベアを抱き上げた。
「……転移準備!」
詠唱が重なる。
洞窟の奥で、岩が軋む音が確実に近づいていた。
「……今度は……逃がさぬぞ……」
低く、怒りに満ちた声。
だが――
光が洞窟を満たす。
世界樹の根へと繋がる転移陣が、完全に展開した。
「――転移!」
次の瞬間。
洞窟は、空になる。
雷なき神王と、その娘たちは――
確かに、生き延びた。




